気持ち・希望・選びたい思いに耳を傾ける
「今日は、どの服を着る?」
「何を食べたい?」
「どこへ行きたい?」
「今日はどうしたい?」
私たちは毎日の暮らしの中で、たくさんのことを自分で選んでいます。
ところが、認知症になると、
「本人には分からないだろう」
「聞いても決められないだろう」
「こちらで決めた方が早い」
と、周囲が代わりに決める場面が少しずつ増えていくことがあります。
もちろん、安全や健康を守るために、家族や支援者が判断しなければならないこともあります。
でも――。
認知症になったからといって、「自分はこうしたい」という気持ちまでなくなるのでしょうか。
今回は、本人の「声を聞く」って、どういうことだろう?
というテーマから、「認知症世界」を一緒に考えてみたいと思います。
「本人のために」が、本人の声を小さくしてしまうことがある
家族は、その人のことを思っています。
「危ないから、やめておこう」
「疲れるから、今日は家にいよう」
「その服より、こっちの方がいいよ」
「もう買い物は大変だから、私が行ってくるね」
どれも、悪意から出た言葉ではありません。
むしろ、本人を心配するからこその言葉でしょう。
でも、それが少しずつ積み重なると、本人が何かを選ぶ機会そのものが減っていくことがあります。
気がつけば、
食べるもの。
着るもの。
出かける場所。
一日の過ごし方。
すべて周囲が決めている。
そんなことも起こり得ます。
ここで一度、「これは本当に本人が望んでいることだろうか?」と考えてみたいのです。
「認知症だから、本人に聞いても仕方がない」は本当でしょうか?
認知症のある方が、自分の気持ちをいつでも分かりやすい言葉で説明できるとは限りません。
第8回では、「言いたいのに、うまく言葉にならない世界」について考えました。
言葉が出にくい。
質問の意味を理解するのに時間がかかる。
いくつもの選択肢を一度に示されると迷ってしまう。
だからといって、「本人には意思がない」ということではありません。
言葉にすることが難しくても、
好きなものを見たときの笑顔。
嫌なことをされたときの表情。
何度も見つめているもの。
行きたがる場所。
大切にしている習慣。
そこにも、その人の「声」は表れているかもしれません。
「どれがいい?」より、「赤と青ならどちらがいい?」
例えば服を選ぶとき。
クローゼットいっぱいの服を見せて、「どれがいい?」と聞かれたら、選ぶことが難しいかもしれません。
でも、赤い服と青い服を見せて、「今日はどちらを着たい?」と聞けば、選べるかもしれません。
食事でも同じです。
「何が食べたい?」という大きな質問ではなく、「お魚とお肉なら、どちらがいい?」と尋ねる。
あるいは実際に見せる。
写真を使う。
少し時間を待つ。
質問の仕方を変えるだけで、本人が自分の気持ちを伝えやすくなることがあります。
大切なのは、「決められない人」と判断する前に、「決めやすい方法」を探してみることではないでしょうか。
答えを急がせない
私たちは会話の中で、相手からすぐに答えが返ってくることを期待しています。
「どっちにする?」
……。
「分からない?」
……。
「じゃあ、こっちにしておくね」こうなることもあるでしょう。
でも本人は、その間に、
質問を理解して、
選択肢を考えて、
自分の気持ちを確認して、
それを言葉にしようとしていたのかもしれません。
あと10秒。
あと20秒。
少し待てば、
本人から答えが返ってきたかもしれない。
「待つこと」も、本人の声を聞くための大切な支援なのだと思います。
「これが好き」「ここへ行きたい」も、大切な意思
本人の声というと、難しい人生の選択を想像するかもしれません。
でも、本人らしい暮らしは、もっと小さな選択の積み重ねでできています。
「この服が好き」
「コーヒーが飲みたい」
「散歩に行きたい」
「あの人に会いたい」
「今日は少し休みたい」
「自分でやってみたい」
「ここには行きたくない」
こうした一つひとつも、
その人の大切な意思です。
周囲から見れば小さなことでも、本人にとっては、「自分の人生を自分で生きている」という感覚につながっているのではないでしょうか。
本人の「嫌だ」という声も聞く
「本人の声を聞く」というと、希望をかなえてあげることだけに目が向きがちです。
でも、「嫌だ」という声も、とても大切です。
「お風呂に入りたくない」
「今日は出かけたくない」
「それは食べたくない」
「その人には会いたくない」
もちろん、そのままにしておくことが難しい場合もあります。
例えば入浴や服薬など、健康や衛生、安全に関わることもあります。
それでも、「認知症だから言っていることは無視してよい」ではなく、「なぜ嫌なのだろう?」と一度考えてみる。
寒いのかもしれない。
怖いのかもしれない。
疲れているのかもしれない。
以前、嫌な経験をしたのかもしれない。
理由が分かれば、別の方法が見つかることもあります。
「本人の声を聞く」=何でも本人の言う通りにする、ではない
ここも、とても大切です。
本人の意思を尊重することと、本人の希望をすべてそのまま実現することは、同じではありません。
危険がある。
健康上の問題がある。
家族だけでは対応できない。
経済的に難しい。
そうした現実もあります。
だから必要なのは、「本人の希望」か「家族の判断」か、どちらか一方を選ぶことではなく、本人の希望を出発点として、一緒にできる方法を探すことなのだと思います。
例えば、「一人で買い物に行きたい」という希望がある。
一人では心配だから禁止する。
それだけではなく、
一緒に店の近くまで行く。
いつもの店を利用する。
混雑していない時間を選ぶ。
見守りながら本人に買い物をしてもらう。
そんな中間の方法があるかもしれません。
家族にも「声」がある
本人の意思を大切にすることをお伝えしてきました。
でも同時に、家族の気持ちも大切です。
「本人の希望を全部かなえてあげなければ」と家族が無理をしてしまえば、介護そのものが続かなくなることもあります。
家族にも、
疲れる日があります。
怖いことがあります。
仕事があります。
生活があります。
だから、本人の声を聞くことと、家族が我慢し続けることは違います。
本人。
家族。
支援者。
それぞれの声を聞きながら、「どうすれば、みんなが少しでも納得できるだろう?」と一緒に考えていく。
それが大切なのではないでしょうか。
言葉だけが「声」ではない
本人が自分の気持ちをうまく言葉にできない場合もあります。
そんなとき、
表情。
視線。
しぐさ。
行動。
長年続けてきた習慣。
好きだったこと。
大切にしてきた価値観。
家族との会話の中に残っている言葉。
こうしたものも、本人の声を理解するためのヒントになります。
例えば、
昔から花が好きだった人が、花を見ると笑顔になる。
毎朝コーヒーを飲んでいた人が、コーヒーの香りに反応する。
長年大切にしていた場所へ行くと、表情が穏やかになる。
本人が今うまく説明できなくても、その人が歩いてきた人生そのものが、私たちに語りかけてくれることもあるのだと思います。
「認知症の人」ではなく、「一人の生活者」として見る
認知症になると、いつの間にか周囲から、
「介護される人」
「支援される人」
「見守られる人」
として見られることが増えていきます。
でも、その人は認知症になる前から、
誰かの親であり、
夫や妻であり、
仕事をしてきた人であり、
友人であり、
地域で暮らしてきた一人の生活者です。
好きなものがあります。
嫌いなものがあります。
大切にしていることがあります。
やりたいことがあります。
だからこそ、「認知症の人だから、こちらで決める」ではなく、「この人は、どうしたいのだろう?」という問いを持ち続けたいと思います。
本人の声を「聞く」から「聴く」へ
今回のテーマは、本人の「声を聞く」って、どういうことだろう?でした。
本人に質問する。
答えを聞く。
それだけではありません。
言葉が出てくるまで待つ。
選びやすい方法を考える。
表情を見る。
これまでの人生を知る。
「嫌だ」という気持ちも受け止める。
そして、本人の希望を出発点にして、どうすれば実現できるのかを一緒に考える。
単に音として「聞く」のではなく、その人が大切にしているものに耳を傾ける。
そんな意味で、「聞く」から「聴く」へ。
私たちの関わり方を少し変えてみる。
それが、その人らしい暮らしを守ることにつながるのではないでしょうか。
次回は、いよいよ「自分だったら?」と考えてみます
ここまでの連載では、
認知症のある方には世界がどう見えているのか。
どんなことで困るのか。
どんな関わりができるのか。
を考えてきました。
次回は、視点を大きく変えます。
もし、明日、医師から、「あなたは認知症です」と言われたとしたら。
自分は何を感じるでしょうか。
家族に、どのように接してほしいでしょうか。
できることまで代わりにやってほしいでしょうか。
これまで通り、一人の自分として接してほしいでしょうか。
次回、第12回は、「もし明日、自分が『認知症』と言われたら?」をテーマに、認知症を「誰かの話」から「自分の話」へ近づけて考えてみたいと思います。
※認知症の症状や困りごとの現れ方、意思の表し方には個人差があります。
本記事で紹介した例が、すべての認知症のある方に当てはまるわけではありません。