ゼロ

ゼロ

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コラム
この1週間いろんなことがあった。
この半年程の激動は、何回生まれ変わってんだよってレベルなわけだが、文章に起こすという気が起きてこないくらいにはスケジュール詰め詰めで、自分の世界への影響度というよりは、物理的にめっちゃ忙しい状態だった。

文章に起こせないということは感じられていないということ…?
ただこなすだけで頭が動いてないのか…?
地に足ついてないんじゃない…?大丈夫…?

と心配になったりもしていた。

しかし昨日自分のメンターさんと話すことが出来て、そのことや他の出てきた心配や不安も、全て杞憂であることが明らかになった。
正確には、4日前にMAX不安が訪れて、メンターさんに連絡したけど予定詰め詰めで昨日にならないと時間がとれなかったのだが、その中3日の間に杞憂であることは既に気付いていて、その答え合わせとそこからさらに進んだプラスアルファの気付きを頂いた感じだった。
話している時も、以前だったらメンターさんの言葉に対して「そういう…もんなんですかね…」と、信用はしていたものの理解はほとんど出来ていなかったが、昨日は「そうですよねぇ〜…!!」と、理屈でわかっているけど腑に落とせていなかったり、漠然として実像を掴めていなかったものを明確化してもらう、という形の対話に変わってきたなと感じている。
それもそのメンターさんをというよりは、これ自分にあってそう…!という方向の考え方・スタンスを信じて実践し続けてきたことで、最初望んでいた形になってきているからなんだなと感じる。
うわーすごいな自分、偉いな自分!
今書いててしみじみと今まで渦中にいる間は全然わからなかったが、信じてやってきたことが全て血肉となっていることを実感して、感慨深くなった。

プラスアルファの学びに関してはまた改めて書くとして話を戻すが、動きすぎの杞憂は、よくよく考えてみたら、今自分が忙しくしているものたちは、全て自分がやりたくて自分で選んだものである事に気付かせてもらったのだ。
一部以前からの仕事はその中でノイズを放っているので、遠からずそことも決着をつける事になるだろうと感じるが。
さておきこの状態は、自分が長年求めてきたものであった。
やりたいことがない…自分が何をやりたいかなんてわからない…
と、少なくとも中学生の時には思っていたのを覚えている。
それほど長く抱えてきた想いは、全く意識していなかったが、気付いたらもう現状に当てはまらなくなっていた。
今までもよく、多趣味・エネルギーが強い・行動力がある・パワフルみたいな事を言われてきたが、それを全く受け取っていなかったことにも、今書いていて気付いた。
自分自身をめんどくさい・やりたいことわからない・どうせできない、という絶望から来る決めつけ、限定の中にはめ込んでいたため、受け入れられなかったのだろう。
しかし今、とうとうそれに気付いた。気付いたらもう止められない。
自分は今、やりたいことと楽しいことに囲まれて生きている。
それを受け入れよう。
書いていたら、2人くらい浄化されていったのを感じた。今までありがとうね、お疲れ様でした。

そして今朝それらを受けて色々考えていた時に、ゼロだ…って思いついて文章を書く欲がわーっと出てきたのだ。
ゼロって言葉はプラスにもマイナスにも使われるが、ここで自分が言うゼロは、まさしくゼロで、プラスでもマイナスでもないことだ。
それは全く偏りがない、自分という存在それだけで完結して、何も足したり引いたりする必要のない状態。
完全なニュートラル。
人は様々な不安や恐怖から、とにかくいろんなものを足そうとする。
富・名声・力、と海賊感を感じる言葉がまさにそれという感じだ。
それは自分が真に求めてする行為の結果である場合もあるので、簡単に断じられるものではないが、往々にして前者によるものが多いと感じる。
でも自分が今のままで、どんな状態でも、何をしていても、何もしていなくても、とにかくなんでも、本当になんでも大丈夫だと気付けば、ゼロで問題ないことにも気付けるのだ。
その立ち位置で考える偏りのない発想は、他者の考えが入っていないから、真に自分のためのものであり、自分にも他者にもとても有益なものになるだろう。
あ、稲葉浩志さんの「O.NO.RE」がそのへん全部説明してくれてるので是非聴いてくださいw
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