昨日、タマちゃんが「いいなぁ〜新しくようちゃん自転車新しく買ってもらって」とぶつくさ言っていました。
ちいさくなったお下がりの自転車がもう乗れなくなったので、パパに中古屋さんで子供自転車を買ってもらったようちゃんです。
「えっ、自分はたっかいマウンテンバイクをサンタからもらっといて、そういうこという〜?」と私がいうと、
「そっか。」と黙る玉ちゃん。
そして、生日中殺のようちゃんは、素朴な疑問を投げかけます。
「かねてから思ってたけど、サンタってさ〜、なんでそんなにお金持ちなんだろう。この調子で世界中の子供たちにプレゼントをおくってるわけだよね?どんだけ資産家なの。」
小学生の現実的な質問に「えっ!」と驚く。
「いや、資産家ってわけじゃないのかもしれなくて、それはさ、ノースポールってところに工場があって、エルフが全部作ってるんだよ。魔法とか色々使いながらさ。」
と夢を壊さないようにあわてて、言ったんだけど、
「でも、サンタからもらったもののなかには、100均で売ってたりするものもあるよ。定価とか書いてあったり。」
そこみてる?!
うぅ!子供とはいえ、めざとい!
「サンタがつくって、店に卸してるなんてこともあるかもしれないしね...」
苦し紛れの言い訳。
「ノース・ポールとは書いてなかった。」
自分の損得と財に敏感な禄存星!!
なんでそこだけ、妙に現実的なんだ。
「もしかしたら、サンタのところのエルフたちは、忠実に商品をコピーしてつくってるってこともあるよね?」
と下の娘。
「じゃ、エルフって中国人なの?」
「えっ?なんで」
「だって海賊版ってことでしょ。ウチ達がもらったプレゼントは。」
普段たぬきみたいな娘なのに、なかなか難しい年頃になってきました....。
ふわふわとした夢の中の子供なのに、あるときめっちゃ現実感があることを言う、食えない子供(笑)。むむぅ〜。
そんな娘が最近、学校に行きたくないと言い出したんですよ。
楽しそうに通ってたのに、どうしたんだろう。
その理由をきいたら、彼女的には、だれかが間違った答えを言った時、または間違った行動をとってしまった時、クラスの中に容赦無く咎めたり責めたりするような雰囲気が発生して、それが私の心に突き刺さるから辛い。と言ったんですよね。
私は、自分じゃなくても人が争い合ってるのを見るだけで嫌なんだ...とか、京都弁は感情を乗せやすい言葉なので、責める気持ちをつかって言葉を放った時には言葉はきつく感じる。たまに東京にもどりたいとおもうことがある、と言うことを子供の言葉で言ってましたね....。
それで、どうしたもんかと思ってて、
親がその事実を見ていないし、事情が飲み込めない状況で、間に入って学校に伝えても、ごちゃごちゃになるよな、と思ったので、娘に許可を得て、泣いて話している時にその言い分を動画で撮影しました。
そして、面談とかなんか機会があったら、その動画ごと先生にみてもらおうとおもってたんですよね。
そんななかで、公立の京都の小学校で、1か月前、一斉にいじめ調査というのが行われたんですね。公立はひとクラスが四十人規模ですから、休み時間や放課後を含めてとなると、教師といえども、なにがおきたのかすべて把握しきれませんし、先生が見るだけでは、いじめられているかどうかの判断がつかない時がある。だから、辛い思いをしていることがあったら、いじめアンケートに遠慮なく書いて欲しい、ということだったそうです。
そして、いじめアンケートのあと、こどもたち一人一人と担任の先生が面談して、じっくりおはなししてくれるということがあったんですね。
先週、大雨が降った日、娘が友達関係が重荷で学校に行きたくない、と言ったので、これを機会に子供が学校に行きたくないと言っている理由や内容をウェブから先生に送ったんですね。そしたら、学校からお電話があって、心配した先生は子供の様子をじっくり聞いてくれて、親がわもこれまでの経緯や最近どういう感じだったのかをお話しすることができました。
そして先生は子供のためにどうしたらいいのか、本当に真剣に考えてくれて、その後、すぐにいろいろ準備してクラス会を開いてくれたんですよ。
だれかが、という名前は出さなかったけれども、本質的な問題を考える機会を作ってくれて、先生的には、みんなでどのようなクラスにしていきたいか、という、理想のビジョンを子供達と共有しようとしてくれたんですね。
その中でまだわずか2年生の子供たちが、みんな真剣にそのテーマに惹きつけられ、自分たちにできることはなんだろうか、という意見交換があちこちで飛び交ったそうです。
そして、失敗を咎め合うクラスではなくて、みんなを手助けし合うこと、優しさをつくりだすクラスにしていこう、という団結が生まれたそうなんです。
これ、昨年の記憶をふりかえることにもなって、昨年行ってた京都駅近くのインターもどきの学校では、このような学校教育をすると旗振りはされてたけど、実際、全く成立しなかったんですよね。(だって、みんな英語できないなかで、どうやってネイティブ教師の話を聞いて、みんなで話し合いするの。)
親がネイティブか、母語が英語の子供たちなら成立するかもしれないんでしょうけど、語彙が少ない、英語がちょっと得意なだけの日本人の、たかが英語幼稚園上がりが大多数の学校で、意見交換なんてそもそも成立しないんです。
だから、子供にしたら意味を取るので精一杯で、そこから概念を深めていくというような高度なことなど、その京都駅ちかくのインターナショナルもどきの学校では成立しなかった。(※上京区や伏見のインターのように、本当のインターだと、もっとちゃんとしっかりやりますので、そのインド系の校長がいる学校だけがおかしかったんだと思いますが。)
ちなみにもともとネイティブレベルが7割だという前提で、入学した学校ですが、蓋を開けたら、全員、日本語の日本人だったということも騙された感じがありましたしね。インド系って平気で嘘を嘘とも思わず嘘をつく人多いんだなぁと思いました。ネイティブの出身国も大事ですね。
京都の公立で先生がアクションをとってくれた途端、子供たちがすごく変わったという話を聞いて、あらためてそういうことを振り返ってもやっぱり、言葉って大事。母語で思考を深めたり、意見交換することって大事なんだな、と思いましたね。
で、学校でそんなことがあった日帰宅した娘も、「今日、本当にうれしいことがあったの!」とニコニコしていいました。「私が理想としてる、悲しい思いをする子が誰もいないクラスに、みんなもしていきたいって思ったのがすごく伝わった。安心した。」
と言いました。
担任の先生からもあらためて、放課後、丁重な報告がありました。子供のその後へのケアもしっかりあって、私は本当に京都の公立の先生たちってすごいなぁと思いました。
東京の公立でこんな扱いを受けたことなんて、まずないです。
そして、京都のインターもどきの学校でも、子供同士でトラブルが起きたときですら、怪我した時ですら、連絡帳に連絡メモ一つつけてもらったことないです。それくらいそこのネイティブ、仕事やらないんですよ!
ネイティブの先生はいじめを受けたなら、「嫌だったら、自分で嫌っていえばいいじゃん。」で終わってました。「そんなのがいじめ?」という解釈をされることもありました。自己主張が当たり前の世界の中で育った人たちは、察する文化独自の、雰囲気の圧力と言葉のニュアンスによるしつこい仲間いじめは理解できません。
その時は、クラスで四人もいじめに辛い思いをしている日本の子供たちがでましたが、結局、後でその後どうなったかを聞き取ると、どのお母さんからも「インド系の校長先生には、まともな対応をしてもらえなかった」と話してました。挙げ句、そのうちの二人は学校を辞めました。
都会の公立・私立の世界を知っていた私としては、個々の指導能力は差異があったとしても、今の学校で、人育てという本質的な仕事をきっちりやろう、という基本がある京都の公立の先生たちに何人も出会って、大元の京都府の教育委員会の姿勢はすごいな、と思いました。
海外在住者から日本の教育はやっぱりすごいよ、とも言われてきたけど、いや、全然そんなことない、ひどいもんや!と関東圏の教育をみておもってました。
でも、京都にきて、はじめて、「そうだな、海外とくらべても日本の京都の教師はしっかりやってるな」と共感することができるようになりました。
今回のことは私からすると、いじめというには、ささいなムードの問題かな、とも思えたんですけど、娘の心の葛藤を担任の先生がしっかりと受け止めてくれたことは、驚くべきことで、先生のやさしさと度量にすごく感銘を受けました。夕食の時の娘の笑顔を見て、子供の心を大事にしてくれた先生たちに、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
京都というところは、簡単に金に魂を売りません。物質も大事ですが、しかしそれ以上に、精神的な価値やこころの方を重んじる風土があります。
この間、祇園祭のプレミアム席(80万円)について、八坂神社の宮司が新聞を通じて、物申したのもこころがスカッとしました。
「神事は、金持ちのためのエンタメ・ショーじゃない。」ってね。
京都が、資本主義のルールで金に魂を売ったら、もう京都じゃなくなる。
バランスを超えた時に、ちゃんと「それはちがう!」って言えるひとがいること、それを支持する日本人たちがいっぱいるという意味で、京都は素晴らしいところだと思います。だから、京都にはそれをDNAレベルで受け継いできた京都人が住まわなくちゃいけない。
そんな京都は、そもそも情と合理的な仕事という意味で、どんな領域でもバランスよく、いい仕事をしてくれるところですが、教育においてもそうで、学力をあげることはもとより、先生たちは、人を人たらしめている情の大切さを軽んじないんですね。本当に子供を大事にしてくれるところだと思いました。
そういう良さは、滋賀や大阪にもあるのかもしれません。
逆にいうと、うちが、東京砂漠という本当に資本主義の支配する酷い世界から脱してきた、ということかもしれませんけどもね。
上の娘が言ってたんですけど、京都の公立が娘的にすごいと思うのは、バスを借り切って、社会科見学に自分たちをしょちゅう連れ出してくれること、だそうです。先日は学校がクリーンセンターにつれていってくれて、すごいものをみた!またどうしても行きたい、とゴミ処理場施設に感動していました。
自分たちの社会にかかわる重要施設群をバスを借り切って、数ヶ月に1回くらいの割合なのかな、毎月かもしれないけど、工場見学や技術見学、警察の指導授業といった、学校外部の実際の社会と子供たちをリンクさせる体験活動にとても熱心なんですよね。
この基準を入学前にそもそも約束してくれていたのに、京都駅近くのインターは、まったくなにもせず、でした。京都市の水族館やアイススケートリンクに連れ出すのがせいぜいで、水族館はたった数時間しか見ることができない。
畜産を学んでいるときも、施設に子供達を社会科見学に連れて行ったらどうかと提案しても、校長は、遠すぎる、と却下でした。
高度な海外の教育を毎月のようにプレゼンはするものの、実行は伴わない。社会をふんだんに学校教育の中で体験させるという話は一体どうしたの?と校長の恥知らずな手のひら返しには、昨年度、しょっちゅうびっくりさせられていましたし、学年でも入学早々、四人が辞めた。
でも、なんとそのインターがプレミアムのように宣伝していたそういう教育内容は、実は無料の京都の公立が当たり前のように、実行が伴って、ちゃんとやってくれていた!んですよね。
そのくせして、京都を田舎者集団と嘲笑うこのインド系校長には、本当に腹が立ちましたね。そんなのやることやってから言え!って、夫婦で思いました。
東京の公立といっても、通ってたのは普通の公立ではなくて、教育実験校だったんです。でも、その校長はセクハラで懲戒免職。先進的で新しい教育の試みをやるような学校にみえても、私たちは東京の先端の公立でこれなら、公立はもうどこもダメだろうと完全に見限っていたんですが、京都のインターの校長の巧妙に仕掛けたトラブルをきっかけにインターをやめることになったあと、幸運にもそれを遥かに上回る、京都の公立の教育レベルに出くわして、私はなにもかもがびっくりでしたね。西はこんなにちがうのか、と。
もともとインターナショナル・スクールに通っている人たちは、住んでいる地域によるのか、京都の公立不信がある親が多いみたいで、おそらく、地元の公立いかせるなら私立に行かせるでしょうけど、なんにせよその親たちが、教育というものの本質を考えれば、このインターもどきよりは遥かに公立の方がマシ、と気づけないあたりで、教育とはそもそも何なのか、金持ち親にはまったく理解されていなかったと思います。
それに、交通の仕組みも知らず、安全も自分一人で守れない本当に小さな子たちが、定期券を持って、外国人だらけの京都駅をたったひとりで通学させられていることにも、なんども問題提起しましたが、だれもそれがおかしいことだ、子供を危険に晒していることだと、理解する親がいませんでしたね。
沖縄だって、通学途中の子供たちが外国人に乱暴される事件がよくあります。これは別に京都の普通です、とみんながやるから怖くない、みたいなことを平気で宣う金持ちたちの発言には、ステータスのためには子供の安全や命や成長のことはどうでもいいのか、という怒りさえ、感じました。ここは日本人村であり、インターではないな、と思いました。
この京都の国際環境を配慮し、自分の頭でしっかり考えて、子供を守ろうとしない、学校も、親も、率直に言って、感覚や価値観が人としてずいぶん狂ってましたね。東京の嫌なところが圧縮されていた。京都にいながら、インターもどきの東京の学校に通っていたことに、いまさらながら気が付きます。
京都の公立の先生や地域の大人のモラルを知ってから、あらためて振り返ると、あのとき決断して、本当にやめて正解だったと思うんです。
自分の知っていたネイティブの友人たちやインターの先生は、もっとまともな人間が多いですんで、京都駅近くのこの学校もどきは、なおさら、変な自称インターと変なネイティブ集団だったな、と思います。
京都でインター選ぶなら、もっとすばらしいところいくつかありますんで、その学校には気をつけてほしいです。
まぁしかし、それも自分の身から出た錆。
同じ轍を踏まないように、気をつけようと思います。
雨降って地固まる。
今、上の娘はオンラインのインターナショナル・スクール系の学校と公立を併用していますが、インターに通っていた時より、英語も日本語も語学はどんどん上がっています。京都駅で困っている観光客と駅員さんの間に立って、手助けしたり、銭湯で使い方を教えてあげたり。ハリーポッターのような英語の児童書も普通に読みます。オンラインインターは、アメリカの教科書に沿ったただしい教育プログラムが行われていたので、やっぱり、英語の語彙やグラマーの伸び幅は数ヶ月で差がわかるくらい大きかったです。
あの時は、英語力がないことに疑問を呈しても、インターはこんなもんですと言われていましたが、今は、そうじゃなくて、本当にこのインターが、見掛け倒しの薄い教育内容だったから、こどもが伸びないんだとわかる、良い証明になりました。本当にいい教育というのは、親がみてもわかるとおり、子供が良い方へ変化していくのがわかる教育ですよね。
そして、上の子供は近くの英語塾でも彼女に適合するレベルの教室がもうどこもないので、今年、きちんと引率がある状態で、小学生だけど夏休みに海外の短期留学プログラムに参加することになりました。
環境全体が英語ネイティブの人々に囲まれて暮らしたら、自分の中の基準値もあがり、飽きずに英語学習から吸収したい気持ちがもっと強くなるだろうと思いますし、オンラインでお世話になっている担任の先生と実際に会うことができるので、お互いの人間同士の絆が深まると思います。
自分も高校の時にイギリスの大学の短期研修をうけたとき、その体験がすごく世界をひろげてくれたのを覚えています。
だから、意識を広げてくれる一助になってくれれば、と、可愛い娘を遠くに送り出すことにしたんです。円安だから、親はきついですけども〜〜(涙)!
最近、もりもりご飯を食べて、どんどん背が高くなっている上の娘です。
あ、そうそう京都は、食育の教育についても、全国でもトップクラスなのではないか、と私は密かに思っています。
先日、上の娘が「であいもん」について話してくれました。
意味的にはフランス語でいうマリアージュに近いものです。美味しいものが美味しいものとコラボレーションしてあらたなおいしさをつくることを、京都の人たちがであいもんって言っているのだそうです。
娘の通う公立は、給食を学校で作っているので、出来立てを食べられるし、京都ならではの伝統的な和食やおばんざいがでてくるし、東京の給食とはくらべものにならないおいしさだそうです。
給食の食材を担当している部署の方とも色々話をしましたが、京都の給食は、食材の安全性にもかなり気を遣っていることもわかりました。
関東で一時期炎上した、放射能汚染の懸念があるような食材は一切使いません。それは、子供の健康と安全を預かっているのだから、私たちからしたら、徹底的にこだわるのは、当たり前のことですから、っておっしゃっていました。
上の娘がいうには、東京では、給食時間に流行りのポップソングを流したり、クイズ大会が放送されるだけだったのだそうで、食事について何も学ぶことがなかったそう。しかし京都では、食事というものが大切な機会と考えられていて、今日出た食事の由来や調理方法についてや、季節のこと、この食材がどのようにしてきたのか、食事周辺のことを放送委員が調べて校内放送があり、みんなで残さないように、感謝していただくのだそうですよ。
食育、食育、と言われますが、実際にちゃんと子供たちに和食文化を教育の中でつたえているのは、京都市だけなんじゃないでしょうか。
そして、子供が地産地消や豊作貧乏といった日本語を覚えて帰ってくるのも、家庭で飛び交う言葉ではないだけに、学校で教えてもらえてありがたいと感じています。教科書もないあのインターナショナルスクールもどきに通ってたら、このような日本語の語彙や概念を、子供たちが学んで帰ってくることはないからです。
こどもが英語ができるからこそ、かえって、日本の概念理解や日本語を大切にしなくちゃいけなかったんだ、と近頃は本当に思うのです。
そして、それを教えられる本当によい土地へ来たのに、東京の考えでお金をかければ、それなりのものが保証されると思っていた東の価値観に染まった自分を良い意味で裏切ってもらえて、京都の教育レベルに、本当に感謝です。
東京は、先端都市でも、すぐれた都市でもなんでもないんですよ。
むしろ、西の日本の中に、本当に大切にしていかなくてはならない日本の価値観土壌が残ってるんですよ。
私は、西の出身ではないからこそ、本当にそう思います。