【近況説明③】現状:父に覚悟はなかったらしい
③を書きますと宣言してからまた更に数ヶ月が過ぎてしまった。
相変わらず、データとしては常に危篤、いつどうなってもおかしくない父であるが、現状まだ本人の希望もあり自宅にて生活を続けている。
とはいえ症状はしっかりと悪化しており、
当の本人だけがその現実から目を逸らして生きている状態で、
終活は手つかず、ただただ日々が過ぎている。
そんな中で私がこの日々のストレスからストレス性の高血圧・網膜症になり、
自分の身も考えないとこちらが先に死ぬのではないかというところまで来てしまった。
自分もびっくりしたが医者もびっくりするような急な事であったが、
幸い、経過観察での悪化は見られないので現状維持は出来ているようだ。
この事実を伝えることで父が少しでも考え改めるかと思ったのだが、
それもどうも目を背けてしまったようだ。
私は、この長い期間に父にそれ相応の思いや矜持があって自宅に居続けているのだと思っていた。
しかしながら、父はこの長く奇跡的に生かされた時間を、どうやら無駄に使っていたらいしことが分かった。
ある意味この奇跡の時間を、もっと自分と向き合って過ごしてくれていると期待していた私は、
この事実にまあまあ打ちのめされた。
命とは限りあるものだからこそ、こんなに長く生きられた事に感謝するなり、
終活をするなり、自分の人生を語るなり、要望を伝えるなり、なんなり出来たと思うが、日々の生活が変わりなく過ぎる事だけに執着し、そうしてどんな時でもYoutubeを見る時間が大半であるような姿は、なんとも言えない気持ちにならざるを得ない。
この夏、エアコンを意地でも付けずに過ごし、何を考えているのかと思ったが結局何も考えていなかった。
快・不快のみで判断をしてきた、それだけのことのようだ。
その快・不快のフィルターで仕分けることしかやらない父が、私の体調を考慮して介護保険の申請をと訪看さんが動いた際に無碍なく断ったのが数ヶ月前。
その時に父は「まだヘルパーは大丈夫やろ」と私に向けて言った。
大丈夫じゃねえよ、と思いながらも、その言葉には強い拒絶が感じられたのでそれ以上は言わなかった。
まだ大丈夫やろ、の裏に込められた色々なものに、本人に自覚はなくとも、
私はこのまま言う通りに買い物をし、通院に付き添い、何かあったら何とかしてくれるだろうという、押し付けともいう期待が込められていて、重くのしかかった。
それから数ヶ月が過ぎて、つい先日に訪看さんの説得に根負けして折れた父のところに訪問介護の認定調査が入ったのだが、正直、今更だと思っている。
果たして調査結果が出るまで家にいられるか怪しいもんだ。
私はもともと医療従事者として働いていた期間が長かったのもあって、割とドライに父を観察し続けてこられた。そうやって見ていても、やはりこの期間は異例で、通常の範囲を大きく越えている。
だったら、その期間を少しでも意味があるものにすれば良かったのに、と思ってしまう。
ただ、医師や訪看さんとは、時に電話、時に手紙を通じて、私の思いや現状を把握してもらい、そうして協力的でいてくれていることに、心から感謝している。
こういうものは、情だけでなんとかなる話ではない。
後始末まで考えるとまだまだ絶望的な事が山積みだし、そこに至るまでにどこまで父が受け入れるかについても、きっと絶望的だ。
現状、11ヶ月目。
私はこの11ヶ月があれば本当は何がしたかったかを最近よく考える。
その直前までは、私はこの先一年がとても充実したものになると思っていた。
それがある意味、大半が空白となってしまったわけだ。
時間は巻き戻らない。
そうして、空白期間を埋める事は出来ない。
同じ日々というものは人生で一度しかないので、次進む道は同じようで違う道にしかならない。
それでも何度かこの隙間をかいくぐってやりたい事をやってみたものの、
どうしても脳裏から離れない現実がのしかかり、そうしてまた、混沌とした日々に戻される感覚をここまで隣に置いて過ごしてきた。
せめて、どこかで覚悟を見せてくれたら、という思いは、多分一生持って行くものだと思う。
覚悟のある人生と、目を背けた人生では、こちらの背負うものが違ってしまうから。
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再度、同じ締めの言葉になるが、
いつまで続くか分からないこの日々が、どういった形になるのかは未知数であるが、
今現状として、無理をしても無理が出来ない状態になることがとても増えた。
24時間365日休まない事、もちろんすぐに対応が出来ない時もあるが、極力早く対応すること、
これがモットーだった私の考えは、今は実行出来ない状態にある。
大変申し訳なく思うが、ご理解をいただけるとありがたいと思っている。
―近況報告③、終わり。④もまた掲載予定。