2021年11月20日
学習塾リバティ 木村友彦
どんなことでも、何かすると知らぬ間に他の人を踏んづけていることがある。私は踏んづけられるのにこりごりだ。私は「自分が私自身の神ではない」ということに耐えられない。「自由を生きること」で自分の「闇」を克服してきたつもり。実は、子どもたちも大人の足跡だらけだ。
でも、他の人を踏んづける可能性があるからといって何もしないのが一番いいのだとは思わない。周りの人たちや子どもたちが喜ぶように。自分の思い通りにしていてもそうなる。私はそんな修行をしたいと思う。
「子どもは人から言われないと勉強しないよ」と考えるか。「子どもは自分から勉強するようになるよ」と考えるか。
この対立は結論の出ない対立。それを、私は中国の朱子学と陽明学(ともに孔子の教えを研究する「儒教」の双璧)の間の「朱陸論争」から学んだ。私の流儀は決まっている。答えは今の日本の病、教育の病の原因を考えれば明か。大人が変われば子どもは変わる。普遍性のある話。
「自分で決める」ってことを子どもたちと「いっしょに」練習する。「自分でコントロールすることができるようになる」のが一番いいんだ。
自由でないと「精進も忍辱も無限の時間に動くわけにはいかない(鈴木大拙)」と私も思う。私はここから始めようと考えている。