①「歌の因縁を説くという、抒情的であると同時に叙事的な動機のうちに成立した、教訓的な歌物語の集積のなかから、その教訓的な意図が、おのずから理想的人間像の形成への自覚を生み落とすのである。そして、そのような人間像は、「もののあはれ」を知る貴族ということに外ならなかった。光源氏が生み出される必然性は、『伊勢物語』のなかに胚胎(はいたい)している。」(山本健吉『古典と現代文学』)
②「「二条の后」と呼ばれた藤原高子(たかいこ)は、太政大臣・藤原長良(ながら)の娘である。第五六代の清和天皇との間に、第五七代の陽成天皇を生んだ。これが、系図上の事実である。…
伊勢物語は、男性である業平の視点から描かれている。「高嶺の花」である藤原高子が、いったんは自分の恋の相手となったのだけれども、それが永遠に自分の手もとから去ってしまったという「喪失感」が何度も何度も語られる。井戸のように、男の心にぽっかりと空虚な穴をあけた欠落感が、言ってしまえば伊勢物語の主題である。…
「二条の后」の生涯を簡潔に要約してみよう。清和天皇の后でありながら臣下の在原業平と密通し、罪の子をみごもり出産してしまう。あまつさえ、その罪の子を次の天皇の位に即(つ)けてしまう(陽成天皇)。これは、どこかで読んだ記憶のある人生である。そう、源氏物語の最初のヒロインである藤壺(ふじつぼ)の人生そのままではないか。…
九段で、業平は東下りの旅に出る。八橋(やつはし)でも、宇津(うつ)の山でも、富士の山でも、隅田川でも、彼は目に触れる植物・山川・動物によって都に残した二条の后をしのぶ。これは、光源氏の須磨・明石流離の原型である。天皇の后と男女関係の過ちを犯した男性は、都を追放されて、はるかなる異界を普通は三年間、さすらわなければならない。…
東海道を移動しつづける業平と、須磨・明石に居つづける光源氏とは対照的だが、「流謫(るたく)の地」へとだとり着く途中の流され人の「末期(まつご)の目」を視点として描かれた旅の文学が東下りであり、流謫の地へとたどり着いた沈淪(ちんりん)の日々を描いた旅の文学が須磨・明石巻なのだろう。業平の東下りは、『平家物語』や『太平記』で確立し、近松門左衛門の心中物で極限まで達した「道行文(みちゆきぶん)」という表現形式の実質的な濫觴(らんしょう)なのである。」(島内景二『源氏物語と伊勢物語 王朝文学の恋愛関係』~この本は衝撃的です。是非入手しましょう。)
③「紫式部の創作した源氏物語は、基本戦略として伊勢物語の骨格をそのまま踏襲している。在原業平が経験した多種多様な恋愛絵巻が伊勢物語だったように、光源氏の華麗な恋愛遍歴を語るのが源氏物語だからである。
ただし、野心的な文学者だった紫式部は、個別的恋愛をその場その場で語る散発的な短編ではなくて、大波がうねるような長編を書く新しい試みに挑戦した。全部で一二五段からなる伊勢物語を、たった一つの章段へと書き換えて源氏物語を執筆したのである。むろん源氏物語は五十四帖からなるので、ミクロコスモス的には五十四個の短編の集合体であるとの見方もできる。しかしマクロコスモス的に観察すれば、源氏物語の最大の魅力が光源氏というただ一人の人間性の成熟と変貌のプロセスにあることは、誰の目にも明らかだろう。
伊勢物語では章段間の接続がパサパサしていて、ある時には緊密な全体性が見失われてしまいかねなかった。互いに矛盾するような内容の章段も、平気で併存している。源氏物語は、一本の強靭な構想の糸によってネバネバとした長編となったのである。けれども、長編である源氏物語ですら、「男と女」の恋愛関係が波紋として巻き起こす喜怒哀楽の感情を精緻に描くものであるがために、基本的発想は伊勢物語を越えることはなかった。すなわち、「伊勢物語十二の愛」は、光源氏の恋愛模様(ラブ・アフェア)に大いなる影響を与えたのである。
源氏物語は、伊勢物語の長所を貪欲に取り込みつつ、そのうえで伊勢物語の内包していた欠陥を修正しようとした。紫式部という文学者は、一筋縄ではいかない。
今は、源氏物語の作者のような天才ですら「伊勢物語に書かれていない愛の様式」をほとんど開発できなかったという点を強調しておきたい。臣下の男性と天皇の后との不義密通の恋にしても、俗人の男性と神に奉仕する処女(尼を含めてもよい)との宗教的タブーを乗り越えた恋にしても、既に伊勢物語で典型例が確立していたのである。だから、源氏物語の愛読者は、そこに登場している女君たちのほとんどすべてを「伊勢物語に当てはめれば○○だな」と同一化できる。
愛の様式だけではない。光源氏の前半生最大のターニング・ポイントである須磨・明石への旅立ちは、伊勢物語九段で語られていた在原業平の東下りの換骨奪胎である。伊勢物語は短編だから、ダイナミックなストーリー展開能力はその短い章段の内部だけでしか有効に機能しない。むしろ、めまぐるしく流転するストーリーではなく、ふと立ち止まって思索する(恋して苦悩する)男の一瞬一瞬の「思い」を和歌として結晶させようとする。ストーリーの流れを中断させて静止させた「写真」のような切断面が、伊勢物語にちりばめられている珠玉の和歌なのである。
源氏物語は長編であるから、「光源氏の一代記」を完成させるために、ストーリー展開能力を全面的に作動させる。なおかつ、ある場面ある場面での男と女の瞬間的な思いをも、適切に挿入してある和歌によって静止画面で析出しようとする。かなり欲張った考えだから、相当に「剛腕作家」でないと、この試みは失敗する。それが、源氏物語以後に、「伊勢物語と源氏物語の亜流」ばかりが量産されてしまった理由である。
日本文学は、この二大傑作の不肖(ふしょう)の子だらけの観がある。伊勢物語が開発し源氏物語が完成させた「恋愛文学における新機軸」の黎明期が過ぎ去ったあと、待望久しかった恋愛文学のルネッサンス期は、まったく別の構成原理をもつ西洋文学が怒濤(どとう)のごとくながれこんだ明治時代まで待たねばならなかった。
それはあまりにも長く日本人を縛りつづけていた古典様式の破壊へとつながった。「古典の再生」ではなく、「古典の否定」へと近代文学者は突っ走った。その反省が、昨今の「古典ブーム」となっているのだろう。」(島内景二『源氏物語と伊勢物語 王朝文学の恋愛関係』)
④「小野小町は、丹治成里(たんじなりさと)の没後はしばらくは色っぽい心は絶え果てておりました。しかし、またまた昔のような「世心」が湧き起こってしまったのです。そして、どうにかして自分を心から愛してくれるやさしい男の人と逢いたいものだという気持ちをほのめかしたのです。
継子二人は、父親の遺言を守った立派な人間だったのですが、小町のあまりの常識はずれの願いを知って、「何と不謹慎なことだ。それにしても、七十歳間近の老女の口にするせりふではないなあ」と言い捨てて、部屋を出てしまいました。
三男は、小町の実子ですから、彼女の心が身にしみてよく理解できます。彼はもともと、「お母さんは若い頃は絶世の美女で、男たちからちやほやされていた。だから、今でもその頃のことが忘れられないのだろう」と思って、「どんな男の人であってもお母さんに逢わせてあげたいな」と、心の中では考えていたのです。けれども、その願いが実現せずに時間が経って、今日にいたったのです。
三男息子は、小町の告白を聞いてから、つくづくと母の願いの深さを理解できました。そして、「こうなれば、女性に対して情け深いと評判の在原業平様におすがりするしかない。業平様は、美しくない女性であっても、決してその心を踏みにじることもなく、心からあわれと思って同情してくださるにちがいない。お母さんの老い衰えなさった容貌も、この業平様だけはお情けをかけてくださることだろう」と決心しました。
ちょうど折しも、在原業平が嵯峨野に鷹狩りのために逍遥(しょうよう)していましたので、三男息子は業平の乗った馬の口に必死に取り付いて、「心からのお願いがございます。わたくしの母親が、かくかくしかじかのありさまなのですが、ぜひとも業平様にお救い願いたいのでございます」と直訴に及んだのです。そして、業平と小町を逢わせることに成功しました。かくいう出来事が元慶(がんぎょう)元年のことですので、小野小町は六十九歳、業平は五十三歳、田村三郎成忠は当年とって十八歳のことです。」(『和歌知顕集(わかちけんしゅう)』~最も古い伊勢物語の注釈書とされます。)