「与える」と「受け取る」はひとつ
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こんにちは。
光の翼 木村 心美です。
いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪
愛は
より多くを
「他者」に与えようとし
恐れは
より多くを
「他者」から
受け取ろうとします。
愛は
「ある」
という認識なので
それ以上を
求めません。
恐れは
「ない」
という認識なので
もっと
それ以上を
求めます。
この人には与えるけど
あの人には
与えたくない…!
…という
条件付きだと
与えない「私」は
受け取れなくなります。
愛は
「他者」や状況よりも
「私」を変えようとし
恐れは
「私」に落ち度はなく
「他者」や状況に
原因があると考え、
相手を
変えようとします。
しかし、
現実世界で
「私」に直接的に
起きていることはすべて
「私」が発端で
「私」が根源です。
愛は気前よく
惜しみなく与え、
恐れは
減るのを恐れて
引っ込めようとします。
愛は
見返りや結果がなくても
かまわず
与えたいから与え、
恐れは
見返りや結果を
「私」が
得るために与えます。
ペットを飼う者は、
動物たちに
安全安心な
生活全般の保護を
生涯を通して
「与える」のか。
それとも
「私」が癒やされたくて
ペットからの癒しを
「求める」から飼うのか。
自分の求めていた
癒やしが
得られなくなった途端に
ペットの世話が
疎ましくなり
世話の手間から逃れようとして
ペットを
排除しようとします。
「私」の目的が
得られなくなった途端に
配偶者やパートナーと
共に過ごす理由がなくなり
離れようとします。
「私」の売上が
得られなくなった途端に
廃業し、
収入を「受け取る」ために
次の就職先を探します。
「私」が得る事、
相手から受け取る事を
つねに
目的としていれば、
得られなくなった時点で
終わりがやってきます。
しかし、
相手から
「受け取る」「もらう」ことではなく
相手に
「与える」ことが目的だとすると
結果は変わります。
「与える」は愛。
「受け取る」は
愛の行為によって
もたらされる結果で、
愛を与えれば
愛を受け取ります。
愛を与え続ける限り
永遠に続きます。
二元性の
どちらか一方の極だけを求める
条件付きの意識では
何度でも
終わりを迎えます…。
根底が愛ならば、
「与える」と「受け取る」
二元のバランスが取れて
より自立が
カンタンになりますが、
根底が
恐れならば、
二元の
一方の「受け取る」だけでは
うまくバランスを
取る事はできません。
そのため
1人単独の
自分の足では
立つことができないので
誰かが
離れていかないように
関係性に依存し
寄り掛かろうとします。
どちらが良くて
どちらが悪いというのではなく
自分の両足で
しっかりと立っているのか、
それとも
誰かの力を得ながら
自分を
支えてもらっているのか、
「私」が
どの位置にいるのかは、
現在の
置かれている環境や状況を
客観的に観察すれば、
大体は
把握できます。
職業や環境を
何度変えたとしても
状況が変わるのを
何年間も待ち続けても
「私」の放つ
根底のエネルギーが
変わらない限り、
状況が好転したり
変わることはありません。
突然に
周囲との
つながりが絶たれて
すべての供給が止まり
たった1人きりに
なったとしても
物理的にも精神的にも
困ることなく
1人で自活できるなら、
エネルギーを癒やしたり
浄化も必要ない程に
かなり
自立できています。
「愛する」は
相手に与えること。
「愛される」は
その結果を
受け取ること。
…ですが
根底が愛ならば、
他者に
「愛して欲しい」
と要求したり
もらおうとはしません。
外側から
得ることを考えなくても
自らの愛だけで
十分に
事足りるからです。
他者から得なくても
自らの
エネルギーだけで
自分自身を
成り立たせることができます。
他者から
求めようとしない
この状態になると
売上がなくても
まったく支障がない
…という
自立の
状態になります。
愛のような
目に見えないエネルギーも
お金以外の
目に見える物質も
どちらもエネルギー
お金=愛です。
お金=恐れ
…という者も
存在します。
お金に対して
「愛」or「恐れ」の
どちらで
捉えているか…です。
どちらにしても
相手に
与えないままで
相手から
受け取ることはありません。
「与える」と「受け取る」の
二元性の一方しか
受け入れられずに
「与える」をしないで
「受け取る」だけを求める
条件付きの愛では、
何度でも
「受け取れない」という
結末になります。
この分離意識を
超えていかない限りは、
この領域から抜け出せずに
同じことを
幾度も繰り返します。
二元性の両極に
垣根はなく
二元は
ひとつだということを
世界は
事象や出来事を通して
教えてくれています。
この人は好きだから
与えるけど、
あの人は嫌いだから
与えない。
…というような
条件付きの分離意識は、
この次元領域には
数え切れないほど
存在しています。
「あれは好き」「良い」
「これは嫌い」「ダメ」と
分離しているからこそ
この領域に
留まり続けます。
この人は
好感が持てる。
好きだから
応援する。
あの人は
何かイヤな感じ。
いけ好かないから
応援しない。
多くの者が
InstagramやTwitterなどの投稿に
あまり深く考えずに
イイねボタンを押したり
押さなかったりしていますが、
日常で毎日
善悪のジャッジを繰り返すだけでも
エネルギーは
かなり低下します…。
このような
分離の意識を感じている間は
願望が叶うことは
まずないので、
引き寄せの法則や
願望を叶えようと
実践するよりも
自分の癒やしに集中し
専念した方が
すみやかに解決します…。
会ったことも
関わったこともない相手を
主観で嫌悪する
…というのは、
内側の
固定観念による
認識の歪みであることが殆どで、
(表面的には一見、
相手側に非があるように見えていたとしても
実際に相手は悪意で
行為したのではなく、
状況的に
そうせざるを得なかった…という事が殆どです。)
固定観念を手放した瞬間に
自分の認識が
歪んでいたことに
気づくことができます。
少なくとも
「私」以外の誰かを「嫌う」
というのは、
根深い傷や問題を
内面に抱えており、
癒やしが
必要な状態です。
内側に
傷があるから
他者(私)を
愛せないのです。
嫌悪する「他者」が
たった1人でも
存在する限り、
分離の意識は続きます。
その嫌っている相手が
目の前から
消えたとしても
内側の傷が、
また新たな似たような
別の他者を引き寄せて
内側の
認識の歪みに気づくまで
相手を
嫌悪し続けることになります。
二元の一方の極だけを
良しとし
もう一方の極を嫌う。
二元の分離を
どちらも良しと
受け入れるには、
恐れのエネルギーを
手放していくしか
他に方法はありません。
恐れの低い周波数が
二元の両極を
無条件に受け入れられずに
エネルギーが
2極に分離してしまうのです…。
無意識に
恐れのエネルギーが
ある限りは、
エネルギーを
解放するために
恐れの感情が
頻繁に
やってくるので
しっかりと
恐れを
感じ尽くしていきます。
地球のエネルギーが
急上昇中の現在では、
外側で何事も
起きていなくても
感情は
ひっきりなしに
浮上してきます。
恐れを
心地いい感情に
変えようとしないで
取り繕わずに
内側から現れる
そのままを感じていき、
恐れを感じ切りながら
保持している
条件付きの観念を
手放していきます。