うつ、ADHD、LGBTQ+。たくさんの『生きづらさ』は私の財産になった

うつ、ADHD、LGBTQ+。たくさんの『生きづらさ』は私の財産になった

記事
コラム
数ある記事の中から
出会っていただきありがとうございます。

これまで私は
看護師として11年働きながら
うつ病、ADHD、LGBTQ+、HSP
そしてエンパスという自身の体質と
向き合ってきました。

「どうしてこんなに生きづらいんだろう」と
自分を責める毎日でしたが
今はそれらすべてが
「人の痛みに寄り添うための財産」
だったと思えるようになりました。

この記事では
私がどん底からどうやって自分を認め
今の幸せにたどり着いたのか
その道のりを綴りました。

今、生きづらさを感じているあなたの心が
少しでも軽くなるきっかけになれば嬉しいです。



【幼少期】

とにかく外で遊びたい!でも…

記憶にあるのは幼稚園の頃

「外で鬼ごっこしたい」
「砂遊びしたい」

冬でも夏でも関係なく外で遊びたかった。

でも女の子のお友達は室内で
あやとりや手遊びをして遊んでいる。
外には男の子しかいない。

「これ、私はどっちを選ぶのが正解?」
幼いながらもそんなことを考えていた。

女の子に馴染めない。
うっすら感じる寂しさの記憶。

これはおそらく
ADHDの多動性が関係してくるのかな。
普通の女子とは違う感覚が確かにあって
戸惑いながらも元気に短パンで走り回った。


借金だらけの家と働く母
家族は3人兄妹で3世代世帯。
大借金を抱える中、母は嫁にきてくれたそう。

祖母は厳しく、いつも言う通りにせざるを得ない母。
「子どもはええから若いのは働け」

と子育てをさせてもらえず
近くの工場に駆り出されたそう。

私にとって祖母は優しい人だった。
ホットケーキをいつも焼いてくれた思い出がある。

母は洗濯物をたとみながら、よく泣いていた。



【小学校〜高校時代】

優しいだけが取り柄の苗字呼びされる私

おそらく他の子より自我の発達が早く
周りばかり見て、合わせて、笑顔をふりまく日々。

アダルトチルドレンの典型だろうと今は思う。

母の機嫌を見て動くのが習慣になり
結果的に子どもらしくいれなかった。

それが学校生活でも反映されて、
いつも友達の気持ちばかり気にしていた。

それでも帰り道が一緒の男の子と過ごす時間は
とてもフラットで楽しかった。
外でかけっこしてボール遊びして一緒に帰る。

そんなありふれたやりとりは
私にとって唯一の
子どもでいられる時間そのものだった。

今でも夢に出てくるこの男の子。
幼いながらも精神的支柱だったんだな。


頼りないキャプテンの中学
体を動かすのは好きだったのでバレー部に入った。
相変わらず先輩の顔色を伺う。

でもすぐに人を好意的にみる癖があり
何人もの先輩に手紙を書いた。

返事がくることで嫌われていないことを
確認したかったんだな。

正義感と責任感が強いというので
中学はキャプテンになった。

でも全然頼りなくて、話し合いばっかで
他のメンバーの飽き飽きした顔が
今でも目に浮かぶ。


女性を好きになり葛藤する日々

高校で偶然、
憧れだったバレーの先輩と一緒になった。
いつもの癖ですぐ好意的になって近づいたら
あっという間に”付き合う”という関係になった。

でも想像していたのとは違った。
その先輩は何人も彼女を作って

まるで自分に足りない愛情を複数人から
受け取って満たしているようだった。

私も似たような感覚があり
おそらく私たちは共依存の関係になった。

記念日にメールはくるけど
他の彼女とHPを作ったりデートしてたり
胸が張り裂けそうな日々が続いたな。

距離を置きたいと言えば
リストカットされてしまう日々。
底なし沼から抜け出せない地獄のようだった。

【短大〜新卒時代】

大恋愛を経験する

5年一貫校で看護師資格をとった後
編入で短大に入り保健師の勉強をした。

高校の彼女から抜け出せたけど
忘れきれない思いを抱えたまま過ごす。

寮生活だったので集っては語り合った。
またいつもの展開が始まる…

根明でどこか聡明さも併せ持つ
女性に出会った。
2人きりで話をして
高校時のカミングアウトをする流れになった。

その女性も似た境遇の持ち主で
引き合うように付き合い始めた。

今思えばこれも共依存だったと思う。

勉強なんてそっちのけ。
見える景色が全てキラキラしていて
幸せな日々だった。

でも、同性同士のカップルは葛藤が多い。
依存してたからもあるだろうけど
女友達と遊ばれるだけでも
胸が張り裂けそうで苦しい。

神様はどうしてこんなに
試練を与えるのだろうと
恨む日もあった。

卒業する前、私たちなら大丈夫!
と2人で言い聞かせ遠距離恋愛が始まった。
だけど普通の恋愛ではない。

お互い男性と結婚して子どもも授かるけど
私たちの関係も続ける
そんないびつな約束をしてしまった。
私は自分に嘘をついたまま
社会人になった。


要領悪すぎ残業まみれの看護師生活
地元に戻り地域密着型の病院に就職した。
田舎ならではの外科内科混合病棟。

手術をする急性期もあれば
看取りをする終末期まで
なんでも屋な部署だった。

その上、入院受け入れ一番目の我が部署。
いろんなステージの患者さんがおられて
感情の切り替えが難しい。

マルチタスクの限界点を日々過ごし
仕事日以外も勉強会に参加するため
夜勤明けも病院で過ごす。


インスリン注射の単位打ち間違い
内服薬渡し間違い
点滴早く落ちすぎて低血糖反応を起こす

気分が落ち始めた頃には
看護師失格なミスばかり起こした。

頭も身体もオーバーヒートの毎日。
自分を責める毎日。

次第に眠れなくなり
文章が読めなくなり
涙が止まらない日々

仮に眠れても
夢の中で上司に監視され
社畜のように働く夢ばかり

遠距離恋愛中の彼女は彼氏を作っていた。



もうダメだった。
仕事もできない。
一途に思う彼女は先に進んでいる。

彼氏を作れない私は

彼女しか好きになれない私は

誰からも必要とされていない。

誰の一番にもなれない。

何のために朝早くから出勤し
夜遅くに帰り
また夜勤に出ているのかわからない。

人生を投げ出したい。
楽になりたい。

そうして看護師6年目でうつ病の診断が下された。

【26〜32歳】

小さな診療所で自信を取り戻し精神科の門を叩く

傷病手当の手続きをして休養したのち
系列の診療所に異動になった。

母世代が集まるひだまり畑のような場所だった。

「やぎちゃんはかわいいよ」
「賢いから頼りにしてるよ」
「頑張り屋さんだから無理しないでね」
「この患者さんはやぎちゃんに任せたよ」

ポジティブワードのシャワーを毎日浴びた。

そのおかげで自分の行動・考えを
少しずつ信じられるようになった。

そしてADHDの傾向があると指摘されたのもこの頃。

発達障がいの世界を初めて知った私は
気づいたら履歴書を書き
県で一番大きな精神科に応募していた。

やさしい精神科の世界
うつ、統合失調症、解離障害、
愛着障害、トラウマケア、小児精神etc

幅広く受け入れている病院だった。

精神を患う患者さんには少なからず
発達特性があるという視点が定着していた。

まずは安心感、信頼関係の構築、
生活エネルギーの回復を経て

特性に応じた生活スキルを学び
日常生活を過ごせるよう支援に繋げる。

まるで私と向き合う作業だった。

幼少期の愛してもらいたかった自分
リストカットする彼女に苦しむ自分
一途に愛して欲しかった自分
仕事ができず人生を投げ出したかった自分

そんな自分が少しずつ浄化されていった。
あぁ、私は生きていい。
むしろ同じ境遇で苦しんでいる人たちのために
生きなければならない。

そして私にできることをするんだ!

そう誓わせてくれた。

【32歳〜現在】

苦しい婚活生活
うつ病が寛解状態になり
遠距離の彼女と別れを告げることができた。

彼女は既に結婚し子どもを授かっていた。

もう十分だな。私の役目は終わった。

そう思えることができたのは
本当に成長だと思う。

やっと身も心も自由になり婚活を始めた。
かれこれ4年は頑張っただろうか。

ネット、アプリ、お見合い、パーティ
なんでもやってみた。

私は爆弾を抱えていると思っていた。

うつの既往
ADHDの傾向
同性と付き合っていた過去

少し関係が深まると認めてもらいたくて
過去の話を早々にしてしまう。

そして、花が咲く前に散っていく。
その繰り返しだった。

「やっぱりみんな普通がいいよな」
と自己否定に走ることもあったけど



いや違う!
私の今までの経験は財産だ!
宝物なんだ!

頑張ってそう言い聞かせた。



子宮頸部異形成の診断と手術
絶賛婚活中、
毎年している婦人科検診で要精査の文字。

調べていくと
HPV陽性
ガン化するウイルス感染

また神様は私に
新たな試練をくださった
そう思った。

HPVは性交渉の経験がある人は
誰でも感染するウイルスだ。



このまま放置すればかなりの確率で
ガン化し、それは子宮にまで及ぶだろう。

そう説明を受けて
私は即決した。

「手術して切ってください」

検診結果から8ヶ月後
手術を受けることができた。

毎年検診を受けていたから
早期発見でレーザー照射のみで
良かったそうだ。

また一つ、
大きな経験をさせてもらった。

もちろん生殖機能は保たれていて
1年後の検診も陰性だった。

あとは
パートナーに出会うのみ。
準備は整った。
そんな風に自分を労い、励ました。


くまさんと出会い結婚 そして新しい世界へ
何度も挫折したアプリにくまさんはいた。

どんな過去も受け入れてくれて
そっと包み込んでくれるような人だ。

今までの展開のような
私から好意的に近づくのとは違って
なんだか不思議な感覚だった。

私が頑張らなくてもことが進む。

これが皆が口を合わせて言う
タイミングという奴か。



結婚するに辺り大きな決断をした。
天職としていた看護師を辞めることと、
自営業の事務を手伝うことだった。

この人となら、と信じて2025年に退職。
そして現在第一子を授かることができた。



アダルトチルドレン
うつ病
発達障がい
LGBTQ+
子宮の手術


色んな私がいる。
でもそれだけ人の気持ちに
寄り添ってあげられる視野ができた。
そんな風に受け取っている。

いつの自分も精一杯頑張っていた。

それだけで十分だよな。



長文を最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました。




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