貫索星・石門星 v.s 車騎星・牽牛星

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 庚戌月に入り、庚の気がどんどん流れ込んできているので、戦いの気運が自分の中で盛り上がってくるのがわかる。庚が回ると思考がスッキリし、自分のもともとの性格がきつくなる。
と同時に、それを諌めるかのごとく、心の中で、子供の頃によく言われた父の声も聞こえる。

石門星・貫索星の父親に「物事に白黒つけるな。白と黒の間には、たくさんの色があるんだ。」「物事を善悪で判断するな。」と言われ続けた記憶である。
 しかし、これがなかなか難しくシンプルに結論を出すためには、簡略化した方が物事が見える時もあるので、思春期は善悪思考でつかみ合いになり、しょっちゅう父親とぶつかりあったものだった。

 この白黒つけるな、という発想は、守備本能の世界の人特有の発想である。
石門星・貫索星、という木性の陽占を持っている人たちの発想や思考の中には、基本的に「停止しているようにみえるが、物事は24時間、常に見えない速度で動き続けている」というイメージがある。

例えば、草木で考えるとわかりやすい。そこにある花は、静止しているようでいて画像を撮って早送り再生してみると、何度もうねりを作りながら回転し、成長している。それと同じように、石門星・貫索星のひとたちは動いていないようで、状況というのは、変化し続け、刻々と姿を変えながら、複雑に絡み合うのが「ものごと」だと考えている。

 だから物事を考察するとき、彼らのあたまの中の盤上では、動き続ける「構成要素」をそのまま一斉に動かし、動きon動きの組み合わせで戦略思考を組み立てていくような発想があり、そこからでてきた結論を自分の結論とする。
そして、直線的にすすむのではなく、色々と曲がりくねってうねりながら出た結論には、かならず敵側・味方側の両方の目線で、当時の事情に配慮が行き届いた理解と「情」が伴っていた。
 意識の高い石門星はとくにそんな面を出す。
よく見えるところ一面だけで、物事を判断しない。

「両方にいい顔をしている!調子が良すぎる!」 
「なんて生ぬるいんだ!!」
「なんだか、スッキリしなくて気持ち悪い!」と、
自分は、そういう父の思考をかなり大人になるまでなかなか理解することができなかった。

逆に、「白黒つけろ。優劣つけろ。序列を教えてやれ。」と教えるのは、車騎星・牽牛星の金性の陽占をもつ大人の発想である。
パートナーのピカチュウは、車騎星が主星なので、子供達が幼児園や学校で喧嘩して泣いて帰ってくる時、かける言葉は決まっている。
「やられたら、やり返せ。」「目には目を!歯には歯を!頭突きには頭突きだ!」(おいおいw) 「泣いて理不尽なことに負けて帰ってくるくらいなら、足に噛み付いてでも報復しろ!」と子供達に叱咤激励している。
進撃の巨人のエレンである。
(※子供達は攻撃本能の星がないので、父親にそう言われても、さっぱり意味不明。)

わたしは子供の頃に、父親にそんなことを言われた覚えは一切ない。
私の父親は、
「やられて、それをやり返せば、恨みが残る。恨みは、次の大きな争いを生む。だから自分のところで期間限定で飲み込んでやるのさ。そして、相手が油断して自分を成長させるのを怠っている間に、自分は努力して相手よりはるかに成長して、もっと大きな場面で結果的に勝てば、おなじことさ。」
と言った。
(もちろん、自分は自分を殴ったやつにすぐに報復したかったので、納得いかなかった。w)

こんな風に、金性の陽占・鉱物系父と木性の陽占・植物系父とでは、いじめ一つにしても子供にかける励ましの言葉が全く違う。
またどっちが正しい父親か、というわけでもなく、結局は本人の生き方の好みだったり、正解はケースバイケースなのである。

もう亡くなったが、元プロ野球監督・野村克也さんの妻、サッチーこと野村沙知代さんを覚えているだろうか。
 宿命中に車騎星・牽牛星をもち、子供のために我を忘れる玉堂星・主星の方である。私の中では、闘牛のようなイメージの女性で、2002年に「女房はドーベルマン」という本にもなった。
 そのサッチーの息子が中学の時、暴力を伴う激しいいじめにあったことがあった。教師に話をしたが、なにも状況は変わらなかった。
 すると、サッチーは学校へ出向いて、ボス級のいじめっこのもとへつかつかと歩み寄り、「いいか。お前、うちの息子に今後、一回でも手を出してみろ、私がお前を殺してやる!」とドスをきかせて凄んだのだそう。
バラエティ番組で本人が話していた。
以後、一切いじめはなくなった、とのことである。
もちろんサッチーに、貫索星・石門星はない。このように車騎星・牽牛星は、パワーゲームにはパワーゲームで押し返すような特徴がある。

しかし、ようするに、どっちのタイプの親であっても、自分の子供がいじめられたら、正しいアプローチなどない。弱肉強食の世界から、自分の子供の心と命を守りきれれば良いわけだ。やり方にこだわり、他人任せにするのではなく、いじめを感じ取ったならば、全力で親が子供をダイレクトに守りに行けるかどうか、その気概の見せ方が問われるだけである。

さて、話をちょっと戻そう。
石門星と主星・貫索星の父のいた職場・自衛隊という場所は、名目上、日本を守るために戦う軍事組織である。命をかけて戦闘機や戦車、戦艦などを取り扱う、正真正銘のpower gameの世界である。
そして、そういうところに大勢いるのは、父とは真逆の主星、軍人の星・車騎星・官僚の星・牽牛星である。
 敵がまさに自国民の命を奪おうとしている瞬間には、石門星や貫索星の話し合いなどは通用しない。そんな時間は与えられていない。そこで必要とされるのは、正確で迅速な攻撃行動である。
「時間があるならば、徹底的に外交手腕・交渉力を使い、全人脈を使い、平和的に解決せよ!」
という前提条件、石門星・貫索星はしっかりおさえながらも、父親はそれが通用しない世界というのも現場からよく知り抜いていた。

 今でこそ、自衛隊もスクランブル発進をツイッターで流したりするので、毎日どれだけ国が緊張状態に置かれるのか、知っている人もいるだろうが、当時から領空侵犯は日常茶飯事であり、その度に隊員は命がけで敵機へ警告しに出撃する。彼らは常に命がけの世界と隣り合わせで暮らしている。

 そんなある時、「自衛隊はちゃんとやっているのかどうか、おかしなことをしていないか」をチェックするために、大学の教授と航空機などの専門家が調査にやってきたことがあったそう。
(※前置きしておくが、父親が自衛隊で現役で働いていたのは、防衛省が防衛庁であったころの、かなりの昔の出来事だ。昭和である。)

そして、調査の結果、彼らがこんなことを言った。
「おおかた問題はないですが、あなた方はコミュニケーションに問題がありますね。同僚同士であってもパイロットと管制塔で、もっと心のつたわる暖かい伝達をしなければ。」

隊員全員の目が点になったそうだ。

昔、アメリカの民間機の墜落原因を調査した時、その事故は、メインのパイロットと副操縦士のコミュニケーションの問題だったケースがあった。
いつも苦虫を噛み潰して怒鳴るような上司に、気弱な副操縦士が機嫌を損ねることを恐れ、機に問題が発生しているのに、ギリギリまでそれを濁した、ということがブラックボックスからわかったという。
以来、パイロットは、コミュニケーションを大事にしよう、という民間航空会社の教訓である。おそらく、その先生方はそういう例を引き合いにして、注意したつもりのようだった。

しかし、現場の隊員からすると、まさにそれは「完全にお花畑のなかでまもられた人間の感想だ。」と失笑を買わせるような話。
なにしろ、彼らが生きるG(重力)の領域の世界は、民間機のそれとはまったく比べ物にならない。

 マッハの世界で生きる彼らにとって、1秒がどれだけの重みを持つのかを彼らは誰よりも身をもって知っている。
瞬速の世界で、正確なコミュニケーションを取るため、パイロットは実名ではなくコードネームを使うわけで、伝達に敬語や情緒豊かな表現を使って、意図を察する、などということをやっていたら、次の瞬間、敵の攻撃を受けて、彼らは死ぬのだ。

そんな世界で、いちいち、言い方が悪い、もっと感情に配慮してほしい、怖い。などと傷ついている人間は戦闘機乗りにはなれない。
最良の行動のために、迷わず正確な指示が瞬時に欲しい。
それが結局、自分の命を守り、最大の効果をだすアクションへ繋がる世界だからだ。そう、それがまさに車騎星・(そして牽牛星)のコミュニケーションの世界である。

だから、車騎星は、無駄な言葉を好まない。
結論を明確にした会話に安心し、自分も(気を使って)無駄を削ぎ落とすので、必要最低限の伝達になる。
「私を本当に愛してるの?優しい言葉一つかけてもくれないくせに!」とある日、彼女に泣いて食ってかかられ、そこで理由を知って男性の車騎星さんは、ようやく「ええ!?なに?そういう世界?!」と内心たまげていたりする。
それくらい、自分が民間人向けではないことに気がついていない。

車騎星にとって、こころを開いているのは、そのひとの前に自分がいる以上、二人の関係性の前提条件として当たり前、という感覚があるので、調舒星・鳳閣星、石門星・貫索星のように言葉をやり取りするなかで相手の本音を探り、自分たちの関係性や心の距離感を図り、必要以上の妄想をする、みたいなまどろっこしいことはまずやらない。w

他の星の人はわかりにくいので、わかりやすいところで、犬を考えてもらえばわかりやすい。
犬はそもそもきらいな人間に近寄ることはない。嫌な人間に近づくときは、犬の口角から牙が見える。それくらい正直だ。

犬が真顔で近寄ってきたということは、イコール、相手を信頼している。車騎星の感覚もそれと同じ。
だれしも、犬が自分の前にだまって立っていたら、基本的に、互いの関係は問題ない、と感じるだろう。

だから、車騎星も、相手の話を聞くために、今、自分が目の前にいる。返事してなくても、普通、それだけで十分だろう、とシンプルに考える。
だから、一般生活の中で、親しい人からコミュニケーションが乏しいだとか、お粗末だとか、文句を言われることは、たとえ車騎星が口に出さなかったとしても、そして仲間のために配慮して「わかりました、以後気をつけます。」と言ったとしても、彼らにとっては心外なのだ。
彼らの行動と言動は、むちゃくちゃ正直にできているからだ。

そんなちがいがあるので、日常世界に住んでいる民間人な我々からすると、非常時仕様にできている車騎星のコミュニケーションはトラブルが多発する。
たしかに、車騎星のぶつ切り、シンプル、断定形式の会話は、自衛隊に査察に入った学者たちのように、コミュニケーションに問題あり!
とよくイエローカードをだしたくなるだろう。

しかし、環境が変わるとそれは必ずしも正解にはならない。
自衛隊は、普通の世界ではない。
厳戒態勢の中、瞬間で対応していく、行動ありきの世界。
民間人の正しい、は軍人の正しい、にはならないのだ。

車騎星・牽牛星は、金性の世界である。
そして金性の陽占を持つ人たちは、鉱物界の原則で動いている。
鉱物の特徴とは、形を変えないこと。性質をかえないことである。
一旦こうだ、と決断したことは途中で動かさない。ゼロとイチの組み合わせでできているデジタル思考。言行一致。
これが、車騎星・牽牛星だ。

鉱物の性質は、科学的にも証明できる。クリスタルなどの鉱物を測定器にかけると、永久的にその振動数は変わらない。有機物と違うのは、鉱物は自分のあり方において、原理原則を変えないということだ。鉱物が変わらないからこそ、安心して兵器や道具として使える。
 逆に楽器のように、しょっちゅう気象や湿度によって状態を変えるような木製製品だったなら、確実な結果を求める世界では道具としては使いにくい。

そして、面白いことに、人間の中にも鉱物の世界がある。
人間の血中にも鉄分をはじめとした微量ミネラルがたくさんあり、それが不足すると人間は、物事の決断力を失う性質があるのだ。
わかりやすいところで、貧血。
貧血気味の人間は、理由のない不安感が増すし、不安定になる。

つまり、鉱物がひとの決断力を、促すのだ。
鉱物と決断力の関係性には、相関関係がある。
だから現状、決断力に問題があると感じている人は、普段、自分のとっている塩をちゃんと精査してみて欲しい。普通の塩をとってたらダメだ。
きちんと海の微量ミネラルを含んだ、天日塩を日々使っているか。
古代の深海が作った、山の中で取れる岩塩をたまに取り入れているか。
こころとからだの断捨離が必要な今、塩は重要な要素である。

また、金属毒も長期的に自分を害する。歯の詰め物アマルガムに代表される水銀。自分の判断力を狂わせるような不自然な重金属をきちんと体から排出しているか。これも重要だ。
これにはレモンなどの柑橘系やパクチーなどが有効である。ベトナムの生春巻きにパクチーが入っているのは、エビが泥を這いずり泥を食べていきるので、エビの中の変な重金属を排出し、その害を軽減させるためで、とても理にかなっていることなのだ。

金性の人々の、コミュニケーションと思考に話を戻すが、
車騎星・牽牛星などの戦う人たちは、自分たちの行動を決めるために、なるべく時間をかけない。なぜなら、彼らは時間をかければかけるほど、命取りになる世界のなかで生きているからだ。
 一刻を争う中、シンプルかつ最大に効果的な一手を放たなくてはならないとしたら、思考の土台になる「要素」がずっと動き回っていたら、量子コンピューターでもなければ、時間がかかってしょうがない。
 だから「要素」を固定して考える。
鉱物のように素材の特性だけ考え、頭の中の盤上で将棋的な思考を組み立てて結論を出していくのだ。

この思考法の違いに、悪いも良いもない。
感じが悪いこと=悪ではない。

そして、どちらが良い、悪い、善だ悪だ、というのは、車騎星のコミュニケーションの正解・不正解が置かれる場所によって変わるように、状況や時代背景、当時の常識によって、いくらでも見方がかわる。
善と悪だけで割り切れることなんて、この世にはなく、単に特性の違いだけがある。ある環境では好ましいことが、違う環境では迷惑なことになる。
それを感情的に批判したところで、何も生まれはしないのだ。
相手への見方に、感情的ストーリーがあると、相手の発しているものがゆがんだ情報になって誤解が生じ、本質は簡単にブレてしまう。
だからマスコミは、感情的な要素をそれとなく自分たちの持っていきたい方向性へ誘導するために情報の中に微妙に刷り込んでくる。
日本では、事実だけを報道する、という報道の仕方がされていない。
それを洗脳報道という。

父は民間人と軍人の世界の両方をみながら、そのことも痛感していたようだった。報道も諜報戦と同じなのだ。
 だから子供の頃の私に
「物事を決めつけるなよ、善悪でものごとを見るなよ」といい、
テレビやマスコミについても、
「もし、テレビや新聞が一般人に向けて、誰もがこれが正しいことだ、とみんなが同意するようなことをわざわざ言っていたら気をつけろ。無料で簡単に手に入る情報は、みんな目的を持ったプロバガンダ。宣伝工作だからな。本当の価値ある情報は自分で探しに行け、取りに行け。」
と言い続けていたのだと思う。

車騎星・牽牛星には、鉱物ならではの理屈がちゃんとあり、貫索星・石門星には、生き物ならではの理屈がちゃんとある。
彼らのこだわりの奥底を探っていくと、他者への大きな愛がある。
攻めてみんなを守りたい、守ることで敵への攻撃としたい。
お互いに、「なんか異質だ」と感じやすい関係だが、実は表裏の関係なのだ。

父親のいう、善悪や感情にとらわれるな、の裏には、囚われれば、誰かの思惑に乗せられ、たちまち物事は見えなくなる。という、危険性を教えてくれようとしていた面もあると思う。
算命学の中庸を大切にする思想は、それに非常に近い。
今、鬼谷子の戦術を勉強しているが、陰陽思想と鬼谷子の思想の中にもそれと同じ価値観を強く感じている。

 守備の星でありながら攻撃の組織にいた父親は、行動していく(車騎星・牽牛星の)先輩隊員を通して、口先だけでない勇敢な行動を目の当たりにして、自分の甘さも随分思い知らされた、とよく言っていた。

「どっちかに偏ることは、危険だ。
デジタル思考とアナログ思考、両方持って人生を生きろ。」
父には、そんなことしょっちゅう言われた。
しかし、思春期の子供にそんなことをいっても理解できるだけの経験値がないので、父は私から反発しか食らってなかったと思う。
 しかし、それが車騎星・牽牛星からしごかれた石門星・貫索星の結論なのだろう。

たとえ生き方が違ったとしても、高度に消化された高い意識を持った貫索星・石門星、車騎星・牽牛星は、広く愛のために信念や大義をもつことにおいては共通項がある。ともに、自分だけのため、ではない。
もっと大きなことのために、守り、もっと大きなことのために戦う。
だから海外で軍人や政治家が尊敬されるのだ。

そもそも、守りと攻めがそろえば最強だ。
だから、政治家と軍人は、国民の利益のために、お互いの仕事を論理的に理解する努力がいる。お互いを尊敬し合う必要がある。これができている国は、やはり強い。

だから、敵国はそれをさせないようにする。
日本のマスコミの株主たちが実は、外国人ばかりなのは偶然ではない。
戦争反対、といって、軍人を一方的に悪にするのも、政治家は至福を肥やしているだけの存在だ、と言って一方的に悪にして、批判するのも、結局は日本にとってなんの得も生まれない。
 国の守りと攻めの両方を弱体化させるだけだ。
そして、海外勢力からすれば、そんな漁夫の利をわざわざ狙ってるからこそ、マスコミを使って、大衆の感情をそこにのせるため、日本に度々火種を作り出すのだ。

算命学で、金性と木性は、金剋木の関係である。
金性と木性は、性質が違うがゆえに、葛藤をもたらす関係だ。
それを抑える立場になるのが、水性。
水性は、金性から生じられ、生じられた水性が木を育てる。
水性こそが唯一、金と木の間を取り持つことができる存在。

水性、つまり、知性だ。
今の日本の国力を削がないために必要なのは、玉堂星・龍高星の力だ。
冷静に物事を図り、歴史的な事実を論理的に見る力。
本当にそうなのか、と現場へ行って事実を見極める力。

日本全体が、うねりの中に引き込まれつつある。
 もう世界では危険度がわかったためにすでに終わりをつげた子供へのコロナ・ワクチンの接種推進をはじめ、さまざまな規制緩和、憲法改正に向かっていく流れにあるなかで、今、今後20年の未来をかけて、日本国民の本物の知性や地頭が問われている。







































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