先日、神との対話を再読(5回目)をした際に「第一章」に深い真実が書かれていることに気づきました。
一番最初に一番深い真実が書かれているから『神との対話は難しい』とされるのはないかと。
裏を返せばこの第一章を読みこなせれば、神との対話は読みこなせるのです。
この詳細記事を読んで、難しさを払拭して神との対話の世界観を堪能して下さい。
その時、あなたの視座はひとつ上に上がることでしょう
P49
『親切であることを知っていても誰かに親切にしなければ、自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい、それが魂の唯一の望みだ。概念が体験にならないかぎり、推測にすぎない。わたしは長いあいだ、自分について推測をめぐらしてきた。あなたがたやわたしの記憶をあわせたよりもはるかに遠い昔から、この宇宙が宇宙の時間で経てきたよりも、もっと長く、これで、わたしが私自身を経験しはじめたのがどんなに最近か、わかるだろう!』
この真の意味は、のちのちに書かれていますがこの宇宙は神が自分を、自分というすべての概念を、体験するため創った世界なのです。
自分が何者か?
どんな性格で、何に感動し、何を好きなのか?
神も宇宙を創るまでは、体験を得ていないので自分が何者なのか?を定義することができなかったのです。
自分は神で偉大な存在であることは知っていましたが、「偉大な存在である」ということは体験をしていないため、明確に定義できなかったのです。
この宇宙は神が自らを体験するための世界と言われても、すぐには信じられないでしょうが、それが真実なのです。
このことを、最初から受け入れられる人は少ないでしょう。
私も「ありえない」と思っていましたが、神との対話を何度も読んでいくうちに
「そうかもしれない」
と思うようになりました。
ここでも、過去の固定観念がひっくり返るようなことが記載されていますね。
「また、わからなくなりました。あなたがご自分を経験したのですか?」(ニール)
『そう。では、こう説明しようか。まずはじめにあったのは、「存在のすべて」、それだけだった。ほかには何もなかった。
その、「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。なぜなら、「存在のすべて」―あるのはそれだけで、ほかには何もないから。ほかに何かがなければ、「存在のすべて」も、ないということになる。「存在のすべて」は、裏返せば「無」と同じだった。
これが、時のはじめから神話が語りつづけてきた。「すべてであって/無である」ということだ。』
存在のすべてが赤色だったら
「赤色」という概念は存在しません。
他の色があるから
「赤色」があるのです
すべてが「赤色」なら、赤色がすべてであって
でも、すべてが赤だから赤色という概念はなく「無い」と同じなのですね。