🔮女教皇 逆位置
🌟全てわたし
・ナーバス、迷いも受け容れる
・"私"を主張してもいい
→溶け込む必要はない
・背負ってきたものにも意味がある
→執着にも価値
📖誰にでも理想像があると思います。
理想の私
その姿が遠く感じられると
現実の自分自身を認めたくなくなるものです。
しかし、現実の今を生きるからこそ
その先に理想を描くことができるもの。
憧れも焦燥も
過去から続く今が無くては描けませんよね。
思うようにいかない事に目が向いても
ナーバスでピリピリしてしまうことがあっても
たとえ、理想の完璧な自分で居られなくても
あなたという存在が否定されるわけではありません。
高い理想像に辿り着けない…と心が折れそうなら
その折れそうな心ごと
あなたはあなたで在ることを認めれば良いのです。
無理に強く振る舞う必要はないし
悔しいなら悔しがれば良い
等身大の自分自身をただそのまま感じてみるのも
悪いものではありません☺️
ついつい理想や未来に目が向いてしまいがちになりますが
今日は足元、今の自分に意識を向けてみましょう。
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女教皇の被り物、
冠(?)の丸い飾りが目に留まりました。
「完璧で無くてはいけない、欠けてはならない」
そんなイメージが浮かび
そこから後ろの柘榴のタペストリーに視点が動きました。
柘榴のタペストリーが無かったら
女教皇は背景の青と同化してしまいますよね。
着ているものと同じ色の青い壁
それをパキッと分けているのが柘榴のタペストリー。
なんとなく女教皇のキャラクター的に
こんな柄柄したものは好みそうもない…と私は思うのですが
それは勝手な私の視点。
彼女にとっては大好きな柄でお気に入りのタペストリーかもしれない。
そんな想像が膨らみ、
『周りから見る姿や理想像と現実が違っても良いじゃん!』
という解釈になりました。
職場でみんな同じスーツだとしても
自分のデスクでは個性出していく!
…みたいな。
例えば、
いかにも仕事ができそうな人のデスクが、可愛い小物で溢れているとして、、
イメージや想像とは違っていたとしても何の問題も無いわけです。
周囲の目も自分が自分に向ける目も
良くも悪くも裏切っても良いのでは?と思います。
別に、いつ何時でも期待に応えなくてはいけない…!
と言うわけでもないはず。
思い描く姿でないのだとしても
私は私だからとりあえずそれで良いのです。
今が認められないと、
未来へも進みにくいですからね😆✨