『女の子は決まっているのかい?』
酒屋の中田さんとの打ち合わせは、お酒の種類や仕入れ、料金設定など、開店に向けた準備が順調に進んでいた。
ところが、その一言で私は我に返った。
『……まだ、一人も決まっていません』
自分で言いながら愕然とした。
店が決まったことに安心しすぎて、一番大切なことを忘れていたのだ。
『ママ一人じゃ店はできないよ』
中田さんは少し厳しい口調で言った。
『店を開くなら、まず一緒に働く女の子を探さないと』
美月は急に目の前が真っ暗になった。
オープンまで残された時間はわずかしかない。
やることは山ほどある。
その上、女の子まで見つけなければならない。
『どうしよう……』
思わず本音が漏れた。
中田さんは少し考えると、急に立ち上がった。
『そうだ。赤坂に今月いっぱいで閉店する店がある』
『閉店するお店ですか?』
『女の子も何人かいるはずだ。話だけでも聞きに行こう』
その言葉に、一筋の光が差し込んだ。
その日のうちに私たちは赤坂へ向かった。
店内は満席だった。
閉店を惜しむ常連のお客様で、大変な賑わいだった。
店のママは五十代後半くらいの朗らかな女性だった。
『銀座で店を開くの?』
驚いたように美月を見つめた。
『はい。来月オープンの予定です』
中田さんが事情を説明すると、ママは少し考えて言った。
『今日は忙しくて無理だけど、女の子たちに聞いてみるわ』
『ありがとうございます』
『ただ、うちの子は劇団の子が多いの。銀座とは少し雰囲気が違うかもしれないわよ』
その日はそれ以上話すことはできなかった。
美月は後日改めて伺う約束だけをして店を後にした。
それから毎日があっという間に過ぎていった。
物件。
内装。
備品。
酒。
開店準備。
そして営業の勉強。
今までお客様として見ていた店も、経営者になると思うと見える景色がまるで違っていた。
おしぼりの香り。
照明の明るさ。
グラスを置くタイミング。
何もかもが勉強だった。
ある夜、ヴィーナス時代からのお客様、鈴木さんに東京駅近くの日本酒専門店へ連れて行っていただいた。
『ここは幻の日本酒が飲める店なんだよ』
日本酒はあまり得意ではなかった。
気がつけば、足元も少しふらついていた。
『すみません。少し失礼します』
化粧室で冷たい水を顔に当てた。
鏡を見ながら深呼吸をする。
その時だった。
頭の中に、稲妻が走った。
――今日だ。
赤坂のお店の最終日。
『しまった!』
思わず声が出た。
今日を逃したら、あの女の子たちがどこへ行ってしまうか分からない。
時計を見る。
もう夜も遅い。
『鈴木さん、お願いがあります』
席へ戻るなり私は言った。
『今から赤坂まで付き合っていただけませんか』
『急にどうしたの?』
『車の中で説明します。急がないと間に合わないんです』
鈴木さんは理由も聞かず立ち上がってくださった。
タクシーに乗り込む頃には、不思議なくらい酔いは醒めていた。
赤坂へ着いた時、店はまだ営業していた。
私は胸をなで下ろした。
『こんばんは。こんな時間に申し訳ありません』
『あら、先日の銀座のママさん』
ママは笑顔で迎えてくださった。
事情を話すと、すぐに女の子を呼んでくれた。
『まだ行き先が決まっていない子たちよ』
三人の女性が並んだ。
どの子も少し緊張した表情をしていた。
その中の一人が、一歩前へ出て丁寧に頭を下げた。
『有美と申します。よろしくお願いします』
その笑顔は、どこか初々しくて、まっすぐだった。
その時の私は、まだ知る由もなかった。
この出会いが、「クラブ 結」を十年間支え続けてくれる大切な仲間との、運命の始まりだったことを。