※ AI生成音楽を否定する内容ではございません。
最近、AIによって音楽を生成することが以前よりもずっと身近になりました。
指示を入力するだけで、歌やBGMまで生成出来てしまう。
例えば、
作業を効率化したり、何かを補助するために使う。
そういった使い方はこれからどんどん増えていくと思いますし、AIを「機能」として使うことには抵抗がありません。
ただ、どうしても
AIが生成した音楽を、人間が作った音楽と同じ意味で「オリジナル」や「作品」と呼ぶことには非常に違和感があります。
今回は、その理由について整理をしてみようと思います。
まず最初に、
「AIが生成した音楽」を否定しているわけではございません。
AIによって、今まで音楽制作をしたことがなかった人が自分のイメージに近い音楽を生成出来るようになる。
これは参入障壁の高い楽曲制作という分野を、誰でも手軽に身近に感じる事ができる画期的なことだと思います。
ただ、
それを「人間が創作した作品」と同じものとして扱うこと。
には非常に大きい疑問を感じます。
僕にとって「創作」や「作品」とは、ただ音質やクオリティが高ければ成立するものではない。
と考えます。
では、なぜそこに違和感があるのか。
僕は音楽を作るとき、
「どんな音にするか」
だけを考えているわけではありません。
なぜこのメロディなのか。
なぜこのコードなのか。
なぜこの歌詞なのか。
なぜこの曲を今作るのか。
そういうことを全て含めて、自分の中から音楽を作っています。
言ってしまえば、
自分の脳みそから、自分の経験や感情を通して出てきたもの
だと思っています。
ですので、僕にとってAIが生成した音楽は「創作物」ではなく、あくまで「生成物」であると考えます。
AIという、自分とは別の「脳みそ」に依頼をする事により出てきた生成結果だからです。
つまり、プロンプトを書いている人間は作曲家ではなく依頼人。といった位置付けだと考えます。
もちろん、人間が指示を出している以上、そこに人間の意図が含まれる場合もあると思います。
ただ、あくまでイメージ(プロンプト)を伝えてAIが生成をするのであれば、それはAIをツールとして使用した作曲ではなく、AIを音楽生成システムとして利用した依頼だと考えます。
実際、AI生成物が法律上「著作物」に当たるかどうかについても、AIを使ったという事実だけで一律に決まるわけではなく、人間の創作意図や創作的寄与などを含めて個別具体的に判断されます。
ただ、僕がここで違和感を感じているのは法律の話ではありません。
「自分にとって、それを作品と呼びたいと思うか」という価値観や倫理観の話です。
人間が作る音楽には「人生」がある。
僕が人間の作る音楽に価値を感じる一番大きな理由は、
その人の人生が、その作品の後ろに必ず存在しているからです。
同じメロディでも、
10歳のときに作った曲なのか。
30歳のときに作った曲なのか。
失恋したあとに作った曲なのか。
大切な人を想って作った曲なのか。
何年も音楽を続けてきた人が、最後に辿り着いた曲なのか。
それだけで、その音楽の見え方は変わると思います。
この部分は人間にしか出す事の出来ない「奥行」や「物語」の部分に該当するかと思います。
音そのもののクオリティだけでは、そこまでの情報を表現することはできません。
というよりは、そもそも存在していません。
空虚な音の塊だと考えます。
そこに、
「誰が、なぜ、この曲を作ったのか」
という物語がある。
僕は、それも含めて初めて音楽の価値だと思っています。
例え話をします。
ラグジュアリーブランドを想像してください。
そもそもの商品の品質は担保されていますが、ラグジュアリーブランドの価値は品質だけでは説明ができません。
ブランドが積み重ねてきた歴史。
そこに関わってきた人たち。
ブランドが持っている思想。
これまで作ってきたもの。
そういったものが積み重なって、「このブランドだから欲しい」という価値になっていく。
音楽も同じだと思っています。
例えば、AIが作った音楽と、人間が作った音楽があったとして、
音だけを聴いたら、どちらが良いか分からない。
そんなことも、これからは普通に起こると思います。
ただ、
「この曲は、誰が、どんな人生を生きて、何を感じて作ったのか」
まで含めたら、到底同じ価値だとは思いません。
音楽的なクオリティだけでは補えない部分が、そこにはあるからです。
AIに「勝つ」「負ける」という話ではない
なので、
「AIに人間の作曲家が負ける」
という考え方にも、あまり興味がありません。
なぜならば、
創作物と生成物は、同じ土俵に立っていない。
というのが結論です。
どちらが優れているかという話ではない。
目的や価値そのものが違う。
例えば、
「とにかく動画に合うBGMが欲しい」
という場合なら、AIによって必要な音楽を用意することは、とても合理的だと思います。
一方で、
「自分の人生を残すための曲を作りたい」
「自分という人間を表現する曲を作りたい」
「誰かと一緒に、自分だけの作品を作りたい」
というのであれば、僕は人間が作る音楽を選びたいですし、推奨したい。
僕自身がオリジナル曲を制作するときも、そういった部分を大切にしています。
むしろ、そこが核と言えるでしょう。
そして、実は今回一番問題視している事が別にあります。
それは、AI生成音楽を使うことそのものではありません。
そんな事よりも、
AIで生成した事実を
「隠すこと」や「誤認させること」
です。
つまり、バレなければ良い。という歪んだマインドセットです。
AIを使って作ったのであれば、
「AIを使って作りました」
と言えばいい。書けば良い。
僕は、それでいいと思っています。
AIを使ったこと自体を恥じる必要もないと思います。
それがご自身の選んだ選択なのだから。
むしろ胸を張るべきだと思います。
ただ、
AIで生成したものを人間が作った作品であるかのように見せたり、
「AIを使ったとは書いていない。だから嘘はついていない」
「プロンプトを書いたのは自分だから、オリジナルの音楽だ」
というような考え方には、どうしても強い違和感があります。
それはAIの問題というより、
人間が生成物を使用する上での、倫理観の問題
なのかもしれません。
そのような姿勢で制作をしている人を、果たして誠実な思想の持ち主だと感じる事は出来るでしょうか。
何かをお願いしたい、一緒に制作をしたい、関わりたい
そう思う事は出来るでしょうか。
個人で何をやるかはもちろん自由だと思いますし、
ご自身の責任の上で行動をすれば良いと思います。
ただ誠実さが欠如した上で、それをビジネスと結び付けている人間がいるのも事実です。
これから、AI生成音楽はクオリティがさらに上がり人間が制作したものとほとんど聴き分けがつかなくなっていくと思っています。
だからこそ、
「バレなければ良い」「言わなければ分からないから自分の実績にしよう」
と言い訳を考える事にリソースを割くのではなく、
シンプルにAI生成音楽を使用した事を明記する方が健全だと考えます。
また逆に、AI生成を使用する事が当然の如く必要ない作曲家に関しても
「その音楽は、誰が、どのように、どういった意図で作ったのか」
という部分を分かりやすく伝えていくことも、今まで以上に必要になるのではないかなと思っています。
あるいは、ルールや法律が整備され
AI生成物と創作物が明確に区別される日が訪れるかもしれません。
僕にとって音楽は、
ただ音を並べたものではありません。
そこには、作った人の経験があって、
考えがあって、
感情があって、
時間があって、
人生があります。
ですので、
AIが作ったものを否定したいのではなく、人間が作る「作品」の価値を大切にしたい。
そう思っています。
そしてこれからも僕は、
「音楽を生成する」のではなく、
自分の人生から、自分にしか作れない音楽を創っていきます。
それが、作曲家でありアーティストであり
「オリジナル作品」を謳える存在だと
考えているからです。
project AMBIVALENCEでは、AI生成を使用せずにオリジナル楽曲の制作を行っております。
制作依頼のご相談も、お気軽にご連絡ください。