真実はいつもひとつにはならんよねぇ

真実はいつもひとつにはならんよねぇ

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コラム
昔流行ったアドラー心理学の本「嫌われる勇気」で、「課題の分離」って考え方があった。
当時ズブズブに他責の考え方だった自分には、めちゃくちゃ厳しい事を言われている感覚で、うわめっちゃ言うやん…と怒られているように感じていたのを覚えている。
でもこれってものすごく自分のための考え方で、結果的に他人との関係性も合理的かつ明快なものになるので、他人のためにもなると言っていいと思う。

よくあるもので一番大きいのは、親から子供に向けての境界線の錯誤だ。
一般的に親が子供に対して怒ったり厳しくあたる時、課題が分離出来ていない事が、恐らく言い過ぎではなく9割超えてるんじゃないかと思う。
それは親子関係に限らず、会社内や友人関係等、他人に対して負の感情をぶつける事自体が、課題の分離と対極にあると感じる.
考え方や知見を伝えるのに、感情はいらないはずだ。
その時伝える側の思い通りにならない事で感情が揺れ動くのであれば、それは伝える側の問題であって、受け取る側に一切の責任はない。
管理するという立場に溺れてはならない。
管理する立場というのは相手を意のままに出来る権利を得ているのではなく、相手をよりよくする義務を負っているのだ。
そして勘違いしてはならないのは、「よりよく」は管理する側の主観や一般常識であってはならない。
家庭においては、子供の思う事が全て。
会社にあっては、会社の目的に照らして考えるべきである。
家庭の方に焦点を当てるが、なんでも好き放題させろという事ではない。
管理する側とは言ってもしょせん同じ人間なので、それぞれの人生が交わる家庭においては、その落としどころを協議する必要がある。
なので子供の思いと同様に、親の思いも大事にされるべきである。が、それらは同価値なのである。
そして子供よりいくらか知識のある親が出来る事は、それはこうなる可能性がある、という事を伝える事くらいなので、親の考えを押し付けるのはもってのほかだ。
対等な人間関係でそれが起こらない事は理解に難しくないだろう。

それらを踏まえて話を元に戻すが、
人間は、誰一人として同じ個体は存在しない。
そして考え方が全く同じという事もあり得ない。
つまり個々の認識は全て異なったものであると言える。
言ってしまえば全ての人間は違う世界に生きている。
という事は、各々の世界によって真実となるものが異なるのは当然の事だ。

せっかくタイトルにしたからちょっと使わせてもらうが、
事件が起きてそれが解決しました、っていう時に、どの視点から見ても事実は同じである。
○○が○○で起こって○○した。それは変わらない。
でもそこに主観が入って結論として出てくる真実に同じものはないだろう。

真実が人によって全く異なる、という事を前提にすれば、他者との関係性におけるすれ違いなんてものは、気にもならなくなるだろう。
まぁそりゃ違うよねっていう。
それが冷たいとか悲しいと感じるなら、それもそれでその世界に生きているのだから、それも尊重されるべきだ。
ただ自分はこっちを真実と思っているし、こっちの方が楽だからこれ使うね、っていう話でした。
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