「自分自身の願いではないのですが、祈願をお願いしてもいいのでしょうか?」
時々、このようなご相談をいただきます。
たとえば、
「離れて暮らす息子の仕事がうまくいってほしい」
「娘に良いご縁があってほしい」
「夫の身体が心配です」
「妻が少しでも元気になってほしい」
「家族みんなが穏やかに暮らしてほしい」
このように、自分のことではなく、大切な方を思って祈願を考えられる方もいらっしゃいます。
もちろん、ご家族や大切な方のために祈ることはできます。
むしろ私は、
「誰かの幸せを願う心」
そのものが、とても尊いものだと思っています。
仏教には「慈悲」という大切な教えがあります。
「慈」は、人に幸せを与えたいと願う心。
「悲」は、人の苦しみを取り除いてあげたいと願う心です。
ですから、
「自分ではなく、この人に幸せになってほしい」
という願いも、慈悲の心につながっているのではないでしょうか。
ただし、ここで一つ大切にしていただきたいことがあります。
それは、
「自分の思い通りに相手を変えるための祈願」
にはしないことです。
たとえば、
「あの人が私の言うことを聞きますように」
ではなく、
「あの人にとって良き道が開かれますように」
と祈る。
「この人と絶対に結ばれますように」
ではなく、
「お互いにとって良きご縁であれば、良い方向へ進みますように」
と祈る。
私は、そのような祈りを大切にしています。
祈願とは、人を自分の思い通りに動かすためのものではありません。
仏様の御前で、
「どうか、この方が良き方向へ進めますように」
と願いをお預けするものだと考えています。
そして今日は、お盆の二日目でもあります。
ご先祖様に手を合わせることも、ある意味では「自分以外の誰かを思う祈り」です。
今の自分がここにいるのは、たくさんの命がつながってきたからです。
ご先祖様を思う。
家族を思う。
大切な人を思う。
誰かのために手を合わせる時間は、同時に自分自身の心を優しくしてくれる時間でもあるのではないでしょうか。
そして不思議なことに、
「自分が幸せになりたい」
だけではなく、
「この人にも幸せになってほしい」
と思えるようになると、自分自身の心の在り方も少しずつ変わっていきます。
誰かを思いやる。
感謝する。
できることを一つ行う。
そこから新しいご縁が生まれることもあります。
私はこれまで、
「祈る・感謝する・一歩動く」
ということをお伝えしてきました。
これは自分自身の願いだけではありません。
大切な人のために祈ったのであれば、その人に優しい言葉を一つかけてみる。
身体を心配しているのであれば、「無理しないでね」と声をかけてみる。
家族の幸せを願うのであれば、まず自分から「ありがとう」と伝えてみる。
その小さな行動も、立派な一歩だと思います。
もし今、
「家族のことで心配事がある」
「大切な人のために何かしてあげたい」
「自分ではどうすることもできず、祈ることしかできない」
そのようなお気持ちを抱えておられましたら、その願いを御宝前にお預けください。
ご本人からのご依頼だけでなく、ご家族や大切な方を思ってのご祈願も承っております。
その方にとって良き道が開かれますよう、一座一座、心を込めてお勤めいたします。
皆様と、皆様の大切な方々が、穏やかに笑顔で過ごされますように。
合掌🙏
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📿 純聖寺高槻布教所では、真言密教の法要に則り、ご本人様はもちろん、ご家族や大切な方のためのご祈願も承っております。
身体健全・家庭円満・厄除け・仕事運・良縁成就・心願成就など、お一人おひとりの願いに合わせて御宝前にてお勤めいたします。
遠方にお住まいの方には、遠隔でのご祈願も承っております。
「家族のために、どのような祈願をお願いすればよいのだろう?」
「本人には内緒でも大丈夫なのだろうか?」
「このような願いでもお願いしてよいのだろうか?」
という場合も、まずはお気軽にご相談ください。
大切な方を思うお気持ちとともに、心を込めてご祈願いたします。
合掌🙏