おはようございます。 今日は、私たちが無意識に抱え込んでしまっている「心の重り」と、老子の説く「無為」の真意についてお話しします。
「無為」とは、自分に余計なものをくっつけないこと
老子の説く「無為」とは、ただ「何もしない」ことではありません。 それは、あるがままに振る舞い、無理をしないこと。 そして何より、己のあり方に「余計なもの」をくっつけないことです。
私たちは生きていく中で、知らず知らずのうちに多くの「余計なもの」を身にまとってしまいます。
思い上がりや気負い(背伸び)
自分を立派に見せようとする虚栄や虚飾
「こう見られたい」という執着
こうしたものを、物質的な執着と同じように、手放せる限り手放していくこと。それが「無為」への第一歩です。
名声や功績に「支配」されてはいけない
老子は、名声や素晴らしい功績そのものを否定しているわけではありません。問題なのは、その「形」に心が囚われてしまうことです。
名声: 無為(あるがまま)であればそれは自然なものですが、執着した瞬間に心は固定され、自由を失います。
功績: 「これは自分の手柄だ」と意識しすぎた瞬間、その行為は純粋な価値を失ってしまいます。
大切なのは、名声や功績を手に入れたとしても、それに依存せず、支配されないこと。太陽が世界を照らしても「俺が照らしてやった」と威張らないように、ただ淡々とそこにある状態が理想なのです。
「人為的な成功」は人生の残飯になる
無理に努め、策略を巡らせて手に入れた「人為的な成功」は、時間が経てば「人生の残飯」に変わってしまいます。
この残飯を抱え続けていると、それはやがて心にこびりつき、人生の大切な局面での判断を誤らせ、身動きを封じる重りとなってしまいます。
削ぎ落とした先に残る「真実のあなた」
余計なプライドや虚飾を捨て、身軽になった時、そこには「あるがままのあなた」が残ります。
無理に自分を大きく見せる必要はありません。 「残飯」を捨て、心の重りをおろした時、あなたは初めて「道(タオ)=魂の望み」という宇宙の追い風に乗って、軽やかに、そして確実に望む場所へと運ばれていくのです。