罪はゆるされたのかもしれない

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コラム
久々にしっかりした悪夢を見た。
内容を説明するより自分がその中でどう言う気持ちだったかの方が大事だと思うのでそちらを書くが、息子に対しての罪の意識だった。

…ここから先全然進まない
家にいるからかなと思ってお散歩に出てみて、久々お気に入りの公園に来てみたけど、なーんも進まない。
どうやらこの方向性ではないのかもしれない。
実際息子に対して申し訳ないことをしてきたのは事実なのだが、それを悔いる方向にするのは、ある意味逃げなのかもしれない。
自らの愚行を正当化するのではなく、流れの中でそれが行われた意味を探る…のは難しいかもしれないなぁ。
それよりも、そこに囚われることなく今何をしたいか、何が出来るかに注力していくことで、世界に利する行動をしたい。
まさに、「我らに罪をおかすものを我らが許すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」なのかもしれない。

誤解を恐れずに言えば、他者に傷を与えた者もまた傷を負う。
それらはそこに囚われている限り、癒やされることはない。
今ここに集中して、前に進もうとすれば、自ずと癒されていくのではないだろうか。
もう思い出せないが、以前の方が息子に対する贖罪の気持ちが強かった気がする。本当に思い出せないが。
この記事も最初「贖罪」というタイトルで書こうと思ったが、全く感情が出てこないのでやめた。
そこは許せたのかもしれない。
それは息子自身が父親との関係性に向き合って、浄化してくれたのもとても大きなものなのだろう。

罪とはなんだろうな。
まぁそれはいいや(笑)
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