失った悲しみから立ち直ることが、本当に正解ですか。

失った悲しみから立ち直ることが、本当に正解ですか。

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「もうペットロスから立ち直った?」

何気ない気遣いの言葉です。その言葉を受け取るたびに、なぜか胸の奥がざわつく。
悪意がないことはわかってる。心配してくれているのもわかってる。でも、その言葉が、どこか刺さる。
あなただけじゃありません。私も、そうでした。「立ち直る」って、どういうことだろうと、ずっと考えていました。

立ち直るとは、元に戻ること。

倒れる前の状態に、戻ること。
私は飼っていたインコを亡くした経験があります。
でも・・・あの子がいた日々を経験した私が、あの子を知らなかった頃に戻ることなんて、できるのでしょうか。戻りたいと思うでしょうか。

あの子と過ごした時間は、私を変えました。インコへの寄り添い方も、朝の過ごし方も、命の見え方も。
「立ち直る」ということが、もしその変化をなかったことにすることなら、私は立ち直りたくない、とさえ思っていました。でも、ずっと悲しい、辛い、寂しいを前面に過ごすのも、それもまた違う。そんなことをぐるぐると自問自答していました。

悲しみは、処理するものではない。

グリーフケアを学んで、一つのことがわかりました。
風邪のように、時間が経てば治るものでも、強い意志で乗り越えるものでもない。グリーフ(悲嘆)とは、愛した存在を失ったことへの、自然な反応です。それは弱さでも、異常でもない。
ただ、愛していた。その証明です。

「早く立ち直らなきゃ」と自分を急かすとき、実はその言葉で、悲しむ自分を責めていることがあります。悲しんでいい自分を、許せていないことがあります。

ペットロスは、軽く見られることがある。

「人間じゃないから」「また飼えばいい」
そんな言葉で、悲しみをしまい込んできた人を、私はたくさん見てきました。
でも、私はそう思わない。

一緒に朝を迎えて、一緒に夜を越えた。名前を呼べば反応してくれた。その子の温もりを、息遣いを、知っていた。それは紛れもなく、深い愛です。
その愛の深さが大きければ大きいほど、悲しみも深い。それは当然のことです。

「立ち直る」より、「共に歩む」。

悲しみをなかったことにするのではなく、あの子との記憶と一緒に、これからを生きていく。グリーフとは、そういうものだと私は思っています。

あの子がいたことで変わった私のまま、前を向く。それで十分です。
そしてペットロスだけじゃない。大切な人を亡くしたとき、長年続けた仕事を手放したとき——喪失の形は違っても、悲しみの深さは同じです。

悲しみと歩むことで見えてくるものがあります。だからグリーフは、そのまま感じていてください。

一人で抱えることが重くなってきたら、話しかけてみてください。
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