以前、ミュージシャンの甲本ヒロトさんが、テレビのトーク番組で「最近の音楽についてどう思うか」と聞かれたとき、こんなニュアンスのことをおっしゃっていました。
「最近の曲は、歌詞が……多いかな……」
意味がギュッと詰まった立派な歌詞は、自分には気恥ずかしくて歌えない。
僕の曲なんて、大して意味のない言葉の繰り返しばかりだから、というヒロトさんらしい照れ隠しのような言葉でした。
そして彼は、続けてこんな興味深いこともおっしゃっていたんです。
「同じ方向を見ていても、人によって目の前にある視点が違うから、見えている世界はそれぞれ全く違うんだよね」って。
この「見えている世界の違い」という話を聞いたとき、私は最近触れたある小説や漫画の、とあるエピソードを思い出しました。
人間には、稀に四色型色覚を持った人がいて、普通の人には見えない細やかな色彩の世界を感じ取っているのだそうです。
それは、見えないから障害だとか、見えるから偉いだとか、そういう話では決してありません。ただ単純に、その人が「見ている世界のグラデーションが決定的に違う」というだけの話。
私たちが「黄色いたんぽぽ」だと思っている花も、その人のフィルターを通せば、真ん中が鮮やかな黄色で、周りは淡いピンク色に見えていたりする。
そんな、ちょっと不思議な色の世界の話を、私は先日、わが家のリビングでごく当たり前に体感することになりました。
数年前にネットで話題になっていた、「青と黒のドレス」の写真をご存知でしょうか。
ある人には「青と黒」に見え、別の人には「白と金」に見えるという、あの一枚の写真です。
(英国人女性ケイトリン・マクニールさんの簡易ブログ「タンブラー」より)
自宅で、同じデバイス(スマートフォン)、同じ画面の写真を、家族みんなで覗き込んでみたんです。
すると、私と長女にはどう見ても「青と黒のドレス」にしか見えないのに、次女と夫の二人には、なんと「白と金のドレス」にしか見えないと言うのです。
「えっ、どこをどう見たら白に見えるのよ?」
「いや、どう見ても金だし、そっちこそ何で黒に見えるの?」
同じ部屋で、同じデバイスを見ている、血の繋がった家族であるはずなのに、私たちの脳の処理(背景の光の捉え方)の違いだけで、見えている景色が見事に真っ二つに分かれてしまった。
色の違いという、これ以上ないほどシンプルで分かりやすい形で、「私たちは同じものを見ていても、見えている世界は全く違うんだ」という現実を突きつけられた瞬間でした。
ちなみに実際の色は「青と黒」らしいです💙♥
なんでも、背景の色を脳でどう処理するのかという『脳の処理のクセ』によって見え方が異なる事態になったそうです。
色覚異常とかではなく、ただ単に誰にでも起こる事と聞き次女も夫も安心していました😁
これ、わが家の話ではなく、私たちの働く現場でも、毎日当たり前のように起きていることなのかもしれません。
いま、「効率的なマニュアル(攻略本)」のフィルター越しに見ている現場の景色。
それはきっと、彼らにとっては正しく綺麗な世界に見えているのかもしれません。
だけど、そのいびつな仕組みのしわ寄せを浴びて、私たちが体感している現場の景色は、泥臭くて、必死で、どうしようもなく切実な世界な気がします。
どちらの見え方が正しくて、どちらが間違っているか、という間違い探しをしたいわけではありません。
立場や背景によって、持っているフィルターが最初から決定的に違うだけなのです。
それなのに、自分のフィルターに見えている「正論」だけを正解だと思い込んで、相手の見えている「現場の痛み」を「甘えだ」「気にするな」と一蹴してしまったら、現場の心の糸はブツリと切れてしまいます。
「私にはこう見えるけれど、あなたには、どんな景色が映っているの?」
不完全な大人たちが集まる現実の世界だからこそ、お互いの見え方の違いを一度フラットに受け止めて、「これ、どう思う?」って相談し合えるような、温かい心の余白を、今のギスギスした現場にも残していきたいですね。
あなたは今日、自分の「正しさ」というフィルターだけで、誰かの見えている世界を否定してしまってはいませんか?🥺
▼ 立場によって見え方が違う、現場の「まとまらない違和感」を共に整理します。