小説「生徒会長は名探偵!」最終話「さよなら名探偵」ー5

小説「生徒会長は名探偵!」最終話「さよなら名探偵」ー5

記事
小説
「ママ、おはよ!」
「おはよ、じゃないわよ! 今何時だと思ってんの!?」
「大丈夫大丈夫、アタシの瞬足を以ってすれば余裕っしょ!」
 階段を大慌てで駆け下り、キッチンに置かれていた弁当箱を通学鞄に突っ込む。寝起きの髪のままランニングシューズを履いた彼女・霧崎玲緒奈(れおな)は、ゼリー飲料を数秒で飲み干し、その抜け殻をゴミ箱に投げ捨てて自宅から飛び出した。
「行ってきまーっす!!」
「レオナ! 帰りにケーキ買って来るの忘れないでよ!?」
「わかってるってー!!」
 十字路の角で大きく手を振り、白い歯を見せる。そして彼女は晩秋の肌寒い風を物ともせず、陸上部の活動で鍛えられた自慢の脚で駆け出した。紺色の緩んだネクタイとスカートが揺れるのは少々煩わしかったが、構わず走り続ける。獅子座生まれの彼女の短い金色(こんじき)の髪は、まるでライオンの鬣のように靡き、朝日を受けて美しく輝いている。
 彼女の母・霧崎昌子は、自ら法律事務所を経営する弁護士である。扱っているのは、主に性的マイノリティの人々が社会で抱える問題――学校でのいじめや職場での不当な扱い、そして未だ異性婚カップルと同じ権利が認められていない同性婚カップルの国に対する訴訟などである。
 彼女がその道を志したのは、言うまでもなく夫の影響である。彼らが友情結婚を果たし、人工授精によって玲緒奈を授かった頃にようやく日本でも同性婚が認められるようになったが、立場は事実婚のカップルとほとんど変わらず、今でも悔しい思いをしている人々が多く存在する。そのため、昌子が現在取り組んでいるのは、専ら異性婚と同性婚の差を無くすための活動となっている。
 そのような背景もあってか、玲緒奈の父である霧崎隼人は、トランスジェンダーであることを公表してはいるものの、体も戸籍上の性別も男性のままにしている。社会ではやはりまだ男性である方が有利であることが多いというネガティブな理由もあるのだろう。しかし、彼は妻に愛された『男』として生きたいと強く願ったから今も男性でいるのだ。玲緒奈は、その言葉を今でも信じている。
「おはよ、レオナ! 今日もギリ?」
「はよ! ギリっていうか、もはやそれがデフォだよね!!」
 朝練もサボっちゃった、と言って高らかに笑い、机に鞄を置く。そして即座にスカートを脱ぎ、スパッツの上から女子用のズボンを履いた。
 玲緒奈は、戸籍上の性別は女性だが、鳳凰学園高校の生徒手帳には『中性』と記している。何故なら、性自認が『Xジェンダー』、つまり自らの精神的な性が男性でも女性でもないことを自覚しているからである。そして、他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない『アセクシャル』であることも彼女は既に気づいていた。
 しかし、性自認やセクシュアリティが特殊であっても、玲緒奈はそのことで過剰に思い悩むことなく学校生活を楽しんでいた。それは、今なお校内で語り継がれている第二の伝説の生徒会長・吉川葵の功績に他ならない。勿論始めから性的マイノリティが羽を伸ばして過ごせていたわけではないが、今や学園の人気者は女装家のゲイ、理想のカップルはレズビアンの恋人たちだ。体の性別や古くからの固定観念に囚われないことが至極当然となっている校風は、一部からは非難されている一方で、高く評価する団体や芸能人も少なくない。
 だが、当初の風当りは厳しく、連続殺人事件の舞台となってしまった文化祭のせいで、一時は学園の存続すら危ぶまれた。しかし、そこで『一匹狼』という作家であった吉川葵の先輩・大神(おおがみ)司(つかさ)が追い風を吹かせた。彼は自らがゲイであることを動画で改めて告白したのだ。そのことが明かせなかった学校生活が辛かったこと、父親が起こした強姦事件のせいでカミングアウトを余儀なくされ、発覚した途端クラスメイトからいじめを受けて無念のうちに退学してしまったことなどを赤裸々に語ったその動画に心打たれた人々が意外にも多く、鳳凰学園高校を応援しよう、司のような生徒を救う理想の学園を作ろうという勢いが生まれたのである。
 放課後の部活動が終わる頃には、すっかり日が暮れていた。汗を拭き、制服に着替えた玲緒奈は、宵の明星を目印に西の方へ駆け出す。
「こーんばーんはっ!」
「おっ! 来よったな、レオナ!!」
 部活後の疲れを一切感じさせない声で、行きつけの店であるパティスリー・ル・アブリールの扉を勢い良く開ける。そんな彼女を迎えたのは、二代目オーナーの渡邊達也だった。剃ったばかりなのか、コック帽を乗せた毬栗頭も短い髭も触ったら痛そうである。
「こんばんは、レオナちゃん。久し振りですね」
「あっ! お久しぶりです、葵さん!!」
 店の隅のテーブルに目を遣ると、ベージュのセーターに茶色いスカートというモンブランを連想させる服装の吉川葵が座っていた。淹れたてのダージリンティーに息を吹きかけて、キラキラと光るクリスマスツリーをバックに優しく微笑む。
「お元気そうで何よりです。学校生活はいかがですか?」
「絶好調に決まってんじゃないですか! 吉川葵生徒会長様のお陰様ですよーっ!」
 玲緒奈が満面の笑みで相席すると、それは良かった、と葵も嬉しそうに答える。
「あっ、しまった! 昨日葵さんの最新作読み終わっちゃったから今鞄に入ってないんですよー、サインしてもらえるチャンスだったのにー!!」
「あら! 今時紙の本なんてあまり出版されないのに、買ってくれたんですか? 高かったでしょう?」
「当ったり前じゃないですか、だってクラスのみんなに自慢したいし! バイト頑張った甲斐がありましたよー!!」
 現在、彼女は『日向(ひゅうが)葵』というペンネームで作家として収入を得ている。しかし、紙の原料である木材の伐採が世界中で制限されているため、紙の本は貴重なものとなってしまっている。葵の単行本も、女子高生が気軽に手を出せるような代物ではない。
「それに、アタシのパパとママも登場人物のモデルになってて嬉しかったから! そうだ、百万部ダウンロード突破おめでとうございます!!」
「いえいえ、こちらこそ。ご両親にも、有難うございましたとお伝えくださいね」
「吉川ぁ、わいには何も言うてくれへんのー? わいと吉川の話だってあるんやろー?」
 わざとらしく唇を尖らせ、拗ねた子どものように言い寄りながらワンホールケーキの箱をテーブルに置く達也。しかし、葵は素知らぬ顔をしてダージリンティーに口をつけるだけ。
「さて、何のことでしょうかね?」
「ったく、つれないやっちゃな! ほらレオナ、ご注文の品やで!」
「わぁ、ありがとうございます!!」
 瞳を輝かせて立ち上がり、宝箱のようにそれを大事そうに抱える。それじゃあ、と言って店の扉を開こうとしたが、あることを思い出して立ち止まった。
「ねぇねぇ、達也さんと葵さん、これ行きます!? アタシ、ママと一緒に行くんですけど!」
 指輪型端末に声で指示をして彼女が壁に映し出したのは、バレエ『くるみ割り人形』の公演を告知する映像だった。『バレエ団スワン&リリィ』というオーケストラ直属の団体が主催となっており、日本での記念すべき初公演と謳っている。
「あー、行きたいのは山々やねんけど……」
「クリスマスイブの夜に、ケーキ屋さんが行くわけにはいきませんもんね?」
 意地悪く葵が言い、堪忍したって、と肩を落とす達也。そんな二人の様子を見て、玲緒奈は微笑みながら溜め息を吐いた。
「いいなぁ。アタシ、Xジェンダーでアセクシャルだけど、中年になっても笑って話せる関係って憧れるんだよねー!」
「ちゅ、中年とは何やねん! 人聞きの悪い!!」
「ちゅ、中年とは何ですか! 人聞きの悪い!!」
 達也と葵が顔を赤らめ叫んだのは、ほぼ同時だった。お幸せに、と揶揄うように言い残し、軽い足取りで帰路を辿る。
 『バレエ団スワン&リリィ』は、十年前にパリで結成された。発起人は、世界の舞姫と名高い百合川薫。パートナーでヴァイオリニストである真田良介がそれに賛同し、高校時代にオーケストラ部で部長を務めていた指揮者・白鳥姫子を誘ってオーケストラを編成したのだった。彼らの活動拠点はヨーロッパだったが、十周年という節目を迎え、遂に日本上陸という夢を叶えたのである。
「楽しみだなー! いよいよ、第一の伝説の生徒会長様に会えるんだから……」
 空に浮かぶ三日月を仰ぎ、スキップをして自宅へ向かう玲緒奈。玄関ドアに指輪型端末を翳し、鍵を開け、脱いだ靴を放り投げる。
「ただいまー! ママ、帰って来てるー!?」
 玲緒奈が声を張り上げると、霧崎昌子様から帰りが遅くなるとの連絡がありました、とイヤリング型端末が答えた。
「なーんだ、つまんないの! じゃあもう勝手に始めちゃおっと!」
 勢いよくソファーに腰を下ろし、テレビに話しかける。
「ただいま! 今日の新着メールは?」
 一件ございます、という返答と共に表示された差出人欄には、百合川薫とあった。
『こんにちは。みんな、元気ですか?』
「わーっ! 薫さん、相変わらずキレイ!!」
 ビデオレターなので返事は来ないとわかっていても、思わず両手を振って称賛してしまう玲緒奈。練習前の劇場の控室で撮っているらしく、煌びやかなチュチュに身を包んだ薫の背後には、たくさんの鏡が並んでいる。
『昌子、玲緒奈ちゃん、今度の公演のチケットを買ってくれて本当にありがとう。こっちから送って招待する予定だったんだけど、先を越されちゃったね。会える日を本当に楽しみにしています』
「私も私もー! もう十年ぐらい会ってないもんねー!」
『ところで……ビックリさせちゃうかもしれないけど、伝えたいことがあって……』
「えっ、なになに?」
 少し視線を落とし、遠慮がちなトーンになる薫。芸能ニュースに食いつくように、前のめりになってつい先を促してしまう。
『実は、日本公演を機に、引退しようと考えています。思うように踊れない時が多くなってきて、そろそろ潮時かなと痛感しているので、潔く身を引こうかと……』
「えーっ、そんなぁ!!」
『それと、もう一つ。引退したら、念願の子育てを始めたいと思います!』
「こ、子育てぇ!?」
 目を見開いてオウム返しをすると、画面は別の場所に切り替わった。ある病院の映像らしく、大きなガラスの管の中で、双子の赤ちゃんが眠っている様子が写されている。
『知っての通り、私は子宮頸がんを患って子宮を摘出したので、自分の体で赤ちゃんを産むことができません。でも、科学技術の進歩のお陰で、こうして子供を授かるのが当たり前の時代になって本当に良かったです』
「わぁ、凄い……!」
 病気で子供が産めなくなった、不妊治療が難航している、妊娠・出産というリスクを回避したい、産休が取れない――事情は様々だが、今となっては体外妊娠が当然となっていて、妊婦という存在が珍しくなってさえいる。長い間議論の対象となっていたが、玲緒奈自身も試験管ベビーだったので抵抗は全くなかった。
『右が男の子で、名前は優(ゆう)利(り)。左が女の子で、名前は優(ゆ)利(り)奈(な)です。優利奈の奈は、玲緒奈ちゃんからもらいました』
「わ、嬉しい! お揃いじゃーん!!」
 興奮し、思わずソファーの上で跳びはねる。
『誕生は半年後の予定です。この歳だから、お母さんというよりはおばあちゃんって感じだけど頑張って育てるつもりです……あ、良介くん!』
 画面が控室に戻った直後、視線はカメラから逸らされ、表情は瞬時に華やいだ。三十年経っても、彼女はまだ恋をしているようだ。
『どうした、薫』
『あのね、今、昌子たち宛てのビデオレターの撮影してるの。良介くんも何か言って?』
『何かって……』
 突然参加しろと言われて、困らない者はいないだろう。そう思い同情しながらも、未だかつて対面したことのない噂の人物の顔が見たくなり、期待の余り傍にあったクッションを強く抱き締める。
『……日本もそろそろ寒くなる頃だろう。体調管理には気をつけるように。以上だ』
「色々不器用な親戚のおじさんか!!」
 ソファーの上で倒れ込んだ玲緒奈の叫びが、誰もいないリビングに虚しく響く。
『ちょっと、良介くん! ちゃんと写ってよ!』
『もう時間だ。オケとの打ち合わせをするぞ、団長』
 薫が唇を尖らせても頑として姿を現わそうとせず、彼はそれだけ言って控室から出ていってしまった。そんなぁ、とテレビの前で落胆する玲緒奈。
『ごめんね、相変わらずこういうの苦手みたいで……でも、日本に行ったら必ず会えるから。じゃあね、見てくれてありがとう!』
 バイバイ、と手を振ったところで、ビデオレターは終わった。溜め息を吐き、肩を落としてから、玲緒奈は次の指示を出した。
「パパに繋いで。今すぐ!」
 畏まりました、とテレビが返事をすると、やがて画面に彼女の父の顔が映し出された。短く切っていた髪は少し伸び、髭も生えているが、年齢を感じさせない若々しさは健在だった。その姿を見た途端、彼女に笑顔が戻る。
『よう、レオナ! 元気かー!?』
「元気だよ! パパ、ハッピーバースデー!!」
 用意していたクラッカーの紐を引っ張り、画面越しで誕生日を祝う。彼は、こそばゆそうに笑った。
『サンキュー! でも、せっかくのケーキがぐちゃぐちゃだぜ? 渡邊が見たら泣いちまうよ!』
「いいじゃん別に、食べちゃえば一緒だよ! ま、どーせパパは食べられないけどね?」
『んだよ、自慢するためにわざわざ買って来たのか?』
「まぁね! そんなことよりさ、あれ見せてよ、あれ!」
 お願いします、と言って合掌し頭を下げる玲緒奈。仕方ねぇなと言いつつ、満更でもなさそうに隼人はカメラを窓の外に向けた。
「わぁ……! やっぱり、外から見るとまだキレイだね。地球って!!」
『だろ? 悪くないぜ、月での生活も!』
 隼人は現在、月面基地での任務に当たっている。北極と南極の氷が溶け、数々の島や国が沈み、資源が枯渇しかかっている地球は最早瀕死寸前。海はプラスチックゴミや産業廃棄物で溢れ返り、森林は伐採や火災で大幅に減少。大気も汚染され、酷い地域ではガスマスクをして過ごさなければならない。人類に棲み処を奪われ続けた動物たちは次々と絶滅していったが、無論、諸悪の根源である人類も例外ではない。
そのため、別の惑星での生活が可能であるかどうかの実験として、彼は基地で農作物の栽培や家畜の世話、太陽エネルギーによる発電、活用可能な資源の調査などを行っているのだ。
「月もいいけどさ、もっといい惑星ってないのかな? 地球みたいに、海も陸も植物もあるような……」
『バーカ、そんな都合良く見つかりゃ苦労しねぇよ!』
「わかんないじゃん、そんなの! きっとアタシが見つけてみせるよ!!」
『ほう、言ったな?』
 言ったよ、と得意気に笑う彼女は、かつての隼人と瓜二つだった。
「パパ、あのね! アタシも、パパみたいな宇宙飛行士になりたい! 理想的な人類の移住先を見つけて、ずっと語り継がれる伝説になりたいんだ!」
『伝説か、そいつはいいな!』
「あっ、そうだ!」
 彼女はあることを思い出して突然立ち上がり、自室から本を持ち出した。サインを書いてもらい損なった、葵の最新作だ。
「パパ、これ読んだ!? パパたちがモデルになってるやつ!!」
『ああ、まだ読み始めたばっかだけどな。よく許したもんだぜ、良介のヤツ……』
「チョー面白かったよ!! まずはアタシも、学校の伝説になるべきかな!?」
 そのためにはまず生徒会に入んなくっちゃね、と意気込んだその時、玄関のドアが開けられた。
「あっ、ママ! お帰りー!」
「ただいまー……って、何よこのぐちゃぐちゃのケーキ!?」
 怒り出す昌子、笑って誤魔化す玲緒奈。頬杖をつき、その様子を愛おしそうに見つめる隼人。
『お帰り、昌子。お疲れさん』
「……ただいま、隼人。そっちもお疲れ」
 互いに腕を伸ばし、拳をぶつける振りをして挨拶を交わす。両親が少し変わった夫婦であることを既に知っている玲緒奈だったが、世間という逆風に吹かれながらもその関係を貫いた二人を、彼女は誇りに思っていた。
「それじゃ、改めて乾杯でもしますか!」
 昌子が気に入っている白ワインをグラスに注ぎ、自身はジンジャーエールのグラスを掲げる。
「それでは! パパの誕生日と、『生徒会長は名探偵!』大ヒットを祝ってー……」
 カンパーイ、とご機嫌な玲緒奈の声が、開いていたガラス戸から夜の住宅街に響く。昌子に文句を言われ、慌てて閉めに行く玲緒奈。
 夜空に輝く月を見つめ、未来に思いを馳せながら、彼女はゆっくりとカーテンを閉めた。

関連サービスカテゴリ

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す