教育と聞いて私が第一に思い浮かぶ事柄はやはり親が子供に行う教育です。なぜ親は子供の教育に熱心になるかというと、一つには大人になる段階で職業の選択肢が増えるからでしょうか。今の社会は自分がどんなになりたいと思っても、なれない職業がたくさんあります。プロスポーツ選手や芸術家など生まれつきセンスがある人がなる職業です。でも、センスがあってもそれを自己認識できなかったり、努力をしなかったりすれば当然成功はしないはずですし、センスと努力が掛け合わさることで一流への道が開けるのだと思います。その努力をするきっかけが教育なのだと思います。また、一般的な受験勉強であっても親は多大な資金を投入し、予備校、参考書、家庭教師などを子供に提供することがあります。これはやや古い考えかもしれませんが、良い大学を出て良い企業や国家公務員、医師、弁護士などの高給もしくは安定した、社会的信用の高い職業につける可能性が高まるからです。親が子供に提供する教育は大人になるに向けての社会的モラルや振る舞いなど多岐に渡っていると思いますが、それと同じくらい子供が将来幸せになるための地盤づくりとして、どういった職業を目指すかや、その職業で安定して収入が得られるかが鍵を握っているのだと思います。
でも、親はどこまで子供に介入するのがベストなのでしょうか?正直なところ私が親だったら子供には健康と安全を担保してあげ、あとは子供が自由に人生を選択するのがいちばんだと思っています。もちろん、小さな子供の自由にさせた方がいいといっているわけではありません。例えば小学校のお受験や中学受験などなかなか子供が本気で挑戦してみたいと思っている場合は少なく、親の道標があってこその挑戦なのだと思いますし、それは子供にとって大切な経験となるでしょう。でも、どんなに親が子供に小学校受験や中学校受験をさせたいと思っても、絶対にやりたくない、友達と遊びたいと言っている子供に無理やりそれらに受験をさせるべきではないのだとも思います。さらに、親が子供にいい高校、いい大学に言って欲しいと思うことも多いかと思いますが、子供が絶対高校や大学に行きたくない、早く社会に出て働いてみたいと思っている場合にはぐっと自分の考えを抑えて、子供の進みたい道をそっと支えてあげるのがいいと思います。
ではどこまで親がレールを引くべきなのでしょうか?どこまでが教育でどこまでが親のエゴなのでしょうか?親のエゴであっても教育と呼べるのでしょうか?正直よくわからないのが、子供から大人になる段階でどれくらいの自由がいちばん幸せで、どれくらい親がレールを敷く人生がメリットが大きいのでしょうか?これの答えは出ませんが、親が大学受験や職業、ひいては結婚相手まで干渉する、提供することだってあると思います。それで幸せな人生を歩まれている方も多いと思います。一方で実際にあまり親に干渉されず、自分の進路は自分で決めてきた人もたくさんいると思いますし、その結果幸せと思える日々を送っている方ももちろん多いことでしょう。わからないのです。でも、親は子供に対して、こういう教育ないしは人生への干渉が、子供が幸せになる可能性が高くなるであろうと判断することを、選択し実行しているわけで、誰にも結果はわからないのです。これが教育を難しくしている原因だと思いました。
人生を幸せだと思って生きている人々は後世に自分が受けた教育を踏襲し、あまり幸せでないと思っている人々は、自分が受けた教育と違った教育を後世に施す傾向にあります。全てにおいて正解がない教育は実は非常に難しい社会の課題なのだと思います。例えば高校生に数学を教えると社会が本当に良くなるのかどうかは正直わかりません。義務教育に音楽が必要なのかも正直わかりません。でも社会の中で子供は常に存在し、未来に向けてなんらかの教育をしていかなければならないことも事実です。教育とは非常に難しく奥が深いものだなあとしみじみ感じている今日この頃です。