SNSや職場の議論で、「それ、前に言ってたことと矛盾してませんか?」と鬼の首を取ったように指摘する光景をよく目にします。いわゆる「論破」です。
こうした風潮の中で、私たちは今、「常に一貫していなければならない」「間違えてはいけない」という強い強迫観念(呪い)の中に生きています。
しかし、そもそも人間の思考や現実のビジネスにおいて、「完璧で矛盾のない論」など存在するのでしょうか。
1. 「論破」とは、最もイージーで生産性のない悪手である
結論から言えば、この複雑な現実世界において、物事には矛盾があって当然であり、完璧な論など存在しません。
・「成長のために挑戦したいけれど、傷つくのは怖い」
・「部下に任せて育てたいけれど、失敗して責任を取るのは避けたい」
このように、生身の人間の中には相反する感情や論理が常に同居しています。完璧な論が存在しない以上、相手の言葉の端々から「矛盾(ツッコミどころ)」を見つけて叩く「論破」は、知的な勝利などではなく、誰でもできる極めてイージーでズルいゲームに過ぎません。
しかし、この「論破」という悪者が横行することで、私たちは「隙を見せてはいけない」「100%正しいロジックで武装しなければ」と怯え、自分の本音や迷いを口に出せなくなっています。
2. 人類は昔から「無くせない矛盾」に苦しんできた
「間違えるのが怖い」「正しくなければならない」という強迫観念にとらわれると、人は自分の中にある自然な迷いや矛盾すら「ダメなもの」として排除しようとします。しかし、現実の矛盾はどれだけ考えても無くせません。「無くせない矛盾を、無理に無くそうとする」からこそ、私たちは苦しくなるのです。
そもそも、哲学の歴史を振り返っても、人間はずっと「矛盾との向き合い方」に課題を抱え続けてきました。
例えばヘーゲルの「弁証法」という思考法は、対立するAとBという矛盾を「どちらが正しいか(論破)」で切り捨てるのではなく、両方を抱え込んだままより高い次元へ進もうとする試みです。しかし、そうして新しい段階へ進んでも、そこにはまた新たな矛盾が生まれます。つまり、人間が思考し生きる以上、矛盾からは決して逃れられないし、すべてがスッキリ解決する「明確な最終解答」など最初から存在しないのです。
では、どうすればいいのか。そこで役に立つのが、古代ギリシャの懐疑主義や現象学における「エポケー(判断保留)」という態度です。
エポケーとは、物事に対して「これが正しい」「あれは間違っている」と即座に下してしまう判断を、いったんカッコに入れて脇に置く(停止する)ことを指します。
逃れられない矛盾に直面したとき、「どっちが正しいか決めなきゃ」と焦るのではなく、「ああ、今の自分はアクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態なんだな」と、判断を保留(エポケー)してそのまま眺めてみる。
正しさへの強迫観念を手放し、矛盾を「解決すべきバグ」ではなく「人間として当たり前の状態」としてカッコに入れて抱えておくことで、心は驚くほど軽くなります。
3. 矛盾をそのままテーブルに広げる「安全な実験場」
とはいえ、評価や利害関係が絡む職場で
・「実は自分の中で矛盾していまして…」
・「明確な答えが出ていなくて…」
と隙を見せるのは、やはり怖いものです。頭では理解していても、現場ではつい「正しい答え」を取り繕ってしまうのが人間です。
だからこそ、絶対に論破されず、一貫性も求められない「対話の実践」が必要になります。
・「さっきと言っていることが違ってもいい」
・「明確な答えが出なくても、誰もあなたを責めない」
こうした安全な環境で、自分の中にある「無くせない矛盾」をそのまま言葉にしてテーブルの上に広げてみる。その実践を繰り返すことでのみ、「間違えてはいけない」という呪いは少しずつ解けていきます。
もし今、正しさの強迫観念に疲れ、「自分の本当の気持ちが分からない」と苦しんでいる方がいれば、ぜひ一度、白黒つけない対話の場に身を置いてみてください。
■ 矛盾を抱えたまま話せる「実践の場」として
私がご提供している対話サービス(1on1など)は、綺麗なロジックや「正しい結論」を求める場所ではありません。
「正しさ」の判断をいったん保留(エポケー)し、あなたの中にある逃れられない矛盾や迷いを、そのまま安全に吐き出すための実験場です。鎧を脱いで思考を整理する場として、ぜひ気軽に活用してみてください。