看護研究は、いつから始まったのでしょうか。
その起源は、19世紀のクリミア戦争までさかのぼります。
フローレンス・ナイチンゲールは、負傷兵の死亡原因を記録し、統計的手法を用いて分析しました。この分析によって、兵士の死亡の多くが戦闘による負傷ではなく、病院内の不衛生な環境による感染症であることが明らかになりました。こうした記録と分析は、現代のエビデンスに基づく看護(EBP)の原点とされています。
1850年代半ばに始まったこの取り組みから約170年のあいだに、看護は単なる経験則に基づく日常的なケアから、科学的根拠に基づく専門的な実践へと発展してきました。
今回は、看護研究がどのように発展してきたのか、その歴史的背景を整理してみます。
19世紀の看護研究
ナイチンゲールの影響と看護教育
1854年に始まったクリミア戦争において、フローレンス・ナイチンゲールは負傷兵に献身的なケアを提供しながら、兵士の死亡原因を詳細に記録しました。そして、その記録を統計的手法によって分析します。
その結果、兵士の死亡原因の多くは戦闘による負傷ではなく、病院内の不衛生な環境によって引き起こされる感染症であることが明らかになりました。ナイチンゲールはこの事実を客観的なデータとして示し、衛生環境改善の重要性を証明しました。これが、看護研究の原点といえます。※1
当時は政策担当者も統計に慣れていなかったため、ナイチンゲールは分析結果をわかりやすく伝えるためにグラフを用いるなどの工夫も行いました。衛生改革に統計的手法を活用した功績により、彼女は晩年、米国統計学会の名誉会員にも選ばれています。※2
このように、
・事象を記録する
・統計的に分析する
・グラフなどで分かりやすく伝える
というナイチンゲールの手法は、現代の**エビデンスに基づく実践(EBP)**の原型といえるでしょう。
さらにナイチンゲールは、1859年に『Notes on Nursing(看護覚え書)』を出版し、翌1860年にはロンドンのセント・トーマス病院で看護師教育のための学校を設立しました。看護教育が制度化されたことは、その後の**研究方法の確立(測定・比較・検証)**へとつながっていきます。※3
20世紀初頭の看護研究
看護理論の確立
20世紀前半になると、看護教育や看護管理に関する研究が進み始めます。
1900年にアメリカで創刊された『American Journal of Nursing(AJN)』は、看護師同士が知識や経験を共有する重要なプラットフォームとなりました。
1900年代から1940年代にかけては、看護実践そのものを対象とした研究はまだ多くありませんでしたが、
・看護教育のあり方
・看護管理
・教育カリキュラムの開発・編成
といったテーマについての研究が主に行われていました。※1
また、この時期の看護研究では社会学や教育学の方法論が取り入れられ、質問紙調査などを通じて看護師の労働環境や教育水準を客観的に把握する研究が多く行われました。※4
日本では、明治以前には専門職としての看護師は存在していませんでした。1915年に「看護婦規則」が制定され、さらに1948年には「保健婦助産婦看護婦法」が成立したことで、看護職は国家資格となります。保健婦や助産婦になるためにも看護教育の履修が必要とされ、看護の専門教育が制度的に整備されました。※5
ただし当時の看護婦学校では、主に症例研究や事例研究といった形で臨床ケースの検討が行われており、現在のような調査や介入を伴う看護研究という概念はまだ一般的ではありませんでした。※6
1950年代〜1970年代の看護研究
学問的基盤の形成
1950年代以降になると、看護研究は大きく加速します。
その背景には、
・大学院教育を受けた看護職の増加
・研究成果を発信する媒体の整備
・研究費支援の拡充
・教員や学生の研究能力向上
などがありました。
アメリカでは看護学の博士課程プログラムが開始され、臨床実践そのものを対象とする研究が増加していきます。また1952年には看護研究専門誌『Nursing Research』が創刊され、1955年には米国看護師協会(ANA)によって研究支援のための財団が設立されました。※1、4
日本でも研究基盤が整備され始めます。1964年には聖路加看護大学が私立として日本初の4年制看護学部を設置しました。さらに1968年には『看護研究』、1978年には『日本看護研究学会雑誌』が創刊され、国内でも看護技術や看護教育に関する研究議論が活発になります。※7、8
1980年代〜1990年代の看護研究
発信の場の整備と国際的研究
1980年代頃からは、現象学や民族誌学などのアプローチを取り入れた質的研究が多く用いられるようになりました。
また1983年には、看護実践の主要テーマに関する研究を評価・整理する年刊誌『Annual Review of Nursing Research』が創刊され、研究成果を発信する場も整備されていきます。※1
この時期には、国際的な研究体制も整っていきました。1986年、米国公衆衛生局(USPHS)内に国立看護研究センター(NCNR)が設立され、1993年には国立看護研究所(NINR)へと発展します。国家レベルの研究基盤に組み込まれたことで、看護研究の質と量は大きく向上しました。※1
さらに1990年には、国際看護師協会(ICN)による**国際看護実践分類(ICNP)**の開発プロジェクトが開始されます。看護介入や成果に関する用語が標準化されたことで、看護研究の国際的ネットワークと研究基盤が形成されていきました。※9
日本では1992年に「看護師等の人材確保の促進に関する法律」が制定され、看護系大学・大学院の設置が急速に進みました。これにより1990年代後半から博士学位論文の数が増え、看護職の高学歴化と専門職化が大きく進展しました。※10
21世紀の看護研究
エビデンスに基づく看護実践
21世紀に入ると、医療分野全体で**エビデンスに基づく実践(Evidence-Based Practice: EBP)が標準的なアプローチとして定着します。看護領域ではエビデンスに基づく看護実践(Evidence-Based Nursing: EBN)**と呼ばれることもあります。※11
看護研究も、
・現象を記録する段階
・介入効果を測定する研究
・ガイドライン作成につながるエビデンス創出
へと発展していきました。
研究手法としては、量的研究と質的研究を組み合わせる**混合研究法(Mixed methods research: MMR)**も広く用いられるようになります。
たとえば、
・看護介入が統計的に有意な効果を示したか(量的)
・なぜその介入が患者に受け入れられたのか(質的)
という両面を統合して説明できる点が特徴です。※11
さらに近年では、データサイエンスやICT、ビッグデータ、AIなどの技術も看護研究の発展を支えています。
看護研究の未来
これからの看護研究には、超高齢社会や人口減少、社会保障財源の制約といった課題の中で、看護が社会にどのような価値を提供できるかを実証する役割が求められています。
日本看護科学学会(JANS)は2017年、看護・保健分野の政策提言を見据えてStrategic Planを策定しました。そこでは、
・病院と地域の連携による医療体制の研究
・看護アウトカムを評価する大規模コホート研究
・看護エビデンスのシステマティックレビューやメタアナリシス
などが重要課題として挙げられています。※12、13
また、米国国立看護研究所(NINR)の「2022–2026 STRATEGIC PLAN」では、
・Health Equity(健康の公平性)
・Social Determinants of Health(健康の社会的決定要因)
といったテーマが研究の中心に据えられています。※14
さらに、日本看護協会の「看護の将来ビジョン2040」では、医療のあり方が病院完結型から地域完結型・生活拠点型のケアへ移行することが示されています。
そのため今後の看護研究では、
・在宅看護
・遠隔医療支援
・多文化背景を持つ患者へのケア
などが重要なテーマになると考えられています。また、看護職のウェルビーイング向上や柔軟な働き方の実現も、質の高い看護実践と研究を支える基盤とされています。※15
看護論文は質の高い看護を支える基盤
看護研究は、ナイチンゲールの統計分析を原点として、理論構築、学問的基盤、研究発信の場、国際的な研究体制などを整えながら発展してきました。
現在では、エビデンスに基づく実践(EBP)や学際的アプローチを通じて、看護の質を高めるための重要な基盤となっています。
看護論文を執筆し公開することは、専門職としての高い倫理観と社会的責任を伴う行為でもあります。先人たちの研究の蓄積に学びながら、最新の方法論や国際的視点を取り入れていくことで、看護研究は次世代の看護実践を支える確かなエビデンスとなっていくでしょう。
参考文献
※1 Jacqueline M Stolley, et al. (2000) The Evolution of Nursing Research. J Neuromusculoskelet Syst. 8(1):10–15.
※2 総務省統計局. なるほど統計学園. 15 統計エピソード集. ナイチンゲールと統計
※3 National Archives. Florence Nightingale Why do we remember her?
※4 Carole A. Kenner. (2017) Trends in US Nursing Research: Links to Global Healthcare Issues. J Korean Acad Nurs Adm. 23(1). 1-7.
※5 東京有明医療大学. 看護学部 看護学科. 看護の歴史.
※6 吉武香代子. (1998) 教育講演 看護研究ー今とむかし. 日本看護研究学会. 第24回学術集会.
※7 聖路加国際大学. 歴史と沿革. 聖路加国際大学について.
※8 田中裕二 ほか. (2011) 日本看護研究学会雑誌掲載論文 of Analysis. 日本看護研究学会雑誌. 34 (2)
※9 OJIN. The Online Journal of Issues in Nursing — The International Classification For Nursing Practice Project.
※10 李慧瑛, 下髙原理恵. (2022) 「看護関連」博士学位論文の歴史적変遷と課題―Dissertations のテキストマイニング分析を通して―. 医療情報学 42(1). 27-37.
※11 Lieu Thompson, et al. (2022) Using mixed-methods in evidence-based nursing: a scoping review guided by a socio-ecological perspective. J Res Nurs. 27(7):639–652.
※12 日本看護科学学会 研究・学術情報委員会. JANS Strategic Plan.
※13 平成27-28年度 日本看護科学学会研究・学術情報委員会. 看護・保健分野の政策提言のための研究課題の優先順位の特定 および研究推進の Strategic Planの設定 事業報告書.
※14 NATIONAL INSTITUTE OF NURSING RESEARCH. 2022–2026 STRATEGIC PLAN.
※15 日本看護協会. 看護の将来ビジョン2040~いのち・暮らし・尊厳を まもり支える看護~