舞台を一本上演するには、規模にもよりますが、150万円から200万円ほどのお金がかかります。
会場費、稽古場代、舞台美術、照明、音響、衣装、小道具。公演を知らせるための宣伝にも費用が必要です。
しかし、小劇団の資金は潤沢ではありません。
限られた人数で、自分たちにできることを回していきます。舞台セットを作り、大道具や小道具をそろえる。役者も、自分の役だけに集中していればよいわけではありません。
一つの芝居には、何人もの登場人物がいます。
十人以上の役者が出演することもありますが、すべての役に代役を用意できるほどの余裕はありません。
もし、出演者の一人が何らかの事情で舞台に立てなくなったら、その役をすぐに誰かと入れ替えられるとは限りません。
たった一人が欠けただけで、芝居そのものを上演できなくなることもあります。
公演が中止になれば、それまで費やした時間や労力だけでなく、150万円、200万円というお金が簡単に飛んでいきます。
社会人として長く働いてきた今、その怖さがよくわかります。
大きなお金が動く計画には、普通なら予備の人員や代替案を用意します。何かが起きても全体が止まらないように、あらかじめ備えます。
けれど、当時の私たちには、そこまでの余裕がありませんでした。
誰か一人に何かがあれば、公演そのものが止まりかねない。その状況で、毎回、本番の日を迎えていました。
考えてみれば、ずっと綱渡りをしていたようなものです。
それでも私は、一度も本番に穴をあけませんでした。
当時は、舞台に立つと決めた以上、本番に出るのは当然だと思っていました。
しかし、今になって振り返ると、それは決して当然ではなかったと思います。
どれほど気をつけていても、自分ではどうにもできないことは起こります。それでも公演は続き、私は毎回その舞台に立っていました。
もちろん、自分一人の力で成し遂げたことではありません。
一緒に舞台を作った仲間がいて、それぞれが自分の持ち場を守ったからこそ、公演を続けることができました。
一度も穴をあけずに舞台に立ち続けられたことは、今さらながら奇跡的だったと思います。
若かったからできたのかもしれません。
舞台に立ちたいという思いが、怖さを見えなくしていたのかもしれません。
今の私に、同じことをもう一度やれと言われても、怖くてできません。
200万円が飛ぶかもしれない公演を、十分な代役もいない状態で続ける。責任や損失の重さがわかるようになった今では、その危うさが先に見えてしまいます。
けれど、怖さを知らなかったからこそ、できたこともあります。
舞台の上で得たものは、演技の経験だけではありませんでした。
自分の役を引き受け、本番の日にそこに立つこと。仲間が自分の役割を果たすと信じ、自分もその信頼を裏切らないこと。
あの頃の私は、そんな責任を毎回背負って舞台に立っていました。
出演していた役者のみんなも、一人ひとりが同じ気持ちで舞台に立っていたのでしょう。今思うと、心の底から感心します。
当時は、それが当たり前だと思っていました。
けれど、その当たり前は、誰か一人が欠けただけで崩れ落ちる砂上の楼閣のようなものでした。
そのことに気づいた今、あらためて戦慄を覚えます。
舞台に立つことの本当の重さを理解したのは、舞台を離れて、ずいぶん時間がたってからでした。
【舞台から生まれた物語を連載しています】
私が所属していた劇団パラレルワールドの最終公演で上演した作品が、『Knife』でした。
綱渡りのような状況の中で、役者たちがそれぞれの責任を背負って舞台に立った作品です。
その物語を今、長編小説としてよみがえらせ、カクヨムで連載しています。
舞台は、公演が終われば消えてしまいます。
けれど、そこで生まれた物語まで消えるわけではありません。
『Knife 関ヶ原へ跳んだ竹千代と、四百年の短刀』
舞台から生まれた物語を、読んでいただけたらうれしいです。
▼カクヨムで読む
https://kakuyomu.jp/works/2912051607941798194
普段はタロット占い師として、鑑定もしています。
プロフィールはこちら。
えんたく