1.言語聴覚士を目指したきっかけは弟の発達障害
弟は生後5ヶ月の頃にてんかん発作を起こし、それ以来、定期的にてんかん発作が起きてしまうため、全てにおいて介護が必要です。
弟は知的機能も生後5ヶ月の頃から止まっているので、意味のある言葉を話すこともできませんし、食事も形態の調整や介助が必要です。
自分は、高校までは野球一筋だったので、進路については何も考えていませんでした
野球部引退後、進路を考えるとき、最終的に「自分だからこそできることは何なのか」について考えました。
その結果、「障がい者の家族の気持ちが分かる」というのは自分の強みではないかと思い、「弟のことを生かせる職業に就きたい」と考えるようになりました。
理学療法士と迷いましたが、最終的には、当時まだ全国的に数が少なかった言語聴覚士を目指すと決め専門学校へ入学しました。
そして、無事合格し、晴れて言語聴覚士となることができました。
2.地元の病院へ就職
地元の回復期病院に就職し、今年で10年目となりました。
1年目からがむしゃらに勉強を続け、業務後は誰よりも残ってわからないところを勉強をしました。
しかし、仕事・人間関係共にうまくいかず、自分の不甲斐なさに職場で隠れて泣くこともありました・・・
最初の5-6年は、ため息・弱音ばかりで、周囲からも「疲れてる?」と言われてばかりでした。
休日も仕事のことを考えてしまい、パートナー(今の妻)にも、たくさん悩みを聞いてもらい、励まされていました。
当時は、優しい先輩にも、話や相談を聞いてもらったり、たくさん支えられ、何とか言語聴覚士を続けることができました。
3. 先輩の勧めで読書を開始、少しずつ悩みが解消できるようになる
病院のある先輩から読書の大切さを学び、趣味が読書になりました。
様々な良書から考え方や思考法を学び、入職後、悩むことも多かった人間関係などの悩みが、少しずつですが、無くなっていきました。
まず最初に読んだのは、尊敬する先輩から勧められた
「7つの習慣」という本でした。
⇨この本から学んだ「幸せの定義」
「生きる」:健康でいれる
「愛する」:愛する人がいる
「学ぶ」:学び続けることができる
「貢献する」:他者に貢献できる
というのは、自分の考え方の大きなベースとなりました。
そして、様々な本を読みましたが、結局は「やるしかない、行動しろ」というメッセージにあふれていました。
ただ同時に、「行動するためには、安定的な精神状態が必要」ということにも気づきました。
自分が少しずつ心身ともに安定したのは、
「辛い時に相談に乗ってくれた人がいたから。」
読書から知識を得ることで、
「ストレス対処の知識を得られたから。」
この2つが大きかったと思います。
この頃から、自分の中で「幸せな人生を送る」ということを目標に、毎日勉強(本の要約)×SNSでの発信を開始しました。
毎日10ツイートを半年以上継続し、Twitterのフォロワーは1000人を突破しました!
SNSでも様々な人に出会い、このココナラを知ったのも、SNSの影響でした。
そして仕事でも、少しずつ後輩指導をする立場になり、病院代表として行政の事業に参加したり、講義を依頼されるようにまでなりました!
経験年数が浅い頃は、ため息ばかりの日々でしたが、現在は以前より、心身ともに安定して取り組めるようになりました。
4.心理学で唯一の国家資格である「公認心理師」を目指す決意をする
SNSを通して、自分に公認心理師受験資格があることを知りました。
公認心理師とは、いわゆる心理学の専門家です。
普段、言語聴覚士の仕事も、患者さんの心理を理解するのが、とても重要でした。
自分自身もメンタルが弱く、学生時代の野球部でも、メンタルがプレーに響き、最後はまともにキャッチボールができなくなることもありました。
そのため高校生の頃、進路を決める際、弟のことが無ければ、まず最初に浮かんだ仕事は「カウンセラー」でした。
就職後も、人間関係に悩むなど、心理は常に自分の課題でした。
そんな自分にとって、公認心理師の資格試験に挑戦できるのは、何か運命を感じました。
公認心理師試験の受験資格があると気づいたときには、「令和4年が最後。つまり次がラストチャンス」ということを知り、1年間、猛勉強しました。
娘が生まれたばかりだったので、結構大変でしたが・・・
ですが無事、公認心理師試験に合格し、公認心理師になることができました。
5.心の声を聞けたときが一番のやりがいだった
言語聴覚士はコミュニケーションのプロであり、
公認心理師は心理学のプロです。
この2つの資格を持つことができたのは、一つの自信になりましたが、公認心理師に至っては、まだまだ未経験でヒヨッコどころか、卵にヒビが入った程度です。
ただ、言語聴覚士としては、様々な方との対話や心理面のサポートを10年間してきました。
そしてその方々は、皆何かしらの不安や悩みやハンデを背負った方々でした。
本来言語聴覚士というのは、リハビリ職なので、患者さんの「自立支援・機能向上」というところが、最も求められています。
ですが、自分の場合、10年間で最もやりがいを感じたのは、「患者さんの心を聞けたとき」でした。
・あまり感情を出さない方が、笑顔になったり、逆にたくさん涙を流してくれたこと
・「〇〇さんだから話せるよ」と、普段言えない悩みを、自分に打ち明けてくれたこと
・「聞いてくれてありがとう、こういう場があるから私は頑張れるんだよ」と言ってもらえたこと
これらの関わりは、心理学の専門知識に基づいたものではなかったですが、自分が最も「患者さんの力になれたのかな」と思えた瞬間でした。
なのでこれからも、患者さんの心の声が聞けるように、心理学の勉強は続けていきます。
ですが、心の声を聞いて欲しい方は、入院している患者さんに限らないのではないか?とも気づきました。
実際に、心の声を聞いて欲しかったのは、「過去の自分」であり、身近なところで言えば、「妻や兄弟、職場の先輩後輩」もそうです。
みんな大なり小なり、悩みを抱えて生きています。
そんな人たちが、何とか前を向いて行けるのは、「心の声を聞いてくれる人がいるから」だと、僕は思います。
その人自身が強いとか、弱いのではなく、「心の声を吐き出す場所があるかどうかの違い」が、大きいと思うんです。
実際に自分は、心の声を聞いてくれる人がいたおかげで救われました。
今の自分があるのは、間違いなく、その人たちのおかげです。
6、ココナラに挑戦した理由
そんな心の声を聞ける人に、今度は自分がなりたいと思いました。
そして、そんな心の声を聞いて欲しい人は自分の身近にだけではなく、日本中にいるのかなとも感じています。
ココナラのようなオンラインサービスを通せば、お互い安心して、コミュニケーションがとれると思いました。
ただ、ほんと正直にいうと、ココナラを始めた理由の1つには、「将来の不安もあるから、何か副業を始めたいな」というのもありました。
実は今までも、ブログ・YouTubeなど、副業に挑戦したことはありました。
ただ、どれも続きませんでした。
それは純粋に、楽しくなかったからです。
元々、人とじっくり話をするのは好きだったので、好きなことをして、誰かに貢献できるなら、続けられるし、幸せだなーと思ったのも、正直な経緯です。
他の方はあまりこういうことを言わないと思うんですが、自分は心を割って話せるようにするためにも、あえて包み隠さず、言わせていただきました。
7、気軽に話をしましょう
と、ここまでツラツラ固い文章を書いてしまいましたが、結論まずは「気軽に話しませんか?」というのが、僕の気持ちです。
いきなり「心の声を・・・」とかではなく、よければ「気軽な話し相手にしてもらえれば」という気持ちです。
患者さんとの訓練も、自分は大体気軽なフリートークから始まりますし、正直訓練よりも会話がしたい(話を聞きたい)というのが本音です。笑
そのせいで、フリートークをしすぎてしまう問題が、仕事上ではあります(訓練をしなければいけないのに、色々聞いたり、話してしまう・・・)
ココナラで出品するサービスとしては、「訓練・カウンセリング」といった堅苦しいものではなく、平たく言えば「雑談・相談・愚痴聞き」です。
僕でよければ、あなたの話を聞かせてください♪
お求めであれば、もちろん僕の話もします。笑
気軽にお話ししましょう♪