欠点は必要であるもの

欠点は必要であるもの

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コラム
私は心のメカニズムの教育を義務教育にすべきだと思っています。教育の在り方自体に問題があり、鬱などの精神病患者が現代の教育から生み出されていると私は感じるからです。

もちろん中には素晴らしい先生もいらっしゃいます。ですがそもそもこの個性を伸ばせない、前ならえの教育では、そのレールに乗れない人たちは「自分はダメなんだ」という本当はそんなことはない不要な意識を植え付けられてしまい、本当はある素晴らしい種が目を出せずに、苦しく生きる人生を歩んでしまうように思います。

自分がまさにレールに乗れない落ちこぼれでした。でも本当はそんなことなかったと今ではわかります。テストの点が悪くても変わることのない素晴らしい価値が私にはあるし、それはみなさんも同じです。

素晴らしいところは絶対にあります。
ですが偏ったメガネをかけると、それを見つけることができません。

・良い会社に入社する
・良い点数をとる
・良い学校に行く

それができない自分は✖なんだ。無能だ。価値がない。恥ずかしい。情けない。自分に厳しい方がとても多いと思います。

でもそれって本当ですか?

いくらそれらを達成できても、自分が自分らしく生きられない場所なら息苦しく、自分を本当の意味で理解してくれない場所なら、そこから今すぐ離れたくなりませんか?

人にはそれぞれ担当が割り振られています。

道に詳しい人
方向音痴な人

方向音痴である人は道に詳しい方に価値を与えることが出来ます。

料理が得意な人
料理が苦手な人

料理が得意で作った人の料理を、料理が苦手な人は感謝して食べることによって得意な人の価値を高めてあげられます。

ない人はある人の価値を高めるために必要なのです。
必要だからできないようになっているのです。
出来ない人は出来る人に喜びを与えることが出来ます。
だからできなくていいんです。無理してやろうとすれば余計におかしくなるだけです。

たんぽぽがバラの方が美しいからと言って、バラの花びらを上からつけて、きれいかなと言ってる姿をみたらどう思いますか?
たんぽぽはたんぽぽのままで十分美しいのに、わざわざバラの花びらをその上からつけるのを見ても、別につけなくてもいいのにって思いませんか?

犬が猫の方が可愛いからと猫みたく鳴いたりしたところで、犬には犬の素晴らしさがあるから好きな人がいて、そのままであるだけで誰かに喜びを与えることが出来ます。

自分は不足だから誰かの真似をして埋めようとする行為は、こういうことと同じではないかと感じます。不足からではなく、こうなったら楽しそう!わくわくする!という出発からであれば、それはあなたの個性を光らせるものに変わりますが、不足からの出発はあなたを曇らせる原因になります。

自分が自分らしく、楽しく生きられる世界ができたらいいなと心の底から思います。みんなが本当の自分を発揮して、きらきら生きている世界。そうなるためにも自分を本当の声を偽らず、やりたいことをやらせてあげる練習を引き続きしていきます。

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