タワマン

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今日周囲で
「タワマン住みてぇな~」
という声を耳にした。

自分自身、仕事でタワマンにちょいちょい行くのだが、
当初はかなり卑屈な気持ちになったり、
羨望や嫉妬などから来る否定みたいなものを感じたりした。
最近はそこまでではないとは言え、そういうものが全くなくなったわけでもなかった。
ただ今日改めて他人の口からそれを聞いた時に、
なぜタワマンに住みたいのか?と考えてみた。
そもそもタワマンに住みたいというのは、何を求めているのだろう。
十中八九は、そこに住んでいる自分がなんか素敵な状態にあるというイメージからくるものじゃないか。
そしてそれはタワマンというものが素晴らしいものであるという概念に基づくものだ。
じゃあタワマンの何が素晴らしいのか。
セキュリティやら内装やらそういうのは確かに素晴らしいものだろう。
展望台から見るような風景がたまらなく好きな人にとっては、高層階に住むということはそれだけで代えがたいメリットにもなるだろう。
でも「タワマン住みてぇな~」のテンション感には、もっと漠然とした変身願望と言ってもいいような気持ちが含まれているように感じる。
今の自分は低い位置にあって、タワマンに住むような生活をすれば高い位置にいける、というようなものだ。
自分はこれまで感じていた羨望や嫉妬等も、これと同じ方向性のものであったと感じる。
結局のところお金なのだ。
タワマン=お金持ちで、そういうところで暮らしている人を羨んだり妬んだりするのだ。
最近常々感じていた、自分のみならず大体の人を支配しているお金偏重の考え方が、ここにもあったと感じた。

なんだけど今日、ここしばらくずっとモヤモヤしていたお金の不安が、スィっとどっかいったのだ。
今行っている試みによるものか、読んでいる名著によるものか、どれのおかげかはわからない(全部のおかげかなぁ)し、今までの開眼!みたいな無敵状態でもなく、なんかすごく普通、というか、そのまんま、みたいなリラックス感というようなものになった。
その状態でタワマンの事考えても、ただの住む場所の選択肢の一つでそれ以上でも以下でもない、という至極当たり前の感覚になっていた。
社会や誰かの思惑によって植え付けられたりで自分が思い込んでいる価値ってのは、実は全然そんな事ない場合が多々あったりするものだ。
そういった偏りのバランスをとって、もっともっとフラットに、自分が幸せになる生き方をしていきたいなぁと改めて思う。
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