キラキラしていることは、もちろん素敵だ。
でも、それが「常に」である必要はない。
むしろ、たまに現れるからこそ、輝きは本当に胸に沁みるのだと思う。
日常に隠れた、小さな喜び。
たとえば、家に帰ってきて、冷蔵庫から取り出した昨日の肉じゃがをレンジで温める。
そのホッとする瞬間、立ちのぼる湯気と甘辛い匂い。
それは、シャンパンや高級レストランのコース料理に負けないくらい、心を満たしてくれる。
常に美味しいもの、常に特別なものばかりを求め続けると、人はきっと、どこかで「感動する力」を失ってしまう。
だからこそ、少し物足りないくらいの毎日が、私には心地よい。
世界の彩りは、たまに顔を出すからこそ、美しい。
たとえば、曇った空ばかり見ていた日に、ふと覗いた青空。
忙しさに追われていた週の、思いがけない休日の朝の静けさ。
そんなふうに、不意に訪れる「キラキラ」は、心に深く、長く残る。
それは、常に最先端を走ることとは違う種類の喜びだ。
派手さはないかもしれないけれど、たしかに温かくて、豊かだ。
私は、キラキラしている人を否定するつもりはまったくない。
むしろ、自分の人生を最大限に楽しもうとする姿勢は、心から素敵だと思う。
でも同時に、世界を少し淡く見つめながら、時折訪れる小さな光に目を凝らして生きることも、同じくらい素晴らしいと信じている。
常に満たされている必要なんてない。
満たされないときにこそ、見えるものがある。
世界がちょっと色褪せて見える日も、
そのくすんだ景色の中に、そっと咲く小さな花を見つけることができたなら。
それは、たぶん誰よりも豊かな生き方だと、私は思うのだ。
世界は、彩りに少し欠けるくらいが、ちょうどいい。そうやって、今日も私は、私なりの光を見つけながら生きていこうと思う。