私は昔から、
Xのことになると、
力が湧いてくることを不思議に思っていた。
例えば、私は、
お店で物を買う行為が苦手だった。
対人恐怖的なところがあり、
学生時代には、学食ですら友人に頼むこともあったほどだ。
(近頃、去年辺りからは全然ないのだが・・・)
ところが、そんな恐怖も、
Xのためとなると、どこかへ消え失せる。
元気が湧いてくる。お店でモノが簡単に買える。
むずかしい言葉を使って申し訳ないが、
顕在意識からではない、
潜在意識からのエネルギーなのだと思う。
そして、男性原理エネルギーの暴走である、
空回りについても、自分の顕在意識とは違うところで、
そのエネルギーに翻弄されてきたと感じている。
Xに起こってきた女性原理エネルギーの暴走もまた、
不可思議なものではある。
占星術で言えば、
男性原理エネルギーは火星であり、
女性原理エネルギーは金星である。
ようするに、感覚と言語で、
いちおうそれなりに理解できているのは、
たった2つの星に過ぎない。
占星術の主要天体は10である。
そのうち、古来から発見されていた土星までで絞っても、
7つである。
(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)
それでもわずか7分の2しか、かじっていないことになる。
Xについては、
もうひとつ未解明エネルギーによる怪現象が起きている。
それが「克服グセ・成長欲求」である。
Xには、幼少期にキリスト教体験があり、
そこでは、子供でありながら、
かなりの真面目なエリート信者だったという逸話がある。
そこで語られる「キリスト教の中でのキリスト」、
もっと言えば「日本に伝来した改変された聖書の中のキリスト」像に、
かなり影響されてしまっていたようなのである。
もしかしたら、
重要な話かもしれないので、
書いておくが、
イエス・キリストという人物と、
キリスト教という文脈の中で語られるキリストには、
多くの乖離があると、私は信じている。
ようするに、必要以上に「聖者像」を押し付けられたものが、
キリスト教の中のキリスト、だと思っている。
ところが、Xは、
その聖者像になろうと、
自分を前進させ続けている。
周りの誰もが、それをXに求めていないにも関わらず。
Xの星回りでいうと、
これはどうも木星のように思える。
木星には良いイデオロギーの伝播という側面がある。
そのため、宗教に関することを鑑定するときにも使う。
X(およびY)の木星は、ルーズなハードアスペクトを持ち、
過度に活用されることがある。
また特異点との合もある。
そういえば、Yもまた、
宗教とは無関係ではない人生になってきていたようだ。
彼の縁者に新興宗教の関係者がいることまでわかっている。
私自身は、木星がノーアスペクトであり、
イデオロギーへの執着があまりない。
アンチイデオロギーとすら言えるレベルだ。
だから、木星エネルギーが強く出る感覚がわからないところがある。
もしかしたら、宗教とは、
自分らしさから一旦離れる修行の場
という面があるのかもしれない。
そして、
殉教生活を通じて感じた矛盾点から、
本当の自分に立ち返るヒントが貰えるだけなのかもしれない。
そうした自分から離れる修行のエネルギーが木星エネルギーで、
それを元に戻そうとするのが、土星エネルギーなのかもしれない。
みんなないものねだりがある。
自分にふさわしくないかもしれないのに、
憧れているものを目指そうとする。
いま、トランシットの土星が、
Xの星回りに影響を与えている。
すなわち、
「憧れを捨て、現実を見て、自らのらしさに還れ」
というメッセージとも読めるのだ。
ただ、こうした考えも、ただの仮説に過ぎないものであり、
エネルギーの解明はまだ始まったばかりなのだと、私は感じている。