二ヶ月近くご無沙汰しておりましたが、ようやくブログがアップできます。ご心配いただいた皆さん、ありがとうございます。
あけましておめでとうございます、をこえて、もう寒中お見舞い申し上げます、になりましたけども。
更新が遅いかもしれないですが、今年もよろしくお願いします。
さて、京都市中は、年末から節分にかけて行事関係が非常に多くて、東京に行ったり、紹介で頼まれた仕事もしながらなんで、より忙しくって、周りの人に3倍速で生きてるねぇ〜と声をかけられながらの毎日でございました。
それなのに、基本的に負けず嫌いなので、以前、外国人教授に京都のこの銘菓をしらないなんて「もぐり」だろと言われてから、カチーン!2度と言われたくない!と、京都の行事もしきたりも、全部実体験しながら、専門の人に会いながら、深掘りして学んでゆくのであります!
京都では1月に新年の茶会などで出る「花びら餅」を食べる風習があるんですけど、この花びら餅も各店で味が違うので、市内あちこちで買っては食べ比べ、味の違いや特徴を語れるようにしておく!販売期間もね!花びら餅ソムリエになるわけじゃないのに!
私、完全に心臓病で死にやすいタイプAだと思います。w
京都の洛中に住んでいる本当の知識人・教養人は、人格的にも優れているので、もちろん、ひとのそんなことに目くじらを立てたりはしないんですけど、京都人基本的にみんな頭がいいので、こっちのレベルに合わせて、知識を調整してくれたりしているんですよね。だから、よそ者が伝統の専門からより深い学びを得る会話を引き出そうと思ったら、暗に教わる側の教養レベルもなんとなく測られます。だから、自分のためにも学んでおいた方が良いのです。
住んでいるだけで、会話するだけで、またひとつ賢くなっていく街。
玉堂星が私の本当の守護神ですので、伝統の街・京都は私にとってまさにホーム。そしてゆっくり療養とか考えていたのに、またなぜか忙しいもう一つの理由は、近いうちに京都市内で事務所兼自宅を建てることになったためです…。
京都市内に家を持つのは非常に大変なことです。一言で言って、割に合わない。5000万以下の不動産は、高い建物に囲まれ、くっつきあって、庭もない極小地建売か、修繕代のほうが高くつきそうな中古。不動産は東京の郊外の2倍はすると思って良いと思いますよ…。普通のよそ者的には、賃貸が高くとも、そんな京都に家を構えるということはずっと京都市民として生きていけるかどうかという意味で、覚悟のいることなんですよ。
そして、京都の良い土地は下がらないので、外国人投資家に買われることになり、新しい世代の京都市民は、家が買えないので市外へ流出していきます。 マンション住まいと戸建て住まいでは、地域コミュニティの関わりの度合いが変わってくるのですが、普通の人が手を出せるという理由で残った人のマンション住まいが増え、結果的に京都の各地域のルールやコミュニティもだんだんと壊れて行っているというのが、今の京都なんですね。
行事や風習はそこに住む人がいないと、継承されませんので、物質主義にそまった政治によって、ゆっくりと日本の精神的な原風景が壊されていっていてると言っても良いかもしれません。
東京生活が長い今の京都市長は、日本の社会を物質主義に偏らせた元経済官僚ですし、もはや感覚が京都人ではなくなってもいるので、市政も京都らしさからはずれてきます。高いビルやマンション、リニアモーターカーとか東京にならってどんどん入れられちゃうんでしょうね。それが経済的進化だと思ってるから。物質と精神のバランスが良いのが本来の京都なんですけどねぇ。
娘たちも、日本髪を結って、京都を闊歩する小学生としてだいぶ有名になってきました。おばあちゃまである、うちのママンが「東京でこんなことやったら大変なことになる!何を言われるかわからない。京都だから許されることよ!」と、よく言っています。
たしかに…帰るたびに再確認しますが、東京はいまや低信頼社会そのものですよね、その劣化ぶりは、今、中国に負けない程になってきてますね。
都会の大方の人は、自分の心より、他人の目線をめちゃめちゃ気にして、孤立して、余計なことはしないと決めている。
若い人たちは社会にも無奉仕で、赤の他人は全員敵だと思って生きてますので、その価値観もわからんでもない。表面的な根回し支配のための笑顔、陰では学校名競走・嫉妬、悪口、保護者会・村八分もすごい。街は臭い。あいさつはしてはいけない。東京かっこいい?!バカ言え!
このあいだ私的に驚愕したのが、外国人が増えてきている低所得層の多い団地のベンチの脇に、人糞がもりもりしてあったこと。どうみても犬の糞じゃない。こんなこと20年通りすがっててもまったくなかったのに!
外国人は、そういうことをすると聞いたので、怖いなぁ、東京。ここまでになっているのか、と思いました。
そういう意味でも、家族全員、地方都市に引っ越してよかったなぁ〜とつくづくいいあっています。着物にしても、東京の知り合いには、子供が思春期になったら、変わった格好をさせて人前でパフォーマンスしたことが心の傷になる、可哀想、酷い親なんじゃないのみたいに、それとな〜く匂わされたりするんですよ。
心は西にある私としては、着物着た子供がなんで思春期で傷つくんだよ、バカじゃね〜のって思って、スルーしていますが、着物が自国のアイデンティティを表す民族衣装ではなく、コスプレ扱いになっているっていうあたりで、もう東京は、日本人として終わってるんじゃないでしょうか。
現状を冷静に見れば、移民の問題から言っても、日本人の伝統や歴史はもう火が消える寸前なんです。まともな判断力を持つ日本人が激減しましたから。
フィリピンの友達からも、C国の侵略行為でフィリピンの島がすでにとられた話を昨日聞いたんですけど、いずれ大阪を拠点に外国人たちが領土をとりに蜂起するのでしょう。
日本語をまったく話せない国籍の違う子供が、京都市の公立にどんどん入学してきて現場が混乱してる話も少し聞きました。これから民泊も厳しく制限されるという話ではありますが、彼らの目的を想像すると正直、違和感です。
しかし、まだまだ京都では着物姿は当たり前の光景ですし、地元・京都の人からも大して子供の着物姿に目くじらたてられることはなく、むしろあちこちから、やっぱりいいねぇ!と歓声があがります。京都市の子どもたちもそんな子供着物に悪口を言うこともなく、いいね!私も着物を着てみたい!教えてよ!と思ってくれている。そんな子供達にはボランティアで、たまに着付けを教えたりしていますが、東京よりサイコパス的な人が少なく、素直で明るい子供や大人の多い京都は、まだ平和でありがたいです。
写真の娘も2026年新年は、能舞台で有名な金剛能楽堂で日本舞踊の舞台に立ちました。素晴らしい踊りを披露してくれました。
この娘は、何年も前のブログ記事に書いたことがありますが、スポーツ系のアスリート専門幼児施設で、あらゆる競技で最下位を総なめしていた娘です。
チーム競技においては、「お前のせいでオレら負けたじゃん!」とボロカスに責められ、車騎星キッズ軍団wから「ドジで間抜けでノロマの亀!」扱いされて泣いていた娘です。
その後、宿命に従って背中を押して、初めてヒロインとして立った舞台で、園中の評価を180度ひっくり返した過去を持つんですが、もう、あの幼児園時代から、早、3年ですよ。感無量です。
今、彼女は、地元でバレエとモデルをやりながら、シーズンごとに西洋だけではよくないと思い、東洋の日本舞踊も学んでいます。そしたら、この子の前世はもしかして、芸妓さんだったんじゃないだろうかと思うほど、初めたばかりなのに、先生たちが「ちゃんと腰が入っている!覚えが早い!」とお稽古中、驚愕していました。
そして、今年の発表会が終わったあとの会場では先生が「娘さんは舞台で人を惹きつける魅力を持っています。なにかをもっているのがわかるんです。日本舞踊の世界に入れたら何段階も飛び越えたレベルにすぐに上がるのがわかります。日本舞踊つづけさせてあげてください。」と言ってくださいました。
東の禄存星の特質を見抜いておられる先生の見識もすごいな、と思うと同時に、ああ、やっぱりそうかと思いましたね。宿命は裏切らない。
車騎星が宿命の表にない娘には、プロスポーツのアスリートの世界でどうしても必要になる素質=相手にぶちかまされたら、シノゴの言わずに結果をだすための最短の手段をとり、相手に向けて即ぶちかまし返す瞬発力と動力といったものはありませんので、どうしても向きません。
しかし、同じアスリートでも、東の禄存星・司禄星があるなら、陽占に車騎星・牽牛星がなかったとしても、舞台アスリートの世界で力を発揮できるんですよね。何が言いたいかって言うと、世の中、うちの子はなにをやっても平均、と思ってるお母さんが多いですが、そうじゃない。その子にとって、水を得た魚になれる環境が見つかっていないだけだよって話なんですよ。
(あと精密に出すには、肉体的な部分、遺伝子的なテストを組み合わせる必要もありますが。)
これは、大人にしてもそう。
働き方にもいろいろあって、鑑定実例のケースの中で言えば、例えば、東の星と中央の自分の主星が一緒の方というのは、自分自身が仕事の位置にもう一つありますから、仕事の出来がそのまんま自分への評価として感じられ、それをダイレクトに受け止めてしまう傾向がわりとあります。
でも、仕事なんて相手の都合もありますよね。
いい仕事しても、不満だらけのお客さんはいるし、お客さんの見識が浅くて自分の仕事の質をただしく理解しない場合だってあるわけですから、普通の人は、客の反応が面白くないなぁ、とは思っても、それで自分自身が傷つくわけではありませんので客の態度を流していられます。
でも、主星と東が同じなら、自分と仕事が一致しているわけなので、自分の心の安定のためには、結果や客・同僚の反応にこだわらずにはいられなくなるんですよね。だから、他のタイプの人よりも、仕事と自己評価の切り分けが難しい。だから、お客さんに繊細な気遣いが必要な仕事はストレスになる。
あくまで傾向ですけどね。
だとしたら、人にダイレクトに評価されない仕事のスタイルの方が自分が楽になります。自分の評価が直接関係のないところで、仕事が成立するような仕事の方が、かえって本人らしく楽にできます。
プロファイラーとしての私は、そのバランス具合を、相談者がこれまでどういうパターンを経験してきたかのお話を聞きながら、「うんうん、多分、そういうことだろうなぁ」とおもいながら、なんとな〜くアドバイスしていくことになります。
百人いれば百人、その人が力を発揮しやすい環境には細かい条件があります。しかし、宿命通りの環境で力を発揮できていない時もあります。そういうときには、また別な理由が存在します。その裏にはそのご両親の生き方や価値観が大きく影響して、子供の能力が発揮できていないということなんです。ですから、どんな影響をうけていて、どうしてその方が、自分にブロックをかけているのかをみます。
例えば、あるご両親から、この子は飽きっぽい子なので、何をやっても結局興味が他にうつるので、そこまで熱意をかけてもなぁ〜って言われたことがあります。
でもね、そうなんだ〜とおもって、その子の宿命を見ると、プライドの星がいっぱい。そして、天禄星があるわけですよ。
親の言うような移り気の無責任系の子ではなく、むしろ真面目な子なんです。
天報星とかもわりとそうですが、あちこちの体験に興味が向いて、その後、追求できずに次に移るというのは、移り気っていうのは、周りの見方であって、天禄星を持っているその子の視点では、子供なので言語化できませんが、体験サンプルの取得に向かっている状態なんですね。
宿命上、自分を発揮するのに体験のマテリアルがたくさん必要な子は、そのちょっとだけかじった体験の数々が必要です。天庫星のように、一つの道をマニアックに追求して到着するゴールではないんです。
そう言うタイプの子というのは、大人になった時、将来的に働いていく上で、頭の中で経験が土台になります。それらがコラボレーションして、新しいアイデアや方法論を見つけ出すためにどうしても必要なんです。
だからその子は、その時それがなんの役に立つのかなんてわかりません。
ただ、やりたい、と思ってやる。
例えば、野球がやりたい、と思ってやる。
普通は、おお、じゃ、甲子園とか、野球選手を目指すんだね、と、大人は思うかもしれない。
でも子供にとっては野球関連の体験マテリアルが必要でやっていただけかもしれないんですね。
でも野球やりたかったんじゃないの?!なんて移り気なんだ!中途半端だ!と月謝を出してる親としてはどうしても思ってしまうかもしれない。
付き合わされた親はとんだとばっちりだ!と。
じゃあ、マテリアルだからって適当でいい、とも言えないです。
そこにその時ちゃんと真剣に打ち込んだ経験じゃないとマテリアルにかわらないので、ちゃんと飽きるまで、真剣に応援してあげましょう!
ましてやその子は、プライドの星がたくさんあったんですね。
落ちこぼれるのは絶対嫌です。
だから、ちょっと頑張れば上にあがれる、を繰り返して、親が名誉を手に入れやすいように、それとなく環境配置をしてあげる必要があります。
恥をかくのが一番嫌な子供ですから。
でも親御さんの方は鳳閣星なんで、そこまで一生懸命やらなくていいよ〜身近にあるものでやれることをやればいいじゃん、になっていきます。
だから、お子さんは、その親御さんがおっしゃる通り、なにをやっても平均なままだったんですね。
すると、問題はお子さんの方ではない。この親御さんがお子さんの頑張る気を削ぐのはなぜなのか?というところへ着目していくことになるわけです。
鳳閣星は本来の良い状態では、向上心を否定する星ではなく、「よっし!子供がやりたいなら、応援するし!自分も楽しくやろう!」と子供心が理解できるので、いっしょになって子供を応援できる星です。
なのに、頑張りたい子供の意思をなんとなくスルーして無意識に相手のやる気を削ぐのは、自分もそれによってがんばらされるのが嫌だからです。
子供は親の反応を過敏に感じ取りますので、自分の頑張りが迷惑になると解釈して、なんとなく辞める方向に向かいます。
そんなサインを子供が出し始めた時、鳳閣星が濁っている親の方は、子供が自分から辞める方向に行ったんだから、と解釈し、親は止めません。
親がそういうムードをつくったことは、(鳳閣星が濁った気をもつと、ですが、)麻痺させて、真実に気がつかなかったことにします。
なぜ、この鳳閣星の親は、がんばるのが嫌なのか。
そこに親子が行き詰まる問題の核心が横たわっていることになるんですが、そうなるともう鑑定技術云々ではなく、カウンセリングやコンサルティングの能力までもが必要になってきます。だからうちは高いんですよね。w
どこまで相手のために深層心理を指摘してあげるかっていうのも、その采配ぐあいも自分次第ですから、難しいことです。依頼人からの反発も受ける覚悟や丈夫なメンタルもいりますんで、未熟な人がきたら、相手にするのは相当に大変でもあり、こんな態度の人のは正直、見たくない、と思ったら、見ないこともあります。
だから、算命学は誰でもやれるものではない、誰もが受けるものでもない。
結局、向いた人しかやれない、って私がいう理由なんですよね。
まぁ、新年からそんな話をしなくてもいいか。w
なんだかんだで言いたかったのは、あなたのお子さんはダメなんじゃない!
お子さんが伸びやすい環境を、周りで設定してあげられてないんだ!っていうことです。設定しないことがいい、宿命ももちろんありますが。
向いてない合わない環境では、うちの娘のようにバカでドジでノロマのカメ扱いされても、合う環境では、天才少女と呼ばれるわけです。
または、平均的になんでもできる子は、移り気なんじゃなくて、体験のビッグデータを活用して、企画アイデアやサポートで能力を発揮する人間かもしれないわけです。視点が変われば、まったく評価は変わる。自分の見方の中に子供をいれてはいけないよ、ってことだと思うんですよね。
八十に近くなっても、いまだにうちのママンは、私を自分の勝手に思っている(思いたい)子供像を通して、いろんな意見の押し付けをしてきますよ。
人っていうのは、自分の想像の中にないものは、わからないんです。
個人的なことなんですが、先日、私の脳の医療画像の中に、子供の頃だろうと思われる、大きな脳内出血の後が見つかったんですよね。
子供の頃はそこまでわかる医療機器がなかったから、今になってわかったわけだけど、もしかすると、それで子供の頃の私には度々の体調不良と、高次機能障害的な状況が発現していた可能性がある。
でもそれを聞いたとき、ママンは医療情報であの時、色々調べたけど異常がなしだったから、わがままを言っている、と解釈して、子供の私に冷たい態度をとり続けたんだ、と言ったんですよね。
なんか複雑な気分ですよね。
こっちとしては、自分でなんとかできない体調も学業も家庭内の取り扱いも、トリプルで辛かったんですけどぉ!
そんな障害的な事情があったとしても、たぶん、宿命の通りに育てられていれば、問題は出さなかった、誤差の範囲でしかなかったと、振り返って眺めても思うんですよね。宿命ってそれくらいのゆとりや大きさを持つものですし!
あなたのお子さんもわかんないですよ、今、医療が追いついてないだけで、なにかがある場合だってある。私も10万人に2、3人の病気(最近知った)だったんですからね。親が子供に悪をみても、制裁を加えたところで、建設的な結果は、なにも生まないんだってことを、こんなエピソードからも知って欲しいです。
だから、親業は人育てなんで、社会性を広げて、バラエティや多様性、いろんな正解をいろいろな形で、学ばなければならないもんなんです。
成功ノウハウなんてないんです。その子にとっての正解があるだけ。
だから難しい。
そんな世界をできる限り大人が分かろうとするには、真剣に人間ってものを学ぶ気がなければ、まず無理ですよね。
それを楽しんで学べないひとならは、子供を持つのは、本当にやめた方がいいと思います。自分が苦しみます。
子供自身も生まれたこの世界でどう活躍すればいいかわかんないんですから親が命綱みたいなもんですよ。
親のフィードバックが全てと言ってもいい。
だから、親側が積極的に子供の良さをどんどん見つけ出してあげればいい。
私は、そう思うんですよね。
で、親に見つけてもらえずに大人になった人は、今から、今ある素材を携えて、自分が輝ける場所へ行けばいいんですよね。
文末にまとめですが、実学算命学的に、2026年はそういうことができるか、できないかで、人生が大きく分岐すると思うんですね。
スピリチュアルではいろんなこと言われてると思うんですが、実学算命学として、私のところに届いているメッセージはこれです。
諦める人間と、諦めない人間。
このどっちを選ぶか、が人生を分ける。
ってことです。何を諦めないのかっていうのは、人それぞれです。
みんな、それぞれのテーマに今年、直面すると思いますが、そうなったときに絶望しないことがなによりも大事って意味ですね。
それっていうのは、努力が世界を作っている部分ってある程度でしかなくて、大きく自分の世界に影響を与えているのは、自分の意図の部分だからなんです。
意図が絶望に向かえば、そちらに向けて自分の宿命の枠の気がうごき、そちらへ舵をきられる。
でも意図は、たとえ困難があっても、紆余曲折、光にたどり着く方向へ、意図を向けることができれば、全ての気が実現に向けて動き出し、それはその通りになるんです。
それは自分の能力でも努力でもないです。
意図をどこに向けるか、だけなんですね。
今、ただでさえ、宇宙線が不安定です。太陽フレアもその一つです。
本来、算命学でいう天の気は、ひっくるめた天体由来の宇宙線のことをさしています。
だから変化する天の気をうけて、その気をうければ、自分の中にエネルギーが発生します。
あなたがその時、そのエネルギーをつかうための舵は、意図です。
意図をどこにむけていくか、自分の方針を自分の中で持つ必要がありますよ、ってことなんですよね。
実学算命学の公式SNSで日干ごとのテーマ性をいつも語っているのですが、それもただ漠然とした世界の中でたゆとうより、目的を持って自分の意図を定める、ということができるよう、気を活用するためにやってきたことなんです。
自分の宿命が鑑定士に向かないのに、自分の本来やりたいことや向いたことじゃなくて、算命学、とかスピリチュアリストのセミナーや自己啓発を学ぶ方にどんどんエネルギーや金銭投資が向かっていく人は、無意識に自分のやりたいことをしないように阻止しているもう一人の自分に、そろそろ気がつかなくちゃいけない。だって、時間はそんなに残っていないから。
命は光なんです。
光があるうちは生きられるけど、光が消えた時、寿命もつきます。
自分の光を覆うようなことをし続ければ、それに追い打ちをかけることになります。カルマもありますから、寿命云々は言えませんが、もし自分で自分の命を縮めるとすれば、そういうケースがあるという意味で。
内側から光をかがやかせられる生き方をめざすためのひとつの転機をもたらす天の気がまた2月4日前後にやってきますよ。
それを取り込んで、どんな人生を創り上げていくのか!意図するのは自分なんだってこと。
ぜひ、自分の人生を生きてください。
お役に立てば幸いです。
実学算命学プロファイラーJemmyでした。