―相性―
僕の名前は、まだない。
いや、正確には「誰も呼んでくれない」と言った方がいいのかもしれない。
僕は小さな黒い石。ブラックトルマリンという鉱物の、ほんの欠片だ。
生まれてからずっと、僕は一生懸命だった。持ち主を守りたい。その一心で、精一杯力を振り絞ってきた。でも――
「なんだ、効果ないじゃん」
一人目の持ち主は、三日でそう言った。
「全然ダメ。返品しよ」
二人目の持ち主は、一週間で僕を箱に戻した。
僕は何が悪かったのか、分からなかった。ただ、自分の持つすべてを注いで、彼らを守ろうとしただけなのに。
やがて僕は知った。人間には「五行」というものがあるらしい。木・火・土・金・水。そして、僕のような石にも相性があるということを。
もしかしたら、僕は彼らと合わなかっただけなのかもしれない。でも、それは僕にはどうしようもないことだった。
何度も何度も、人の手を渡った。そのたびに「期待外れ」という目で見られ、また箱に戻された。
僕の中の光は、少しずつ小さくなっていった。
―巡り逢い―
ある日、見知らぬ女性の手に取られた。
もう慣れっこだ。どうせまた数日で戻されるんだろう。僕はもう、期待することをやめていた。
でも、その人は違った。
僕を手に取ると、目を閉じて、何かを感じ取るように静かに佇んでいた。そして、小さく微笑んだ。
「あなたは、この人に合うと思うの」
その人は僕をそっと包んで、どこかへ連れて行った。
次に気づいたとき、僕は別の誰かの手の中にいた。
女性だった。疲れた顔をしている。でも、その瞳には優しさがあった
「ブラックトルマリン、か」
彼女は僕の名前を呼んだ。初めて、誰かが僕を名前で呼んでくれた。
その瞬間、僕の中で何かが動いた。
―目覚め―
彼女と共に過ごす日々は、今までと全く違った。
僕は彼女の周りに漂う「何か」を感じ取った。それは、彼女自身も気づいていない、暗くて重たい「悪意」のようなものだった。
職場からの帰り道、誰かの嫉妬。
夜中に感じる、理由のない不安。
電車の中で向けられる、名前のない敵意。
そして――家に帰ってからも、休まらない。
一緒に住む母親が、毎日のように愚痴を言う。
「ねえ、聞いてよ」から始まる、長い長い文句の数々。
彼女は黙って聞く。
だから、全部が彼女に向かってくる。
「また今日もあの人がね」「信じられないでしょ」「どう思う?」
答えを求めているわけじゃない。ただ、吐き出したいだけ。
でも、それを毎日受け止める彼女は、どんどん疲れていく。
職場の疲れを癒す場所であるはずの家が、休めない場所になっている。
僕は必死に、それらを祓った。
一つ、また一つと。彼女に向かってくる暗いものを、職場の悪意も、電車の中の敵意も、そして母親から流れてくる負のエネルギーも。
全部、全部、僕が受け止めた。
僕の力は、どんどん弱くなっていった。小さな体に蓄えられたエネルギーは、底をつきかけていた。
気づけば、僕の黒い体に、白い筋が入り始めていた。
ブラックトルマリンなのに、色が抜けていく。
まるで、力が枯れていくように、少しずつ、少しずつ、白くなっていく。
でも、不思議だった。
弱っていくのに、色が失われていくのに、嬉しかった。
初めて、自分の力が「届いている」と感じられたから。
僕は白くなりながらも、それでも彼女を守り続けた。
家という、本来は安らぐべき場所でさえ休めない彼女を、僕はどうしても守りたかったから。
―ありがとう―
ある朝、彼女が僕を手に取った。
「なんだか、最近楽なんだよね」
彼女は僕に向かって、小さく笑いかけた。
「あなたが守ってくれてるのかな。ありがとう」
ありがとう。
その言葉が、僕の中に染み込んだ。
初めて、誰かに必要とされた。初めて、感謝された。
僕の小さな体が、熱くなった。嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうだった――石に涙腺はないけれど。
―音守り―
その夜、不思議なことが起きた。
彼女が眠りについた後、どこからともなく、澄んだ音が響いてきた。
それは、癒しの音だった。そして、その音に乗せて、温かな光が僕の中に流れ込んできた。
ああ、これは――
最初に僕を選んでくれた、あの女性の力だ。
彼女は「音守り」と呼ばれる、特別な癒しを僕に送ってくれていたのだ。
僕の中で、力が満ちていく。失われていたエネルギーが、温かな光となって戻ってくる。
そうか。
僕は一人じゃなかったんだ。
見えないところで、誰かが支えてくれていた。そして今、僕を必要としてくれる人がいる。
―守り石―
翌朝、僕は生まれ変わったように力に満ちていた。
彼女が目を覚ますと、僕を手に取って微笑んだ。
「おはよう、ブラックトルマリン」
うん、おはよう。
これからも君を守るからね!
僕は小さな黒い石だけど、今は誇りを持って言える。
僕には名前がある。
そして、僕には大切な持ち主がいる。
相性が合う人と出逢えたこと。それは奇跡のような巡り逢いだった。
人には木・火・土・金・水の五行があって、石にも相性がある。だから、合わない人がいたのは、僕のせいじゃなかった。
ただ、まだ出逢っていなかっただけ。
今、僕は彼女のポケットの中で、静かに力を蓄えている。
次にどんな悪意が向かってきても、僕は全力で彼女を守る。
そして疲れたら、あの温かな音に癒してもらえばいい。
小さなブラックトルマリンの、小さくて大きな物語。
これは、石と人との、相性と信頼の物語。
―おわり―
「石は言葉を話さないけれど、確かに守ってくれている。それを信じる心があれば、石もまた力を発揮できるのです」
― 心結