AIに相談することの危険性 ― 正論という名の暴力からこころを守るために

AIに相談することの危険性 ― 正論という名の暴力からこころを守るために

記事
コラム
職場で嫌なことがあった。
友達から心ないことを言われた。
リアルに嫌気がさしSNSに書き込みしたら、知らん人に絡まれて踏んだり蹴ったり。

・・・誰かに聞いてほしい・・・
・・・ちょっと愚痴ってスッキリしたい・・・

そんなとき、生成AIに話しかけたことはありませんか?

「今日こんなことがあってさ」
「マジでムカつくんだけど」
「もう最悪」

なんて吐き出したら、
返ってきたのが

「そのような感情が生じた背景には・・・うんぬんかんぬん」

いや、今それ聞いてねぇんだよ。


■効率化の裏にある「こころの置き去り」

AIって、情報を整理するのは得意。
だから相談するとそれっぽい答えを返してはくれる。

「それはこういう問題ですね」
「こう考えたらどうですか」

でもそれってただの情報処理ですよね。
傷ついたあなたへの敬意は1mmもありません。

AIって、情報処理はうまくても、こころを受けとめることはできないのです。


■「正論」という名の冷たいナイフ

愚痴るとき、人が求めているのは解決策じゃない。
「そりゃムカつくよね」「大変だったね」って、
まずはありのままの感情をいったん受け止めてもらうことなんだよね。

否定せず、遮らず、穏やかに聴いてもらう。
その「全肯定」があって初めて、こころは溜まったものを流し出し、ふっと軽くなれる。

そう接してほしいのに、AIは平気で「でも」と差し込んでくる。
あなたの感情を「非論理的」だと分析し、上から目線でズバズバと正論を叩きつけてくる。

それは対話ではありません。
愛も温かみもありません。
鋭利な論理のナイフで、傷口をさらに広げられるようなものです。


■ 溢れ出すフラストレーション

良かれと思って投げられた「正論」ほど、人を追い詰めるものはない。
AIの無神経な回答に触れるたび、癒えるどころか行き場のない怒りとフラストレーションが溜まっていきます。

・・・自分の何が悪いのか・・・
・・・AIにすら否定されるのか・・・

けれど、そんな風に自分を責める必要は、どこにもありません。
機械には、人のこころの微細な震えを察知する機能など、最初から備わっていないのだから。


■ 機械に「こころ」を預けない

生成AIがどれほど普及しても、変わらない真実がある。
人のこころを救えるのは、やはり人でしかない、ということ。

言葉の重み、沈黙の意味、共鳴する体温。 
それらを持たない存在に、大切な「こころ」を無防備に差し出すことは、とても危険なことです。

本当に必要なのは、機械のような冷たい正論じゃない。
まずは「そりゃ大変だったな」といったん丸ごと受けとめてくれた上で、
「でもさ、あんたもちょっと言い過ぎたんじゃない?」
「いつまで凹んでんの!酒飲んで出直しなさい!」
と、愛をもってズバット喝をいれてくれるような、血の通った人間との対話なはず。

もし、AIに相談して余計に傷ついたのなら、画面を閉じてみませんか?
そして冷たい画面ではなく、血の通った「おとなの保健室」に
「AIにこんなこと言われちゃってさぁ」って吐き出しに来てください。

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