本当に生きたい自分ってどんな自分だろう?

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占い
今日は、本当にとりとめもない話です。
読み飛ばしちゃっていいです。w

いずれ、作らなくてはならないなぁと思いながら、移転やら、子供の教育の問題やらが色々あって、何年も後回しになっていた公式ウェブサイト。
 当然ながら、実学算命学は占いの館などには所属していません。しかし、外国人の依頼や、京都の対面鑑定でも人にご紹介されることが増えてきたので、イベント告知までできるような「アドレス」になるようなものを改めて作っておかないとなぁ〜と、ようやく重い腰を上げて、実学算命学の公式Webサイトづくりを始めました。

 といっても、ひとがやっている以上、プロファイリングを受けられる数には上限があるので、ウェブサイトでジャンジャン集客しようという思いは毛頭なく、紹介されて気になった人が「あ、そういう感じのとこなんだね」とプロフィールがわりにわかるようなものにしよう、というふうに思っていて、だから一般企業サイトを手掛けるようなプロにお願いするほど、ちゃんとしたものは作りませんけどもね....。w
 一旦作業を辞めてしまうと、また辞めてしまいそうなので、プロファイリングの受付を閉め、勢いにのったまま今月中に、うまくアップロードできればいいなぁと考えています。

 昨日、京都の外国人がたくさん集まるキリスト教の教会へ行ってきたんですよね。牧師さんとはその前からコンタクトを取ってたんですが、子供がおたふくや水疱瘡ラッシュで、二ヶ月越しになりました。
 私は、密教も、ヒンズーやら、仏教やら、神道やら一応、勉強しているのですが、実は宗教としては、若い時からキリスト教で生きてました。
 後で分かったのですが、11世紀か12世紀まで、モンゴルあたりは、キリスト教ネストリウス派が流行っていたらしく、そのあとからチベット密教へメインストリームが変わっていくらしいんですね。
 だから、たぶん、自分もその時、土着の文化としてシャーマニズムや密教を勉強してよく知ってはいたけども、宗教的にはクリスチャンだったのではないかと思うのですよね。

そして、聖書を読めば、いつも牧者・羊、と出てくるように、聖書の世界ってのは、結局のところ、なんだかんだ言って、遊牧民族の物語なんですよね。
 そういう牧畜をやりながら移動して生きていたひとたちの発想や思想が、聖書の中にはある。
 自分の記憶上、遊牧社会は、ギリギリまで待つけど、見切りをつけるべきときには見切りをつけるドライさがあり、はっきりと線引きする。そして、それがある意味で、全体の生き残りのためでもあり、優しさでもある。
 同質のものだけでは行き詰まってしまうことも、動物の交配からよく知ってるし、多様性はありがたいものだと考える。
 だから、牧畜国家の末裔の西洋人たちが、私の友人としてフィットしたんだと思うんですよね。もちろん、西洋人全部というわけではなく、都会的な西洋人は、すべて合いません。会うのは、素朴で、古き良き西洋人の発想を持っている西洋人たちですね。

 で、国際都市・京都には意外にもかなり古い時代からキリシタンがいて、たくさんキリスト教教会がありますんで、誘われて、日本人の所属が多い教会にも行ってみたんですけど、自分にとっては、やっぱり農業国家の日本人だけのコミュニティは、少しだけ居心地が悪くて、自分のホームという感じがしない。
 だから、多種多様な人種と出身地の集まる国際的な教会を韓国人の友人に紹介してもらっていたんですよね。
 たまちゃんもなんだかんだで、日本人のお友達ができないことが寂しいと言っていたので、おなじバイリンガルの集まる教会で気にせず英語が使えて、ホッとできる場所を得てくれればいいなと思いました。

 実際訪れてみたら、優しくカジュアルで合理的な教会で、牧師さんのお説教も明るかったですね。そして、他人種多文化の思い思いの自然体で仲の良いコミュニティのなかで、二言語で行われるお説教を聞きながら、礼拝の間中、なんだかひたすら涙が出ました。
 子供の頃、ジーザスは丸ごと私の唯一の理解者だった。すべてを許容して、包んでくれる母のような存在だった。
その時の絆のようなものを思い返したんですね。
あれから、何十年たったんだろうって。

 そして、牧師さんがその日のお説教のテーマにしていたのは、

愛が動力になり、人種も国家も文化の差異すら、すべてが完璧に調和した「家族」となる新世界があらわれる、と黙示録の中に書かれているなかで、私たちはどのようにそのような世界へ向けて成長をとげていこうか、というようなお話でした。

 .....遊牧社会って、ある意味でそういう世界観だった気がしたんですよね。
人種も文化も性格も、いろんな人がいたような気がする。
 自分の子供じゃなくても、ファミリーだからみんなで育てる、っていうのもそうだし、行動と言葉はいつもシンプルで。旅人はもてなした。
 我が強くて、自分のやり方に頑固にこだわるひともいたけど、自分がちょっと多く持っているものを、持っていない人に分けてあげるのも普通。暮らしやすいように、お互い融通し合うことが当たり前だった世界に、自分は住んでいたような気がする。

 だけど、この日本ではそれが成立しない。
お互いにやさしさを掛け合うことが少ない。
隠し事が多く、言動不一致の世界では、誤解されること、傷つけられることに警戒しなくてはいけない。相手が嘘をついていることを、こっちは気づきながら、知らないふりをしなくてはならない。

ああ、もう嫌だなぁ〜こんな世界。
と、別に取り立てて何かがあったわけでもないのに、そんな気分になっていって、

それは、夏至を直前に、自分のそれまでの溜めたものがいっぱい浮き出てきているからなのだろうと思います。


自分もそんな感じなので、世間一般にも落ち込みを感じる人は多いかもしれないです。

で、あらためて、自分はどんな世界に行きたいのかなぁ、って考えるんですよね。すると、誰にも色々言われなくて済む世界かなぁと思いました。

生きたいのは、自分が好きなことをやって自己完結したり、自分の世界に閉じこもって、マイペースに生きていける世界ですね。w
人間観察オタクでいられる世界かなぁ〜
閉じこもるってあたりが、めっちゃ調舒星的な傾向かもしれないですけども。

そして、教会行ったら、牧師さんはじめ、まっすぐで純粋な笑顔の人たちにすごくホッとしたのは確か。
 本物の遊牧社会には帰れないから、少しでもそっちに近いところに行って故郷を感じて安心したい。

 受け入れられてるのか、そうでないのか、本当のところ、この人はどう考えてるんだろう?と思いたくなるような人たちとのコミュニケーションはもういいわ、飽き飽きした!
と、そういう本音が湧いてきたこともあって、
「実生活において、気のおけない仲間のなかで生きていきたい」というのが、自分の望みなんだとも気づきましたね。

で、先週はまた別に、「やたら髪の毛がこもって暑いし、ちょっと心が疲れたから、なんとなく会いたくなって、母性的な君のところにきた〜」と、美容室に行ったんですけど、

「え〜w 、プライベート?仕事でなんかあったんですか?」
 と聞いてくる、この美容師。

禄存星とは無縁の、言動一致型の調舒星・玉堂星と思われる理屈っぽいけど、よくしゃべる男です。

「いや、そうじゃないんだけどさ、なんだかわからないけど、疲れてんだよ。w お母さんが欲しくなったんだよ。」
というと、困ったように美容師はいいます。

「おかあさん、ってJemmyさん、実家にお母さんいるでしょ。」
「いや、僕のママンは地球外生命体だから、ダメ。」

「....?w 」

 実際に母性的な女の子に頼ったら、うっかり好きになってしまうかもしれないから、母性を感じさせる男の友達のところにいく自分。
この美容師さんは、事情を色々知ってるので、隠さなくて良い。

話がつきないこの美容師との時間で、ストレスが軽くなった。
 そして、山が趣味のこの男が「一般的なものなんで、期待しすぎないでくださいよ〜?」っていいながら、二ヶ月に一回しか来ない自分に合わせて、お土産の焼きドーナッツを買ってきてくれてた。その子供のおやつみたいな感じのお土産の心遣いが、裏表ない心だとわかるから、妙に嬉しかったんだわ。

 チェーン店の美容師は文句がでないサービスするけども、でもそれは業務上の上っ面。全部売上のため。嫌いな客でも合わせる。でもこの男は、サービス業なのに、不器用なくらいそれをしないw。
だから、こっちも遠慮しない。
冗談ツッコミ合えるこの男とは、美容室のサービスだけでなくて、友情ができてるんだなぁ〜って思って、なんか嬉しかった。

社会への疲れを感じると同時に、今月はなにかピンときた人もいるのか、励ましのメールなどもちょいちょいいただいたりしてて、「おかげで色々あったけど、今は人生変えることができました」と感謝メールもらいながら、かえって、自分もそういうひとたちの心に支えられているという実感があり、プチハッピーも、ちょいちょい味わっています。

 寂しさを感じると同時に、みててくれたり、大切に扱ってくれたり、自分を大事に思ってくれている温かい人も周りにちゃんといるんだよね、って教えられて、嬉しいこの頃なんだよね。


 どんな人生にしたいのか、というところで、もうひとつ思ったのは、前にもどこかでちょっと言ったことがあるんだけど、これから、クライエントさんたちを一話ごとのメインにしたような、鑑定ドラマを本にかきたいなぁってことなんですよ。
 もちろん個人が特定できない形にして、エンタメ性も加えて、なんですけどね、いやー、もう、本当にこれほどドラマチックな話はないですよ。
 クライエントさんの一人一人がすごい人生ドラマを生きているっていうのが、宿命を傍にして何年も味わってきましたからね。
 一人で味わうにはもったいないんじゃないかって思ってきてて。

宿命は、ただの枠組みかもしれませんが、その枠組みを本気で生きた時、こうなっていくのか!と唸らされるほど、その人生ストーリーは、そんじょそこらの小説や漫画に負けません。

 そして、その人生劇場を生で送っているクライエントさんたちの生き様を知って、一話一話に読むみんなも感動してほしいですね。
 クライエントさん本人的には辛いこともある人生だけど、周りから見たら、感動を与えるような人生なんですよ。

 今、小説家から意見をもらいながら、お話ししてたりして、もしかしたら、もしかして、企画を実際にライトノベル化するかもしれません。
 わかりやすさはもとより、多分、占いというレベルを超えた本当の算命学の世界を知ってもらう一助になるんじゃないかなって、考えています。
そのときは、お楽しみに。
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