プロファイリングをお断りするケース➁

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プロファイリングが笑って済ませられるようなエンタメ占いではないからこそ、実学算命学が絶対にご依頼をお断りしているケースが他にもある。

それは、すでに自分でものを考えらえる年齢になった思春期以降の子供や成人した子供達をプロファイリングしてほしいという親のご依頼だ。

思春期となれば、確かに難しい年頃である。
 引きこもってしまった子供の悩みの本質を理解したいとご依頼をかけてくるのはもちろんOKでプロファイラーは自分の心の葛藤を説明する言葉をもたない子供の代弁者として、子供が伸びていける環境・方向性、そして子供の葛藤の要因について、親にご説明する。

 ただし非常に興味深いのが、子供にのめりこみすぎたうえで子供の宿命を知りたいと言ってくる親の場合は、「親が子供にそれ以上手を出すな」という結果が出る親子関係であることが圧倒的に多い。だから結果として「それ以上親のエゴや視点で勝手にお子さんの人生の領域を侵さないでください」ということをお伝えするケースは、実際、かなりの数だ。

要するに思春期までに親子関係において信頼関係が出来上がっていれば、普通の親は、「この子は大丈夫。きちんと判断していける。」と任せていられる。そして、子供が自己を確立しようと葛藤している間ですら、いい意味で放っておけるので、見守りはしても、子供の方から親に聞いてくることがなければ、自分から手は出さないゆとりがある。

それができない、ということは、心理的な依存関係が親子にあり、これまでの親子関係においてもなんらかの「異常」があったということになる。
そして、子供が自分の力をもち始め、強烈に意思表明をし始めると、なんとか子供を自分仕様に変えたいので(自分が想定する、こうなったらホッとする未来に行くレールに乗ってほしいので)コントロールしようとして、親側が焦ったり悩んだりする。

で、実学算命学をご依頼いただく大人のご相談も、前回書いたのと同じように、なやみの本質的な仕組みはある意味で一緒である。悩んでいる大人というのは、子供の頃に親にいいようにされた子供達の成れの果ての姿だからだ。

 親のコンプレックスを背負わされたり、親が役割を放棄したり、親自身が人生を迷って子供の安定した環境を壊してしまったり、依存や、宗教的な洗脳をしていたり....

だからこそ、私は「こども」の未来をなによりも最優先して守ることが大人の務めだと思っている。
子供時代を壊すということは、そのひとの明るい未来の全てを壊すのと同じこと。そして、自分の人生を取り戻すのに、子供がその後、どれだけのエネルギーと時間を費やすことになるか、その過程は気が遠くなるほどだ。
 たとえ、それがカルマだとしても、経験しなくて良い痛みまでは、自分から背負って経験しなくて良い。

子供は力を持たない。そしてだれかを信頼し、一定期間、重心を置いて足がかりにしなければ、自分の足で立てるようにはならない。

子供を産む、ということは、子供の未来を自分が背負ってたつ責任が自動的に生じることだ。
昔、「かわいいから子供をもちたい、子供は好きな人との間の愛の象徴・メモリーよ。」とか言っているフランス人妻がいて、フザケンな!とばかりに、そのフランス女に強烈に怒ったことがあったが、子供はペットとは違うのだ。そんなやつはそもそも親になる前提の意識が間違っている。
(すいません、人間できてないんで、まだケツが青いままの東洋人です。)

親になるということは、自分の生き方や言動そのものがダイレクトに、子供という他人に影響をもたらす、とてつもない人を動かす力を与えられるということだ。

もともとひとは自分の人生プログラムを持って生まれてくるけど、完全に完成された状態で生まれてくるわけではなく、最初は3歳、次に6歳、もっというと14歳くらいまでは、親の働きかけでそのプログラムを良い方向へ「更新」するボタンが段階的にある。
 しかし以降は、その窓口は閉じてしまうので、こどもはそれまでに与えられたものと自分のもともと持っているものをフルに使い、自分の人生を開拓していくことになる。
他人からいじられるスイッチがむき出しになっている14歳を超えるまでは、こどもは環境に対して完全に受け身でいるしかない。

この間、母親神話をもうやめて、とかフェミニストが、母親が赤ちゃんの時から保育園に預けっぱなしで自分の幸せ(仕事や恋愛)を優先させることをなぜ悪いのか、と議論するようなコミュがあって、「母親が生き生き幸せであれば、子供だって幸せなはず!」ということで意見がまとまってたけど、母親が幸せであれば、子供も幸せっていうのは、それは厳密にはちょっと違う。
すくなくとも実学算命学ではそうだ。

 そもそも、母親の幸せのなり方、だって色々あると思うんだよね。
幸せ、幸せっていうけど、幸せって、実際は、ひとりひとり違うだろう。
その母親の幸せの定義はそもそもなにか、ってことだよ。

 そして、こういう議論をするならば、まずはこどもの年齢を考えろよ、子供の発達をどれくらい学んでそれをいっているのか、って自分は思った。
小学生が学童に預けられるのと、0歳児、2歳児が、保育園に預けられるのと、環境からのインパクトや発達に与える影響力が全然違うじゃないか。

 それに子供の気質だって色々ある。
子供が外交的で、好奇心旺盛で体力があるのなら、早くから保育園にあずけても問題ない。社会勉強になる。ただし、保育園に預ける前にその子のなかに、安定感や安心感がしっかり育まれていたなら、だ。

母親がキャリア優先でなぜ悪い、の議論の中に、子供をちゃんと見る=生まれた子供の素質を観察して適切な時期かどうか見極めたり、学ぼうといったような人間を育む姿勢、子供側の都合を配慮した視点は、全く無視されていたので、「何を言ってるんだ、この人たちは」とただ呆れるしかなかった。

子供が環境に対して受け身で絶対的に親に勝つことはできない存在だからこそ、判断力や経験値があり関係性において強者である、そしてさまざまな環境に適応できる大人側が、譲れるところは譲って、子供の都合に合わせて動かなくてはならない。それが子供を守るということだ。
そもそも子育てとは、子供と自分のどちらかが我慢する、とかいう話なのだろうか。

もちろん親だって、限界ある肉体を持つ存在。長期間の無理はきかない。根性論でなんとかせよ、という話ではない。
だからこそ、親には創造力が必要になる。両方がともに我慢せずに生きる「知恵」「アイデア」を出して、乗り切っていく必要がある。

「母親だって人生がある!保育園にあずけっぱなしを批判するな!」と、子育てが苦手だったグループが主張する裏には、子供は生育環境を選べず、判断力も育っていない受け身の存在。だから親が彼らの心を守らなくてはならない、という、強いものが好き放題やっていいというのとは逆の倫理の視点が、そこから抜けてしまっていた。

この国では「子供は親に従うべきもの」であり、「子は親に孝行するもの」であり、極端なケースでは子供は親の奴隷である。逆に子供自身の意思や適性を配慮されたり、「子供は全面的に無防備だからこそ、良心的で賢い大人たちに配慮され、守られるべき存在だ」という視点がいつも抜けている。

 で、そうやって育てられたからこそ、大人になった今の人生に焦りがつきまとい、悩みが山積するのに、原因と結果をすっかり忘れて、いざ自分が大人になると修正せずに同じことを子供に繰り返し「私だって精一杯だから」と開き直ったりする人もいる。

他人にだったら遠慮してやらない権利侵害を、自分の子供に対しては悪びれずに平気でやる。子供を自分の付属品のように考え、親子であっても超えてはならない一線がある、という境界線がわからなくなってしまってる親子のなんと多いことか。
親は、こどもが親に抗えないことをしりながら、ずかずかと土足で子供の心の中に踏み入っていくのだ。

これを平気でやるのが、中国・韓国・台湾・日本などの極東アジア文化圏。
「家系」を栄えさせ、社会の中で一族全体が生き残るために、一族を構成する「個人」は妥協し、ときに犠牲になるべき、まわりめぐって自分もその恩恵を受けるから、という発想をする国々である。

 日本は核家族になって、だいぶそれも薄れてきたけども、私のご依頼の中で、深刻なトラウマにもなっているようなこころの苦しみを抱える大人のプロファイリングをしなくてはならない時、たいてい元をたどれば、過半数がこの歪んだ家族観の犠牲者なのである。
 そして、天中子や宿命中殺が与えられながら、その極東アジアの価値観に抗えるだけの強い自分軸がもてずに、家系の中に残って自分の人生を閉じようとしていたりする。

でも彼らは一方的な犠牲者なわけでなく、じつは同時に同じ価値観で自分の子供に対して「加害者」にもなっていたりするので同情もできない。

親子間のけじめ、を教えられていないので、自分の中に基準がない。
だから、人間関係のけじめを踏み越える。人間関係でトラブルになる。

そのひとにもっとも身近な子供は、親のそういう価値観から、親のパワハラの犠牲者になってしまう。
親もこどもも、全く違う人間、とは考えてもらえないのだ。
とくに納音や天剋地冲を宿命中にもつひとが概してそういう子供時代を送ってきていることがわりと多い。

だから、この代々の苦しみの連鎖を止めるためにも、プロファイラーはたとえサービス業としては、感じが悪くても相手に「No!」をはっきり突きつけなくてはならない時がある。
これ以上、依頼人にカルマを積ませてならない。という仁義ゆえである。

 子供に干渉していくのをやめるかどうかという最終的な判断は依頼人にある。その自由は認めよう。
けれども、プロファイラーがその権利侵害に力を貸すことはない。
それで、思春期以降のお子さんの進路のご相談を受けるときは、「本人から了承とってますか?」と一応、聞かせていただくことにしてる。

ご依頼人の人生戦略を構築する上で、子供から取らなくてはならない必要な情報はあるので、もちろん子供たちの宿命も見るには見る。

例えば、子供がからだが極端に弱いとか、人生のなかで一番苦しい時間を送るという見通しがあって、その際、母親がいないと精神的に壊れてしまう、というような宿命の子供であれば、
いくら母親が仕事をしたいと考えて、その人生戦略をたてても、親が良くても子供の人生が壊れたとしたら、結果的に母親の人生も狂わせられることになるわけなので、「ここではちょっと、待ってください。〜年後から考えてください」といった形でお話しすることにもなる。

子育てについても、「自分が配慮できることはないか?子供がストレスを感じにくい環境を整えてあげたい」というものなら良いが、子供を思い通りにしたいというのが、奥底の真の目的であれば、いかなる理由をごねられても、私はもちろん最初からスパンと完全に切って、お断りしている。(プロファイラーは、親の宿命からそれを読み取る。)

算命学は、もともと軍略なのである。
相手を攻め落とすためにも使われる。
圧倒的な強者が圧倒的に力の弱い者をつぶすために、算命学の知恵を貸してくれと言ったならば、どうするか。
そこに義がなければ、プライドの高い軍師ほどその依頼は断るだろう。

親子関係も同じで、ただでさえ親から自立や自由を獲得していこうと戦っている思春期の子供を、自分のエゴから制圧しようと企む親に第三者の自分が強力な武器を与えるようなことはしない。
(ただしその逆はある。子供が人生を勝ち取るために、自分を支配してくる親を倒すためになら、知恵を貸すことがある。)
 それは算命学の力を本当に知っているからこそ守るモラルである。

鑑定学校の掟・依頼人が聞いたことにしか答えてはいけない、とか、私情を挟んではいけない、とか、「返り矢」に代表されるそんな掟は正直言って鑑定士自身の自己保身のための一応のルールであって、本質的に大事なルールではない。

そもそも依頼人の人生の次元が上がるために策を練るのが鑑定士の本来の役割だ。(※これについては、実学算命学のマニアックな知識情報になるので、この原則原理については、有料ブログで別に公開する予定。ここではごねないことにする。w)
ましてや、依頼人の運を落としていくことを、雇われ軍師といえども手伝うわけがない。

これはもう色々な方に何度も語っているお話なんだけど、(同業者をディスるのは自分の利益を考えればあまり得策ではないのだが、あえてバカなことをしてみよう。)

ある算命学鑑定士さんの話である。

その鑑定士さんには、「お得意様」がいる。華麗なる一族の本家の妻である。
その妻は一族のすべてのことを、この算命学鑑定士にたびたび「ご相談」する。その鑑定士さんは、華麗なるお得意様がいることを自慢に思ってた。

で、その奥様があるとき「息子の結婚相手を占って欲しい」といって訪れたのだそう。鑑定士は「息子さんは財運の良い完全格ですから、この女性をお嫁さんにすれば、おしあわせになれます、ますます富が安定し、一族の繁栄は間違い無いでしょう」と答え、結婚の日を算定し、奥様は満足して帰られたという
めでたし、めでたし、というはなしである。



その話を聞いて、私は「ちょっとまてよ。」と思ってしまうのだ。
結婚するのは、誰なんだよ。と

お母様じゃねぇだろ、その息子だろ。と。
なんでお前がくるんだ?

これは完全に親の暴力。息子のプライバシーの侵害である。
息子が自分の人生の伴侶として選んだ人ならば、それは息子の選択だ。
親がどうこういうべきことじゃ無い。
どんなに名家だろうが、資産家だろうが、本人がそのひとと暮らしてしあわせだと思えるならば、何も問題のない話なんだよね。

そして、結婚日や結婚相手のことを知りたいと思って相談しにくるのは、本来息子自身でなくてはならないよね。

母親に結婚日や結婚相手の運勢が悪いなどと聞かされて、いうことをきかせられたならば、もはや息子は人間扱いされていないと思う。
プライドをかけて、親と戦え、と、その息子に私ならいうだろう。

母親は親切心のつもりだろうが、もしも親に結婚相手や結婚の日取りまで決められて、「はい、お母様。そうします。」と従う息子がいたとしたならば、そもそもそいつは人間として自立していると言えるのだろうか。
息子に対して失礼な話である。

そして、お嫁さんになろうとしている女性に対しても非常に失礼である。
この女性の人間性うんぬんではなく、この女性を道具とみなし、彼女の運勢をつかって、一族の繁栄を目論んだからこそ、相手に満足しているからだ。
息子のためではなく、「お母様」の欲を満足させるための結婚に貶めているのだ。

そしてその算命学鑑定士は「これからも一族繁栄でなによりです」としめくくる。そこに、自分は、うろたえたのだ。

えええ〜そんなわけないだろ。
あんたもいっしょになって、この一族に汚点を残したんだぞ?
って。

鑑定結果を聞かされた、息子やそのフィアンセは一体どう思うだろうか。
結果がありがたいなら嬉しい反面、どこかで「えっ?」となるに違いない。

「おかあさん、俺たちをうたがったの?」
って、思うに違いない。
私はそれを聞いて、すっかり驚愕してしまった。

もしも私だったら、そのご依頼があった時点で、こういってその母親をとめるだろう。
「息子さんの人生です。あなたは親子であっても、息子の魂に礼(敬意)と義(けじめ)を持たねばなりません。私は成人したお子さんのプライバシーを犯すようなことはいたしません。」(←大門未知子か。w)

怒って席を立たれても良い。
算命学というのは、実学である。科学である。

台湾の寺のように、
「木片をぽいっとなげて、吉と出たわ。
いい結婚になるわよ!」と笑って済ませられるものでは無い。

クローン人間を勝手に作ってはいけない、と科学が倫理を問われたように、科学は使い方一つで毒にも薬にもなる。
ダイナマイトとして、人を殺すこともできれば、心臓発作から人を救う薬にもなる。
もしも、算命学を本質的に理解している鑑定士ならば、いくら金を積まれようと、自分の中で自然な倫理が働く。

なにはともあれ、やろうとおもっても、芸能人御用達とか、資産家御用達の専属占い師になってご機嫌をとって寄生する生き方は、自分のプライド的に絶対にできない。

九流の術師は権力に対して、常に自由でなければ。

だから、成人した子供の将来や方向性を見て欲しい、と言われたら、まちがいなく実学算命学はお断りする。

「本人が知りたいとおもったならば、本人にだけその結果をおしらせします。」と。

遺伝子検査結果にだって、プライバシーの権利が適用される。
なら、おんなじじゃないか。
なんであっても、そんな平気でモラルを踏み越えるような人を相手に仕事したくない、という気持ちもある。一事が万事だと思うからだ。

軍師は、義を大事にする。もちろん情はあるけれど、けじめはきちんとつけてください。と思うし、何度言ってもそのけじめをつけられなかった人は、次はないと思ってくれて、間違いない。

固い事言うなよ〜、めんどくせぇな〜

ともしも思ったのなら、エンタメ占い業界にはそういうのを関係なく占ってくれる算命学鑑定士はいっぱいいるので、まず、そちらを利用したほうが良いです。

アドバイス業というのは、伝達の世界。
本質的な部分で、相手の魂への礼が欠ければ、自分の中の伝達のエネルギーは濁ります。
濁れば濁るほど、鑑定士自身の宿命全体が濁ってきます。
はい。モラルも判断力のひとつになります。

算命学鑑定士と名乗っている人たちの倫理観も見定めてください。
依頼人である自分の、エゴ欲の暴走を止めることができる判断力のある算命学鑑定士さんを選べるひとになってください、というお話です。















































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