最近、廃墟や心霊スポットを扱った動画を見る機会がありました。
不思議な世界の話というものは、怖さを感じながらも、なぜか惹きつけられるものがあります。
私自身、密教を学ぶ者として、目に見えるものだけが全てではないという世界観の中で修行をしてきました。
そんな中、ある動画を見ていた時のことです。
その後、家の中で何とも言葉にしにくい出来事がありました。
玄関ホールのあたりから、誰かがいるような気配を感じたのです。
最初は気のせいかとも思いました。
しかし、どうにも存在感があり、落ち着かない。
しかも、そこを通ってシャワーを浴びるという時でした。
ただでさえ背後の気配というものは苦手なのに、こちらは何とも無防備な状態です。
(こちらは無防備な姿なので見られてる羞恥感で少し腹立たしくもありましたが笑)
「これは落ち着いて話をしたほうがいいな」と思い、少し強めに距離を取らせていただきました。
「私に何をしてほしいのか、分かるように伝えられるのであれば考えます。今は外で待っていてくださいね」
そう伝え結界を張りました。
その後、ひとつ感じたことがあります。
もし、何か伝えたい思いがあるのだとしても、ただ恐れるだけでは何も変わりません。
そして、言葉にできない苦しみや思いがあるのなら、必要なのは争うことではなく、静かに向き合うことなのかもしれない。
そう思い、シャワー後、ご本尊である不動明王様の御前に座り、供養の気持ちを込めて読経をさせていただきました。
その後、静かに気配は消えていきました。
今回の経験を通して、改めて感じたことがあります。
見えない世界というものは、興味本位で近づくものではないのだと思います。
目に見えないからこそ、私たちには分からないこともあります。
だからこそ、面白半分に触れるのではなく、敬意を持って距離を保つことも大切なのではないでしょうか。
心霊スポットや不思議な話に興味を持つこと自体が悪いわけではありません。
しかし、そこにあるものを「楽しむもの」「消費するもの」として扱うのではなく、そこに関わるものへの配慮を忘れてはいけないのだと思います。
「もっと知りたい」
「もっと見てみたい」
そういう気持ちが、知らず知らずのうちに自分から近づいていくことにつながる場合もあります。
見えない世界だからこそ、距離感や敬意が大切なのだと思います。
そして、もし何か不安を感じることがあった時。
特別なことを探す前に、まずは日々の暮らしを整えてみてください。
朝起きたら、カーテンを開ける。
窓を開け、新しい空気を入れる。
少しでも太陽の光を浴びる。
そして、自分の命につながるご先祖様へ感謝する。
(心を込めて供養すれば、ご先祖様は助けてくださいます)
当たり前に感じる日々の中にこそ、心を整える大切な行いがあります。
何かを恐れるよりも、感謝の心を忘れないこと。
見えないものと向き合う時ほど、自分自身の足元を大切にすること。
それが、私たちにできる一番身近な修行なのかもしれません。