初めまして、にょびたと申します。
まずは何者かわからないと思いますので、
自己紹介したいと思います。
研究職からニートへ
私は大阪生まれの大阪育ちで、年齢は40代の男、独身です。
学生時代は分子生物学や生化学を勉強しました。
わかりやすく言い換えると、遺伝子がどのように働いて、どのようにタンパク質が作られ、その結果、細胞内で何が起こっているのかを勉強・研究していました。いわゆる、バイオテクノロジーです。
大学院の修士課程まで行った後、ある民間企業の研究員として働きましたが、32歳の時にうつ病に。長い時は17時間とか仕事してた日もあったので、原因は過労と睡眠不足だと思います。
その後、1年半ほど復職するために闘病生活を送りましたが、残念ながら復職できずそのまま退職しました。
退職した時には、うつ病は完全には治っていなかったので、実家に戻り33歳でニート生活が始まりました。
少しの間は失業保険をもらっていたのですが、失業保険の給付期間が終われば完全に無収入に。
無収入とはいえ、体調もまだまだ不安定でストレスに対してめちゃくちゃ弱い状態だったのでバイトもできず、うつ病が良くなるのをひたすらじっと待つ日々が続きました。
ネットビジネスの世界へ
「これから、どうしようか?」と部屋で一人考えていた時に、
「外で雇われて仕事をするのではなく、家で自分で仕事をして収入を得たい」
と思ったのです。
そして、まずポンっと頭に浮かんだのは「ネットビジネス」でした。
私も「ネットビジネスは何だか怪しいなぁ〜。」と思いながらも、自宅のパソコンで稼げるネットビジネスに興味を持ったのです。
こうして、ネットビジネスの世界に足を踏み入れたわけです。
Twitterアフィリエイトで経験した天国と地獄
ネットビジネスについて検索しているとある日、Facebookで知り合った方が「Twitterアフィリエイト」なるネットビジネスを今なら1万円で教えてくれるという話が舞い込んできました。
心の中では「胡散臭いけど、1万円なら騙されても勉強代だと割り切れるからやってみよう」と1万円でTwitterアフィリエイトをその人から学ぶことに。
Twitterアフィリエイトというのは、Twitterでフォロワーを増やし、そのフォロワーに向けてアフィリエイトをするといったもので、最初は調子良く、とんとん拍子にうまくいきました。
そして、気がつけばビックリするほどではないですが、ある程度の収入を毎月得ることができていました。
そんな感じだったのでその時は、
「ネットビジネスって簡単やん!」
と思っていましたね。
しかし神様の悪戯なのか、それともご指導なのか私にはわかりませんが、そんなビギナーズラックが続くはずもなく、ある日一夜にして無収入に。
何が起こったかというと、Twitter社が自社で広告事業を始めるにあたって、アフィリエイトをしているアカウントは邪魔なため、他人の広告をツイートしているアカウントを凍結させたのです。
私も全アカウントが凍結してしまって、収入源を一気に全て失ってしまったのです。
この時は本当にショックでした。
なぜなら、長い時は1日10時間、コツコツ作業をしてフォロワーを増やし、少しずつ収入を増やしている時で、「もうすぐ月100万円の売上を達成できるかも?」と思っていた矢先だったからです。
2度目のうつ病
その後、せどりやブログ記事のライティングなどパソコンでできる仕事にチャレンジするのですが、全く芽が出ず無収入に近い状態が続きました。
この時になると、随分うつ病も良くなり、外で働いても大丈夫だなっと思ったので、仕方がなく外でも仕事を探すことにしました。
一度うつ病になったこともあり、正社員で働くのには不安がありましたし、年齢的にも簡単に再就職できないと思いましたので、派遣の仕事を探すことにしました。そして、家電量販店の販売員の派遣を見つけやることにしました。
というのも、今まで研究職の仕事しか正社員としてはやったことがなかったので、逆にお客様に近いところの仕事をしたくなったという理由で販売員に興味を持ったという理由です。
派遣の販売員というのは、派遣会社から提示される店舗に行って契約期間満了まで仕事をするのですが、契約期間が終われば次の店舗に行くといった働き方をします。
そのため、人間関係の良い店舗ではとても楽しく仕事をすることができましたが、悪い店舗に行くことももちろんあり、大きくストレスがかかりました。
そして、ある日店舗へ出勤するために最寄駅に着いた時です。私の中で、心臓の動悸と血の気が引く感覚があり「ヤバい!」と思ったのを覚えています。
この感覚は人生で2度目で、以前経験したのは初めてうつ病になった時でした。そう、再びうつ病になってしまったのです。
その後、近所の病院に通院しながら治療を続け、勉強や仕事が再びできると思える状態になるまで約3年の月日がかかりました。
もちろん、その3年間は失業保険があるわけもなく、無収入でしたが実家にいることもあり親のスネをかじることになるわけです。
この時35歳、情けないやら悔しいやら色んな感情で溢れますが、うつ病が良くならない限り何もできないので、甘んじてその状況を受け入れるしかありませんでした。
今考えると、本当に両親には感謝しかありません。
本気で勉強したコピーライティング
うつ病もそこそこ治り、脳がある程度動く状態になった時、これからの仕事をどうしようかと考えていました。
また、ネットビジネスをもう一度やるのであれば、次はコピーライティングかな?とも思っていました。
なぜなら、闘病中の3年間ネットビジネスに関して情報を度々検索して調べていたのですが、Twitterアフィリエイトのように短いスパンで消えていくノウハウをよく見かけたので、
「何か普遍的なネットビジネスは無いのだろうか?」
という気持ちが起こっていたことと、
私がネットビジネスを始めてから、3年以上という月日が経ったのにも関わらず、コピーライティングについては変わりなく教材が売られていましたので、勉強する価値があるかなと思ったからです。
そんな時、たまたま知り合いから「ネットビジネス大百科という教材を持っているのであげるよ。」と言われ、ネットビジネス大百科を手にいれたのです。
この「ネットビジネス大百科」は、ネットビジネスをしている人なら1度は聞いたことがあるくらい有名な教材で、この中のコピーライティングの音声を何度も聞いて勉強しました。
そして、知れば知るほどコピーライティングは、私が探していた普遍的なものだと確信しました。
なぜなら、商品やサービスを売るための文章であるセールスレターのコピーライティング研究は、今から約100年前のアメリカで始まっており、100年という時間が経っているにも関わらず、未だにダイレクトメールや通販などで世界中の企業が使っているからです。
また、コピーライティングの勉強をしながら実際に自分でセールスレターを書いていきました。知り合いのネットビジネスのLPを制作して顧客の反応があったり、LPを使ったアフィリエイトで稼ぐことができたり、ココナラでお客様に自分のコピーが売れたりと結果を出すことができました。
結果を出すことができたので、その経験が「自力で稼ぐ力を得ることができた」といった感覚になり自信に繋がったと思います。
今後はもっとコピーライティング力をつけるための勉強をすると共に、収入の自動化をして自由の時間を増やしたいと思っています。
長い自己紹介になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
このブログでは「コピーライティング」に関するから、コピーライティングに関係ないことまで、色々書いていこうと思っています。