『ゴールド』にはオーナーママの環ママがいたが、
実際に店を切り盛りしていたのは雅子ママだった。
銀座八丁目、並木通り沿い。
名だたる高級クラブが並ぶ中でも、
『ゴールド』は別格の存在感を放っていた。
席に座る女性たちは皆、
地方なら間違いなくナンバーワンを張れるような人ばかり。
笑い方。
グラスの持ち方。
着物の裾さばき。
どれを取っても洗練されていた。
美月は店の空気に飲まれながら、
自分だけが場違いな場所へ来てしまったような気持ちになっていた。
『あら、滝沢さんいらっしゃいませ』
雅子ママは、店に入ってきた恰幅の良い男性の元へ急いだ。
『今日はこの前話していた、田舎から出てきた親戚の子が初出勤なのよ』
その言葉に、美月は一瞬だけ戸惑った。
――親戚?
どうしてそういう紹介になったのか分からなかったが、
口を挟める空気ではなかった。
『こんばんは……』
それだけ言うのが精一杯だった。
喉が張り付いたように声が出ない。
何を話せばいいのか分からない。
地方ではそれなりに場数を踏んできたはずだった。
店を任されたこともある。
お客様との会話にも自信があった。
なのに銀座では、
言葉ひとつ出てこない。
雅子ママはそんな美月の異変をすぐ察したのだろう。
自然に会話へ入り、
場を白けさせることなく空気を流してくれた。
その姿は見事だった。
誰にも気を遣わせない。
けれど、誰よりも周囲を見ている。
――これが銀座の女…。
美月はただ圧倒されていた。
その夜は、何もかもが一瞬で過ぎていった。
笑い声。
氷の音。
煙草の煙。
香水の香り。
すべてが夢の中のようだった。
けれど美月には、
自分がその空間に存在している感覚がなかった。
田代さんの席では、最後までほとんど口を聞いてもらえなかった。
『あら美月ちゃん、もう時間ね。今日は上がっていいわよ』
夢子ママが優しく声を掛けてくれた。
『あの……私……』
『どうしたの?』
『帰り道が分からなくて……帰れません……』
蚊の鳴くような声だった。
夢子ママは一瞬きょとんとした後、
吹き出すように笑った。
『何それ!』
でも、その笑い方には嫌味がなかった。
『誰か駅まで送ってあげて。この子また迷子になるわ』
夕方迎えに来てくれた後藤という黒服が、
『じゃ行きましょうか』と声を掛けてくれた。
『ごちそうさまでした』
田代さんへ頭を下げ、店を出る。
そしてエレベーターの鏡に映った自分を見て、
美月は急に情けなくなった。
今日、自分は何をした?
『こんばんは』
『よろしくお願いします』
『いただきます』
『ごちそうさまでした』
結局、それしか喋っていない。
地方では少しは通用していた自分が、
銀座ではまるで空気だった。
透明人間みたいだ――。
ネオンで輝く銀座の街を歩きながら、
美月は初めて、本当の怖さを知った。
ここは、
簡単に夢を見させてくれる場所じゃない。
“女”として、
すべてを試される街なのだと。