前の記事の続き

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コラム
そう、続きなんです。
でも毛色の違う話だし、長くなってしまったので分けます。
なので文章も書き始めも続きです。

こういった考えを受け入れられない人もいる…というか受け入れられない方が多数である気もする。
自分も最初にこういった考えを聞いた時には、いやいやそんなわけねーじゃんと思ったし、気休めとかある意味病気なんじゃねとか思った。多分。覚えてない。
でも例えば視覚に限った話でも、人間と他の動物では目の構造から世界の見え方は全く異なるものであるし、同じ人間でも色覚異常とされる人達も全然違う世界を見ているし、なんなら視力の度合いくらいのレベルでも、見えているものは違ってくる。
他の身体の感覚においても、個人個人で全く異なると言って差し支えないだろう。
であるなら心は。
心は身体以上に個人個人の差が大きいものであると感じるし、個人の中でも体験する様々な出来事によってどんな形にでも成り得るものだというのは、常識で考えても理解されるものだろう。
そして人間は基本的に見たいものしか見ないし、聞きたいものしか聞かない。理解出来ない情報はそもそも受け取れないし、自分の考えに沿ったものしか受け入れないのだ。
つまり、皆が実は、意識していなくても日常的に世界を作っているのだ。
それが扇動的に他人に与えられたビジョンに依るものである場合もある、というか大いにあって、そういう場合は自分の人生を生きられなくて苦しむ。
親からの教育・学校での教師からの刷り込み・人間関係における同調圧力・仕事等による考えの偏り・様々なメディアから発信される多種多様な意図をもった情報等によって、自分の考えというものは押し込められていく。
逆にそういう中で自分を保っていくより、それらの意図に乗っかって感じたり考えたりを放棄してしまった方が楽だとそちらを選ぶ道もあるだろう。あるだろうというか、これも恐らく大多数がそうだと感じる。
そういう積み重なった分厚い脂肪の層をぶち破って、埋もれた筋肉を躍動させて人生を鮮やかに生きてみたら楽しいよって話だ。
ちょっと書き疲れてきて意味のわからん表現になった(笑)
まぁこういう事は度々書くと思うので、今日はこのへんにしておこう。
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