以前、いわゆる「見えないものが分かる」と話す人の仕事を手伝っていたことがある。
一緒に行動している中では、今でも簡単には説明できない出来事を何度か経験した。
その場にいた複数人が同時に具合を悪くしたり、僕自身が空間に強烈な違和感を覚えたり、出どころの分からない匂いを感じたり。
もちろん、すべてに現実的な原因があった可能性もある。
疲労、環境、集団心理、そのほか僕が気づいていない何か。
だから僕は、それらを「霊的な現象だった」と断定するつもりはない。
反対に、全部が思い込みだったとも断定できない。
僕が気になったのは、その先だった。
「何かを感じた」と「その意味が分かった」は同じなのか
説明できない出来事が起きる。
すると、その意味を説明する人が現れる。
「これは○○だから起きた」
「こういう意味がある」
「自分には分かる」
そう言われると、不思議な出来事そのものが、その説明の正しさまで証明しているような気がしてくる。
でも、よく考えると別の話だ。
何かを感じ取る能力が本当にあったとしても、その人が意味まで正しく解釈できているとは限らない。
何かが見える人でも、見えたものを読み違えることはあるかもしれない。
直感が鋭い人でも、そこへ自分の思い込みが混ざることはある。
能力があることと、その人の判断を全面的に信頼できることも同じではない。
これは占いにも、そのまま当てはまると思っている。
占いでも「分からないこと」を物語で埋めない
占星術では、一つの配置に複数の現れ方があることが珍しくない。
仕事として現れることもあれば、人間関係として現れることもある。
強い変化が出ていても、それが何を意味するのか一つに絞れない場合もある。
そんなとき、占い師が一番やってはいけないのは、空白をもっともらしい物語で埋めてしまうことではないかと思う。
「こうなる」と言い切った方が、それらしく聞こえる。
何でも分かるように振る舞った方が、すごい人にも見える。
でも、本当にそうなのだろうか。
僕はむしろ、
分かるところは分かると伝える。
複数の可能性が残るなら、残っていると伝える。
今の方法では判定できないなら、判定できないと伝える。
その方が占いを現実の判断材料として使いやすいと思っている。
能力より、その扱い方
霊感でも占術でも、何らかの能力がある人は実際にいるのかもしれない。
僕自身、すべてを否定できるほど世界のことを知っているわけではない。
ただ、もし能力があるとしても、それだけで人格や判断力や倫理観まで保証されるわけではない。
そして他人には確認しにくいものを扱うからこそ、「自分には全部分かる」という万能感には慎重でいた方がいい。
これは他人についてだけではなく、占いを仕事にしている僕自身にも言えることだと思っている。
見えないものを扱うなら、自分の解釈まで絶対視しない。
分かったことと、まだ分からないことを分ける。
僕はそんな姿勢で鑑定を続けたいと思っている。
鑑定について
星に出ていることは読む。
複数の可能性があるなら、その可能性も残す。
読めないことまで、それらしい答えを作って埋めることはしない。
未来を言い渡されるためではなく、自分が今どこにいて、何を選べるのかを別の角度から確認するために占いを使いたい方へ。
現在受付中の鑑定は、プロフィールの出品サービスからご覧いただけます。