スピリチュアルに詳しい方や興味のある方なら一度は聞いたことがある、「魂の成長論」。
「自分に起こることは全て魂の成長に必要なことである。
生まれる環境も魂が成長のために自分で選んでいる。」
と、要約するとこのような理論です。
私はこの理論を、半分信じて半分は信じていません。
人生に起こることは、成長のために必要なことと、必要ではないこともあると思います。
後から振り返って、「あの時は辛く苦しかったけど、でも自分のためになったし勉強になったな」と思えることは成長のために必要なことだったし、
逆に、生活に支障が出るほどのトラウマや大きな心の傷、自己肯定感の著しい低下を伴う経験は必要ないものだと思います。それは精神的な病気や自殺にも繋がりかねませんし、そうなったら成長どころではないと思います。
さて、この魂の成長論は、突き詰めていくととても危険な思想と言えます。
信じる信じないは自由ですが、「これが人類全員にとって絶対的に正しいことだ!」と、盲信して周りに押し付けたり、信じない人を攻撃するのはやめてくださいね。
スピリチュアルは宗教のようなもの。
絶対に正しいものではなく、信じている人にとっては正しい、というだけものです。
私もこの魂の成長論には異論を唱えますが、これは私の思想であり、魂の成長論を信じている方を批判しているわけではないことをご了承ください。
どうして危険なのか、お話していきます。
「魂の成長論」は加害者を肯定し、被害者を責める思想だから
虐待やいじめ、犯罪の被害者になった人達に対し、
「魂がそういう人生を選んで生まれてきている。
自分に必要なことを引き寄せている
虐待やいじめに遭うことは彼らの成長のために必要なこと」
と、魂の成長論を信じる人は言います。
さらに、
「被害者は、加害者のしたことを許すことで、幸せになれる」
と言います。
これは、私が魂の成長論を信じる人に実際に言われた言葉です。
しかしこれは、虐待やいじめ、犯罪などを肯定し、
「被害者はそれを選んだのだから自業自得」
「被害者が引き寄せているんだから被害者のせい」
「被害者の成長のために行動してくれた加害者に感謝すべきだ」
「加害者側も、加害者になることで成長に繋がるんだから、悪くない」
という発想を生んでしまうことに繋がります。
要するに、加害者は被害者の魂の成長を助けたヒーローで、全て被害者のせいになるんですね。
そして、虐待もいじめも犯罪も、加害者の成長のためにも被害者の成長のためにも必要なことだと。
これはあまりに加害者にとって都合が良すぎる話です。
犯罪すらも善行としてしまうこの思想は、とても危険です。
これが当たり前になると世の中はどうなるでしょうか?
虐待される子どもが助けを求めても
「あなたの成長のためにご両親は暴力を振るっているの。成長のために受け入れなさい」
と助けてもらえなくなり、いじめも同様に助けてもらえなくなりますね。
犯罪が起きても、「これは被害者側にも加害者側にも成長のために必要なことだった!」と、加害者は無罪放免。
むしろ被害者を成長させてくれてありがとうと加害者は感謝されます!
もっと言うと、貧困や飢餓、紛争で苦しんでいる発展途上国の人達も、彼らの魂の成長のために必要な経験だから助ける必要がない。
弱者や被害者を救う法律や機関が必要なくなりますので、警察はいらない、裁判所も必要ない、医療や福祉も必要ない。
だって弱者や被害者を助けたら、彼らが成長できませんから。
そして、魂が生まれる環境を選んで生まれてきているのなら、不幸な家庭環境に生まれた子どもは助けてはいけないことになります。
それが魂の成長に必要なのですから、助けられて幸せになっては成長にならないんですよね。
もう、加害者になったもん勝ちの世の中です。
相手を傷つけたって、それは相手の成長のために必要なことだからと全て正当化されますから。
悪いのは、引き寄せている被害者ですから!
被害者の魂が未熟だから、傷つけて成長させてあげないといけないんですから!
傷つくのは被害者が未熟で、受け入れられないせい!傷つけた加害者は悪くない!
魂の成長論は、突き詰めるとこういう結論になるのですよ。
…いやいや、おかしいですよね?
魂の成長論が世界のスタンダードになったら、世界は滅ぶでしょう。
このように、魂の成長論は突き詰めると加害者側に得がある思想であり、むしろ加害者側の人間が自分の行いを正当化するために作った理屈なのではないか、とすら思います。
実際に、スピリチュアル系のかたに魂の成長論をごり押しされ、こういった意見を伝えたところ、
「それは私に言われても困ります、私は宇宙からのメッセージをお伝えしているだけですから」という回答をいただきました。
はっきり答えられないということはそれだけ、理論としてもはっきりしておらず、魂の成長論を信仰している人は都合のいい面だけを見ているということでしょう。
また、多くの人々を救い幸せにする思想でもないのでしょうね。
魂の成長論は万能ではない
結局のところ、つらい出来事が魂の成長になる「場合もある」というだけです。
あらゆるケースに当てはまるわけではありません。
引き寄せの法則も、「引き寄せる場合もある」というだけです。
引き寄せていたとしても、自分一人で引き寄せているわけではないことも多々あり、一概に「被害者のせい」とは言えないのです。
むしろ身の回りで起こることは、自分で何とかできるわけではないことがほとんどです。
全部自分の責任と考えるのではなく、自分で変えられる部分を変える、と切り替えるのが大事なのではないでしょうか。
魂の成長論の矛盾
「魂は生まれる環境を設定して生まれてくる。
だから、虐待にあう人も、貧困家庭に生まれてくる人も、
魂がその人生を選んで生まれてきているのだ」
と、魂の成長論を信じる人は言います。
が、普通に考えておかしいですよね。
人の生命が誕生するのは、親である人間が行為をして産む選択をしたから誕生するわけです。
何もしていないのにある日突然懐胎するわけじゃないですし、急に産まれてくるわけではありません。
なのに、「生まれてくる側が選んでいる」とは…?
生まれてくる側が選択しているってどういう機序なのでしょう?
天国の魂が生まれたい環境に生まれるために、親になる人を選んで、その人たちの環境や人生、妊娠するタイミングを操っているのでしょうか…?
だとしたら魂の成長論を信じる人たちが言う「自分の人生は自分ですべて引き寄せている」説に矛盾しますよね。
人は皆幸せになるために生まれてくる
虐待も犯罪も、いじめも、飢餓も貧困も、あってはならないことで、なくす努力をしないといけないことです。
そして、人はみんな幸せになるために生まれてきており、幸せになる権利があります。
人は、本来生まれてくる環境を選ぶことはできません。
わざわざ不幸になる環境を選んで生まれてきたりはしません。
理不尽な不幸から逃げたり、抗うことの何が悪いのでしょうか。
幸せになろうとして何が悪いのでしょうか。
そして、「理不尽な攻撃」に関しては、悪いのは、100%加害者です。
被害者は自分の身を守る必要がありますが、それでも100%身を守れるわけではありません。
なので、身を守れなくても被害者のせいではないのですよ。
身を守れなかった=被害者のせい、ではありません。
全て被害者のせいだ、という発想は世の中の治安を悪くします。
成長という言葉で全てを肯定してはいけません。
魂の成長論は信じても信じなくてもOK
繰り返しになりますが、辛い出来事が魂の成長になる「場合もある」だけで、すべての出来事がそうではないですし
魂の成長論は信じる人にとっては真実でも信じていない人にとってはそうではない、というものであり絶対的に正しいものではありません。
魂の成長論を盲信し、魂の成長論を信じない人を批判する人に言いたいです。
あなたがたは「魂の成長論は宇宙的視点だ」などと言うのですが、
加害者を肯定して被害者のせいにすることが宇宙的視点ですか?
だとしたら、宇宙は人間を滅ぼそうとしているのでしょうね。
また、「傷つくのは、受け入れられないせいだ(傷つけた人は悪くない)」と言いますが、即座に全てを受け入れられる仏のような人間なんてほとんどいませんし、誰だって受け入れられないことがあるのは当然ではないでしょうか。
魂の成長論を信じるも信じないも個人の価値観に過ぎませんので、押し付けないでいただきたいものです。
虐待やいじめ、犯罪などの被害者になった方は、魂の成長論を鵜呑みにして「自分のせいだ、自分が選んで引き寄せたことなんだ」と自分を責めないでください。
あなたは悪くありません。
あなたは自分の幸せだけを考えればよいです。
また、自分の加害行為を正当化する人ほど、自分が被害者になると騒ぐものです。加害者の言い分を真に受けれはいけません。
被害者側の人間でも、魂の成長論を信じて救われた人もいるかもしれません。
だからといって、全ての被害者がこの理論を信じなければならないわけではありません。
信じるも信じないも自由ですが…
スピリチュアル系の思想というのは、この世の絶対的な真理ではなく、「宗教」のようなものなんです。
信じている人にとっては絶対的なものだけど、信じていない人にとってはそうではない。
スピリチュアルや宗教を信じていなくても幸せな人はたくさんいますよね。
そういうものですから、全て信じる必要はないのです。
魂の成長論を信じて救われる人はそれでよいと思いますが、それを周りに押し付けるものではありません。
それで被害者を弾糾したり、加害者を正当化するのはもってのほかです。
何を信じるかは自由です。
しかし、自分の信じているものを人に押し付けたり、それを理由に人を傷つけるのは違いますよ。
ゆるスピリチュアルのすすめ
スピリチュアルは絶対信じてはいけないということではありません。
キリスト教徒ではなくても、イースターやクリスマスを楽しむように、いいなと思うところだけを取り入れればよいのです。
共感できるところだけを取り入れて楽しむのが、スピリチュアルとの良い付き合い方かなと私は思います。