プロファイリングをしていると、いろいろなケースに出会います。人に話せないことを赤の他人に鑑定でならできる、と言うひともいて、医療機関よりも占いを利用する方もいますし、摂食障害を抱えている方もそういった、自分の内面を話せないケースの一つです。
私は医師ではありませんが、これまでのカウンセリング経験の中で、偶然、摂食障害の方6名ほどと出会って、お話ししたことがあります。
プロファイリングで、病気がわかるわけではありませんし、病気になる宿命があるわけでもありません。(たとえ、それがあったとして、わかって、どうなるというのでしょうか。意味ありません。)わかるのは、せいぜい体のどの部分が弱いか、とか強いかとかくらいだと思います。
だから、お話を聞いて、人の評価を離れた本当の自分が、何を望んでいるのかを自覚してもらうことを目的に、摂食障害の方に少しづつお話しします。
病気は全て、心(マインド)が起こすものです。
生まれつき病気になる宿命があるわけではなく、自分の本来の生き方から逸れてしまうストレスから、ひとは病気になります。
算命学的には、宿命を外れる、と言います。
摂食障害の方のプロファイリングをしていて気がつく特徴的な部分は、病態が発症している時期の宿命を見ると、彼ら、彼女らが、その時期にものすごいプレッシャーにさらされて生きている、ということです。どうもそれがきっかけで発症にいたることが割と多いようだという印象です。
具体的にいえば、他にもいろいろあるのですが、たくさんの星に主星が剋されているという状態。特に主星が木性で周りが金星に囲まれたような宿命、さらに大運までもが剋してくる宿命など。
そして、医療関係者がどれだけ把握しているかはわかりませんが、私の経験では、総じて摂食障害の方の特徴は決まっています。
本人が、「人目に叶う自分でなくてはならない。」という強迫観念に振り回されて生きているということです。
その陰には、必ずと言っていいほど、カリスマ性のある父親と、妙に理性的な愛を注ぐ母親がセットで存在しています。
そして、その親御さんは概して「見栄っ張り」なのです。
外面を大変気にしている。
ですから、娘や息子も、それに応えるべく、大変な見栄っ張りです。人と自分を比較することをやめられませんし、何かビッグタイトルを獲得しなくてはならないといつも思っている。その一方で、高い基準を課しては、暇さえあれば自己否定という点検を怠りません。
興味深いのが、総じて、どのケースも、「人の目なんて、気にしていないよ」という理想的な教育価値観や人生観をまわりに強く印象付けるような演出をするのですが、実際は、本音では非常に人目を気にしている、というような親なのです。そういう矛盾がある親なのです。
そして、食にまつわる問題と、母親にまつわる心理的葛藤はいつもセットです。お母さんに存在を認めて欲しい、受け入れてほしい、だから親の理想の自分を達成しなければならない、と思ってしまった幼少期があります。
自分がそのレベルに達していないから、受け入れてもらえないと思ってしまった思い出。すごく良い子が多いです。摂食障害を研究している方によると、だいたい4歳から7歳くらいまでの間に、それが起きることが多いようです。
幼児期に我慢して理性的に振る舞った時、親に褒められた経験が元になったりしていて、そのせいか、ストイックにダイエットしている時、自分を追い込んでいる時には、ある種の快感を覚える。だから、それが破綻すると、また自己否定に走る。超えられない壁に挑戦して、挫折して・・の繰り返しのようなことをする。
口というのは、愛にまつわる機関です。愛情を得ようとする行為が、現実世界では食を通してでてしまっている状態です。
でも、親のメンツに関わるので、子供は親が憎い、苦しいと言えない。
むしろ親を好きだと思い込んでいる場合もある。
親を辱めたら、もう二度と愛されないから、言えないんです。
どうせ言ったって、理論武装している親にわかってもらえるわけがない。
そしてそんな悪い子の自分に罪悪感も感じる。
腹がたっても、そんな親を面白いネタにして、なんとかやり過ごすしかない。
私は、OKじゃない。でもOKと思わなくちゃいけない。
この本音と現実との矛盾がストレスになって、過食に走ります。
自己矛盾があるわけです。だから、矛盾と関わりがあるといわれる、宿命に冲動や害のある方も比較的いますね。親と価値観の境界線がひけないために、親との葛藤をうまく消化できないのかもしれません。
摂食障害の方は、そうやって、安心感という、絶対的な自己肯定感を得たくて、食を使って葛藤しているのです。親の評価の目のない状態で、自分が何をしたいのかもよくわからなくなっていて、実際、脳の中の快にまつわる機能が正常に働かなくなってしまっている。
母親の愛がうまくこどもにいきわたらないことから起こる病気。それが摂食障害だと私は思っています。特別なことではなく、どこの親子でも起こり得る。
算命学でも、母親の愛は、玉堂星。玉堂星の愛は、知恵の星ではあるけれども、こどものために我(理性)をうっかり忘れるような愛でもある、と教えます。
意外なことに、摂食障害の親御さんは、なんと毒親ではありません。芸術家だったり、教授だったり、その人たち自体は、本当に素敵な人なんです。こんな理想的なお母さん、いいね!って、むしろ周りから言われるようなユニークな人間的に面白い方が多い。
でもよく観察すると、そんないい親であっても、子供に「共振しない親」であるという特徴を発見できると思います。
相槌は打ってる。だから共感しているように見える。でも、共振はしていない。ぱっきりと、子供の世界と自分との境界を分けているんです。
だから子供は愛が枯渇してしまう。子供はお母さんとの一体感を楽しみたいからです。とくに9歳までの子供はそうです。
お母さんは、悪意があるわけではありません。ただ、何らかの事情でその時代の子供と「共振できなかった」のです。
「共振する」というのは、どういうことかというと、
子供と同じ感情になって、子供と同じ感情の振動数で一緒に振動し、ただ、ただ、そばにいて、子供の反応を受け止める。ということ。
共振している間、親が自分と同じ世界にいると感じられて、幼児は安心します。そして、子供にはそれがとても気持ちの良いことなんです。
摂食障害の方は、その安心感を幼児期に十分味わっていない。
理性で事務的に処理されてしまうことが多かったり、大事な時に、お母さんが自分のエネルギーの中に自分を入れて包んでくれたという体験がなかったりするのです。算命学では、母の愛とは、その子のそばにいてどれだけ心を込めて世話をしたか、だと定義しています。
有能なベビーシッターをシフト制で何人も雇い、母親がまったく世話をしなかったら、その母親はその子に愛を注いでいないことになります。
母親の懐に返って、ホッとしたい。そう思った子供時代が誰にもあったはずです。それが母の愛。実学算命学でも同じです。玉堂星がどれだけ生かされたのかは、母親がどれだけ子供を自分のオーラで覆ってやったか、ということです。そして、それは自分が体験しなければ、子供にしてやることができない愛・・。
さらに摂食障害の方のお母さんは、聞けなかったケースを除きすべてが、自分の母親と良い関係を築いていません。母親(被鑑定者からすると祖母に当たる)との葛藤が、そのまま自分が子供を持った時に、自分の子供との葛藤となって出てきて、結果として、3世代目、4世代目の子供が愛情飢餓に陥るという、2段階システムなのです。だから問題は、今はじまったことではないんです。家系の流れの結果、今がある。
じゃあ、摂食障害の方に救いはないのでしょうか。
あります。でもとても大変ですが。
それは、母親のような女性に、娘として愛し直してもらうことです。
自分軸がぐらつくので、実の母親との距離は、しっかり取るということ。
そして自分のやりたいこと、自分の意思を周りに応援してもらい、自分にいろんな許可を与えることです。
摂食障害の方は、幼少期から常に親に言葉にできない「なにか」を要求されてきました。それに応えるためにひた走ってきました。要求されたなにかに応えるために助けてもらえませんでした。自分で難題を解決するために必死で工夫したり、乗り越えたりしなくてはなりませんでした。
「人目にかなうじぶんでなくてはならない」
そうしないと、「お母さん」が満足しないから。
満足しないお母さんは、私を受け入れてくれない。
だから、私はダメだ・・。
こういう構図が心の奥底に横たわっています。ですから、母を重ねるので反発を覚え、同性の友達をなかなかつくることができませんし、ぬくもりを求めて肌さみしいので、異性の目を気にし、早くから関心を強く持ちます。
しかし、あまりに愛情飢餓感が激しいと、他人は目に入りません。
自分の母から愛情をもらうことに固執するので、どんどん負のスパイラルに落ちていきます。そして、自覚のないまま、死へと足を踏み入れてしまうことすらあるのです。
こういう時、実学算命学ではどうしますか・・って?プロファイリングはするものの、医者ではないので、肉体の方をケアしてもらえるように信頼の置ける医療の専門機関をご紹介しています。
プロファイリングだけでは助けになりませんからね。
なぜなら、摂食障害の方は、心の中で、他人の言葉で自分を殴るくせがあります。相手のささいな一言や、悪気のない言葉の端々をとりあげて、自己否定の材料として使います。怒りと悲しみを作り出して、またそのスパイラルに入っていく、そういう自己破壊をせずにはおられないんです。
医療的な対処が絶対的に必要です。
認知がゆがんでしまっていることや自分の症状が単なる食べ過ぎを超えているとか、病になってしまっていることにも無自覚なので、サポートができる専門機関がどうしても必要なのです。
おそらく、安易な鑑定をすれば、鑑定の言葉で自分を殴ることもあるでしょう。自信がない人はしないに越したことはありません。摂食障害に限らず、精神的な病気を抱えている人をプロファイリングするのは、病態の悪化の恐れがあるので、うちでも基本的にお受けできません。
しかし、以前、鑑定士や専門家のところに来るという時点で、運勢的にはそのひとは救われるということだ、と校長先生に言われたことがありました。
なぜなら、本当に救いのない人は、専門家すら会えるチャンスがないからだそうです。そうです、自分の意識の中に少しでも救われたいという思いがあったら、そういう現実と出会える。でも、それすらなかったら、周りがどのように働きかけても、意味をなさない。
だから、救うのは自分の選択だということなのかもしれません。
そもそも愛に飢えている人は、気づきと人との関わりの中でしか、自分の中の愛を取り戻すことはできません。自分を愛せない人は他人を愛することで、自分の愛し方にも気がつけるでしょう。
愛は、生命力です。
愛は循環しています。
それを繋ごうとする人に、天は惜しみなく光を送ってくれます。
だから、ある程度の年齢になったら、親元から離れて、他人との愛を自由に交流できるようになった方が良いですね。そしてそれは、自分にその価値があるかないかとかではなく、単に自分の側の他人の愛を受け取れる「スキル」があるかないか、なのだということを知っておいて欲しいです。
案外愛されないと嘆く人は、選り好みをしているだけかもしれないのです。
愛はそこら中にあるけれど、それを受け取るための「スキル」を学んでこなかっただけだということ・・。
プロファイリングで相談を受けるたびに思います。ここはどれだけ、親離れできない人間の多い社会なんだろう、と。
人間というのは、親の愛にこだわるほど、病んでくるものなのです。
二十歳を超えたら、親にはもらうものすべてもらったと思って、外に出かけていける人間になれたら、とても健全です。
それを学ぶスキルを磨くのが、四国遍路なのですが、その話はまたいつか。