擬態したものをしっかり捉えていきたいよねっていうハナシ

擬態したものをしっかり捉えていきたいよねっていうハナシ

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コラム
今ご飯を食べながら思った事。
こないだ帯状疱疹疑惑の頭痛で1週間分薬をもらっきて、今日で飲み終わるんだけど、飲み始め2日くらいはたまに痛いなと思ってたものが、今や頭痛ってなんだっけ?状態になっている。
薬の効果がてきめんだった事もあるだろう。
その上で思ったのが、こういう「放っておいたらヤバそうな症状」を現して医者に行かざるをえなくさせて、謎の医者嫌いを克服するきっかけを与えてもらって、しかも課題が「謎の医者嫌い」だったから病気自体は演出に過ぎないので速攻で治る。という過ぎ去って振り返った時にわかる小粋なメッセージって、気付いた時に本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。
世界に愛されているんだなぁという感覚で幸せな気持ちになる。
それをセッティングしてくれてる存在は、自分の場合は明確に意識はしてないけど、漠然とこの世界全体に対して感謝している。
そこはなんだって好きなの設定すりゃいいと思う。
神様でも仏様でもご先祖様でも宇宙でもハイヤーセルフでも。
だって一番中心にいるのは自分で、自分がそうと決めればそうなのだから。
あ、でも誰か他人をそこに設定するのはオススメしないけどね。

まぁそういうわけで、注意してアンテナを張っていないと、ものすごく愛されているメッセージを見逃してしまうから、せっかくもらってる幸せなものは、ありがたく受けとろうという話でした。

それで思い出したミスチルの「擬態」の歌詞を載せて締めくくろうと思う。
元の歌詞の文脈とは少しズレるけど、本質を捉えるという意味では同じ方向だと思うから。

「目じゃないとこ耳じゃないどこかを使って見聞きをしなければ見落としてしまう何かに擬態したものばかり」
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