痰壺

記事
コラム
2025年 7月8日 火曜日

今日の動画については
内容として同時投稿にしましょうか。

父方の田舎は四国・徳島県で
瀬戸内海を宇高連絡船で渡り
丸一日を掛けての移動でした。
特に四国へ渡ってからの列車移動は
時間の速度が遅くて
小学生低学年だった頃は暇で 暇で
只々、座席に座っているだけの
車窓になど興味を見っていなかった私には
時間の
人生の無駄使いにしか思えませんでした。

今だったら?
何かしらの楽しみを持てるのでしょうか?
まぁ、時代も変わり
移動時間も短縮されているかも?

三好郡三好町 箸蔵駅でしたか?
そこからタクシーに乗って30分以上
山の天辺まで登ります。
正直 運転手さんが怖がっていました。


今の暮らしぶりは知りませんけれど
当時は山奥の湧水を自前の管で引いて
又は、
ポンプ式の井戸から地下水を汲み上げて
全ての生活用水にしていました。

お風呂は薪を焚いての五右衛門風呂で
底敷きの板が無いと 入れません。
風呂釜は鉄製なので 熱いから。

農耕用の牛
お乳用の山羊
たまご採集用の鶏
牛の世話はしました。
身体を洗ってあげると
尻尾を振って 喜んでいました。

私が乳児の頃は
山羊の乳を飲んで育てられたそうです。
たまごは勿論の事、
鳥関係の料理にも使われた鶏。

歩いて五~六分の処が燐宅で
そこも似たような環境でした。
周りは煙草の畑で
夏休みには煙草の葉っぱを干して
出荷する作業をされており
邪魔な存在の私(児童時代)は
納屋とか山の中を駆け廻っていました。


当時の呼称は「ぼっとん便所」
排泄物を「肥」と呼び
畑近所には「肥溜め」が備えられており
私の記憶には無いけれど、
肥溜めに落ちた私の事を
事ある毎にネタにされて笑われていました。

トイレットペーパーなんて存在せず
野山の葉っぱで拭いたり
切られた新聞紙をグシャグシャにして
柔らかくしての拭き取り です。
確かにアレは私でもストレスで
若かった頃の母も相当なストレスで
田舎へ出向いた記憶は少ないです。

その母が田舎では義理の母から
相当な「いじめ」を受けており
その仕返しを私が受けていました。
嫁と姑 私には地獄でした。
だから、
男衆は厨房に入れなかったんです。
男子、厨房に入らず・・。


私には(父方の話ね)父が居て
祖父が居て
曾祖父も居て
祖父は髪が多く
父も髪は多く
私も多いです。
富士額の お蔭でしょうか?
只、
曾祖父はスキンヘッドなので
隔世遺伝が何処で爆発するのか?
楽しみですね。

と まあ此処までは背景の事に終始。
この辺りから本日の核心へ・・。



私には父方の従兄弟が二人
兄と弟
その兄とは同じ高校で寮生活
兄の紹介? で
その学校を知り 選択しました。
尤も、
選択したのは母でしたけれど。

兄は活発系で
動き回るのが好きみたい、
私とは逆のタイプですね。
移動するのにも
最短距離を重んじるような処が見られ
周りの者が迷惑する事も多々有りました。

曾祖父の居場所は決まっており
一日中ソコに座っているような日も
印象としては強く記憶に残っています。
歳も歳なので
喉の通りが引っ掛かる時も多くて
蓋付きの小瓶? 壺を
座布団近くに置いています。

朝一番には
女衆の誰かが空にして
元の場所へ戻しています。
ソレを兄が
最短距離移動の真っ最中
足に引っ掛けて
引っ繰り返して
中味が 辺り一面にドバドバ~ッ!

目の前で展開された光景を
私は目の当たりにしたのですが
その限られた瞬間の映像が
記憶から飛んでしまっていて
想い出してしまう事は無いのですが
事実関係は明確に憶えています。

その場から逃走を図ろうとした兄を
「こら~!」と
女衆の誰かが停めました。

当時の事です。
ビニール袋とか
ビニール手袋とか
ティッシュとかは存在さえしません。
素手?
皆さん 想像して下さい その光景を、
私は記憶から削除されています。
絶対に見ていた筈なんですけれど ね。

いつか皆さんと共有したいと思って
今日まで温めていたネタです。
読み返して 楽しんで下さいませ。

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