小説「生徒会長は名探偵!」最終話「さよなら名探偵」ー4

小説「生徒会長は名探偵!」最終話「さよなら名探偵」ー4

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「良介が、鬱病になった」
「…………」
 彼が学校に来なくなってしまってから、一か月程経ったある日の放課後。隼人は、役員会議の終わった生徒会室に前任者たちを集め、俯きながら伝えた。窓からは、既に傾き始めた太陽のオレンジ色の光が差し込んでいる。カーテンは、冷たく乾燥した風に揺らされている。迫り来る冬の気配を感じつつ、皆が皆、悔しげに唇を噛み締めて項垂れる隼人を見つめていた。
「オレ、毎日様子見に行ってたんだけどさ。俺のせいだってずっと自分を責め続けて、日に日に顔色が悪くなってって……心療内科に行かせたら、案の定……」
「……会長のお母さんには、連絡ついたの?」
「ああ、すぐ帰国するって返事が来た。問題は……」
「……良介くんの、お父さんね?」
 薫が言うと、隼人は黙って頷いた。
「美緒さんが呼べば、恐らく聖(ひじり)さんも帰国して来るとは思う。けど、結構な堅物で冷血漢なんだよ。もうとっくに離婚してるし、多分美緒さんだけじゃ気持ちを変えてはくれねぇ。そこで、お前らに協力して欲しいことがあるんだ。オレや美緒さんと一緒に、聖さんを説得してくれねぇか?」
 良介にヴァイオリンを続けさせてあげてください、って――顔を上げ、瞳を潤ませながらも強い眼差しで、全員と目を合わせながら隼人は言った。
「もう、それしかねぇと思うんだよ。アイツに、生きる希望を与えられるのは……」
 両膝に乗せた拳と声を震わせて、遂に隼人は目尻から涙を零した。それはどんどん溢れて頬を伝い、彼の手元を濡らす。アンタも辛かったわよねと言う代わりに、昌子はそっと彼の背に触れた。
「勿論です。私にも、協力させてください!」
 いつの間にか貰い泣きをしていた葵が、右掌を胸に添えて言った。
「わいもや。できることがあるなら、やらせたってください!」
 達也も彼女に倣って、拳で自身を鼓舞するように胸を叩く。
「私も行くよ、隼人。場所は、良介くんのお家?」
「ああ。日時と住所は、また改めて連絡する。ありがとな、皆……」
 手の甲で涙を拭い始めると、彼はとうとう泣き崩れてしまった。葵も我慢の限界に達し、揃って泣き声を上げる。昌子は隼人を、達也は葵をそれぞれ慰める。薫は一人静かに頬を濡らし、いつも持ち歩いている十字架を握り締めていた。
 橙と群青の境目を伝うように、数羽の烏が鳴きながら空を飛んでいた。
 本棚には楽譜とCD、テレビの傍らにはトロフィー、額縁には賞状。その空間の全てが、良介がヴァイオリンにかけてきた情熱とその実力を表している。
「みんな、今日はこの子のために来てくれて本当にありがとう」
 よく晴れた土曜日の昼下がり。真田家のリビングに集まった前生徒会役員たちに紅茶を出してから、紺のワンピースに身を包んだ美緒が深く頭を下げた。化粧とアクセサリーも控え目で、文化祭の時とは別人のようだ。あの日は一人のヴァイオリニストとして、今日は一人の母として良介の元へやって来たのかもしれない、と隼人は思った。そんな彼女の傍らでソファーに腰掛ける良介は、終始無言で俯いたまま。よく眠れていないのだろう、その目元には隈が幾重にも刻まれている。
「そろそろ来ると思うんだけど……」
 そう言って、腕時計を確認する美緒。時刻は、間もなく午後二時になろうとしている。
 その時、玄関のチャイムが鳴った。流石に美緒も緊張しているらしく、深呼吸をしてから立ち上がり、離婚後数年振りに再会するかつての夫を迎えに行った。
「初めまして。良介の父の、聖です」
 廊下とリビングを隔てるドアを開けて、聖が軽く会釈した。一斉に立ち上がり、それに応じる隼人たち。白髪交じりの七三分けの髪はワックスでしっかりと整えられ、身に着けているものは全て濃いグレーで統一されている。眼鏡越しの隙のない眼差しと鋭い口調は良介とよく似ていて、その細い体からは煙草とコーヒーの香りがした。
「……久し振りだな。良介」
「…………」
 息子に話しかけてからその正面に座ったが、目を合わせられただけで、返事はもらえなかった。
「コーヒーでいい?」
 美緒が聖に背を向けたまま尋ね、彼も彼女の方を見ずに答える。
「いや、結構だ。今日の夕方の便で戻らなければならないからな」
「今日の夕方……? 何バカなこと言ってんのよ、良介の一大事なのよ!?」
 怒りの余り、カップを叩き割る美緒。飛び散った破片で指を切り、血を滴らせても構わず威嚇するように凝視する。しかし聖は一切それに動じず、両肘を膝に置いて手を組み、良介の方を見て言った。
「手短に話そう。経緯はもう聞いている。見たところ、お世辞にも健康的とは言えなさそうだな。必要なら通院か、入院して治療するといい。医療費は勿論私が負担する。だが、自立支援制度には申し込んでおけ。そして、領収書の写真を添付してメールで送ること。一か月毎に集計して、生活費の口座に振り込んでおく。それでいいな?」
「…………」
「それと、学校の方だが……一か月も休んでは、もう留年は避けられないだろう。そうしても構わないが、確か鳳凰にはまだ定時制課程があった筈だ。通学が嫌なら、そちらに移籍してもいい。だが、退学だけは認めない。何が何でも卒業しろ。そういえば、進路は決まったのか? 志望大学が決まったら、また連絡するように」
 以上だ、と言って立ち上がる聖。予想を遥かに上回る対応の酷さに呆然としていた隼人が、我に返って引き留める。
「ちょっと待ってください、オレたちだって話したいことがあって来たんです!!」
「……何だ。言ってみなさい」
 他にもぶつけたい言葉は山ほどあったが、必死に耐えて頭を下げた。
「良介に……ヴァイオリンを、続けさせてやってください!!」
 隼人が叫び、他の面々もそれに倣うと、無表情を貫いていた聖の片眉がぴくりと動いた。
「君は確か、隼人君だったね。良介とは古い付き合いだった筈だが……」
「はい。ですから、事情はよく知っています。でも、良介を鬱から救えるのは、ヴァイオリンだけなんです!! オレは辛い時コイツの演奏にとても救われたんです、だから、もう聴けなくなるのはオレにとっても悲しいことなんです!!」
「私も彼のヴァイオリンのお陰で日本の友達ができて、孤独から救われました! それに彼は本当は、プロのヴァイオリニストになりたがっているんです!!」
「せやで! せっかくえらい才能を持ってはるのに、夢を奪われるなんて……そんなん、わいだったら耐えられへん!!」
 隼人、薫、達也が涙ぐんで訴える。その言葉を聞いて、初めて良介が顔を上げた。
「……それが許されないことは、君たちもわかっているんじゃないのか」
「アンタ……この期に及んでまだ、息子より自分の立場と一族の名誉の方が大事だって言うんですか!?」
「ちょっと、霧崎!!」
 睨みつけ、震え出した隼人を抑えようと昌子がその肩を掴んだが、聖の眉間には既に皺が寄せられていた。しかし、それでも隼人は怯まなかった。
「コイツ、ずっと我慢してたんですよ!? アンタの立場と一族の名誉を守るために、何よりアンタの心の傷を抉らないために、高校最後の文化祭で大好きなヴァイオリンを手放すって決めたんです!! それなのにアンタは、事務的な話をさっさと済ませて帰ろうとするなんて……それでもアンタはコイツの父親なんですか!? 父親らしいことができないなら、とっとと親権を美緒さんに譲って良介を解放してやってくださいよ!!」
 息を荒げ、顔を赤くして言い放つ。しばらく沈黙が続いたが、それを破った聖の言葉は、予想外のものだった。
「……違うよ、隼人君。俺には、最初から良介の父親だと名乗る資格なんてなかったんだ」
「は……?」
 私から俺になった一人称、心なしか弱まった語気。徐に腕を組んだ聖だったが、それはまるで、自らを抱き締めているかのようだった。
「彼女は……美緒は、鳳凰にいた時から、俺の憧れだった。いや、学園のマドンナだったと言ってもいい。所謂、高嶺の花というものだ。そんな彼女が、どうしてただの同級生だった俺と結婚してくれたと思う?」
「どうして、って……」
 尋ねられて初めて、真田夫婦の馴れ初めを聞いたことがないことに気づく。視線を美緒の方に向けると、ばつの悪そうな顔をして彼女は答えた。
「私の父親はね、当時不動産業界トップクラスの大企業の社長だったの。今思えば、バカみたいに贅沢な暮らしをしていたわ。でもね、そんな生活は突然終わりを迎えたの」
「……もしかして、バブルが崩壊したから……」
 葵が呟くように言うと、美緒は苦笑いをして頷いた。
「呆気なかったわ。崖から突き落とされたように、一瞬にして全てが奪われたの。そんな時、私たち一家に手を差し伸べたのが、彼の……聖さんのお父さんだった。うちの倅が君のお嬢さんに惚れているらしいから十八になったら真田家に入籍させろ、そうしたら君たち家族を助けてやる、って言って……」
「……つまり、彼女は家族のために、嫌々俺と結婚させられたというわけだ。しかも、十八歳という若さで」
「…………」
 誰も何も言い出せず、ただひたすら通夜のような重苦しい雰囲気に耐えている。
「恥ずかしくて、俺は堂々と彼女の夫だと言うことができなかった。子どもを作れと親に言われてそれにも従ったが、当然自分が人の親だなんて思える筈もなかった。だから、良介……お前には、本当にすまないと思っている。お前は何も悪くないのに、ずっと俺たちに振り回されて……」
 気づけば、聖の唇は震えていた。彼は立ち上がり、顔を壁に向け、眼鏡を外し、掌で目元を押さえながら泣き始めた。
「俺に、父親面をする資格なんかない。愛していいわけがないし、愛されていいわけもない。お前には寧ろ、俺を恨んで欲しかった。だから……」
「……だから、一族の命令に従った振りをして、ヴァイオリンは高校生までだと言ったのか」
 その言葉を聞いて、聖は思わず振り返った。そこに立ち、彼に言葉を投げかけたのは、真摯な瞳で見つめる良介だった。
「すっかり騙されていたな。俺は、遅くとも離婚後からずっと、父さんに煙たがられていたと思っていたから……」
「良介……」
 懸命に言葉を紡ぐ良介の目も、僅かに潤み始めている。濡れた睫毛を震わせながら、良介は改めて言った。
「父さんの気持ちを教えてくれて有難う。だが俺は、父さんには父親面をしていて欲しいと思っている。どんな経緯で結婚していようと、あんたは間違いなく、この世でただ一人の俺の父親だから」
「……すまなかった。すまなかった、良介……!!」
 再び聖の涙腺が崩壊した時、無言で歩み寄った美緒が二人の肩を抱いた。嗚咽を漏らす父と母の背に、良介も黙って手を添える。
「……ヴァイオリンは、続けたらいい。お前がそうしたいなら」
 落ち着きを取り戻した聖は、ハンカチで眼鏡を拭きながら、柔らかい表情で告げた。いいのか、と問うようにその瞳を見つめる良介。
「そもそも、お前の道はお前で決めるべきなんだ。今まで、要らぬ苦悩を強いてきて本当に悪かった。これからは、全部自分の意志で進むといい。退学するもしないも自由だ」
 眼鏡を掛け直し、良介の肩に触れて言う。それは、良介がずっと求めていた父親らしい彼の姿だった。
「良介。あなたが望むなら、私がすぐにでもウィーンへ連れてってあげるわ。但し、そこから先はあなた次第よ。私の息子だなんて言ったら絶対に許さないから!」
「母さん……」
 背中を叩き、ウインクをして美緒は得意気に笑った。
「いいじゃねぇか。行ってみろよ、良介!」
「そうよ、またとないチャンスじゃない!」
 後押しするように、美緒に続いた隼人と昌子。
「行ってらっしゃい、良介くん。私もすぐに追いかけるから」
 もしかしたら、すぐに追い抜いちゃうかもねといたずらっぽく微笑む薫。
「わいもヨーロッパに留学するかもしれへんから、そん時はよろしゅうたのんます!」
「頑張ってください、会長さん! 必ず、また演奏を聴きに行きます!!」
「お前ら……」
 家族との抱擁を解き、仲間たちと向かい合う。零れそうになった涙を手の甲で拭い、彼は力強い眼差しで言った。
「有難う。行って来る」
 いつかまた、どこかで――それが、旅立ちの前に残した最後の言葉だった。
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