世界を変革した一例。父について。

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コラム
前の記事で世界は自分の思った形に変えられる話をしたんだけど、
そういえば最近でひとつ大きなものがあったなと思い出したので書き留めておく。
自分の父親は20年近く前に亡くなっていて、その事は自覚のあるものもないものもあわせて、大きく自分の中にしこりを残していた。
5年くらいは号泣してしまうので話題にも出来ず、10年以上はしっかり思い出すととても苦しくなっていた。
Mr.Childrenの「花の匂い」という曲があって、当時の彼女に教えてもらって自宅でMVを観た時に、途中まで観ただけでもう観られなくなって、しばらく泣いてうずくまっていたし、10年くらい経ってもまだ聴いて号泣していたのを覚えている。
そのくらいものすごい曲であったし、そのくらい自分の心はえぐれて形を保つのがやっとな状態だった。
家族やそういうレベルの存在の死は明確に、身体で言えば半身をちぎり取られるようなものだった。
もちろん関係性などによってその度合いは様々だと思うが、自覚するしないに関わらずそういうものだと思う。
そしておそらく7年前くらいから取り組んでいる自己の改革の中でも、父親の事はたくさん、色んな角度で掘り起こされ、その度に相対して浄化する、というのをやってきた。
その改革を超加速させてぶちあたりまくっているこの半年の中で、数か月前にその変革は起きた。
いつものように内観をする中で、自分は父親の事を思い出す時に、なぜ悲しいのか、なぜ苦しいのか?というのを、改めて感じてみた。
すると出てきたのは、「もう一緒に〇〇出来ない」だった。
それはごはん食べるとかお酒飲むとか褒めてもらうとか話を聞いてもらうとか、そう言ったものたちだった。
そんな時ふっと出てきたのは
「本当に?」
というものだった。
それまで自分の固定概念など様々な思い込み・決めつけ・しがみつきを目の当たりにしてきて、自分が口癖のように言っているマイナス方面の言葉や、出来ない理由としてよく言っている言葉に対して、「本当に?」と問い直す癖がついてきていたからかもしれない。
そこからはもう脳内会議がえらい事になった。
「いやいやいや何言ってんだよ本当に決まってんだろ出来ねーだろ普通に」
「でももしかしたらそういう事にしちゃえば出来るのか?」
「いや常識的に考えてみろよ物理的に無理だろーがアホか」
「いやいやそもそも常識とか関係ないところを体感してきてるじゃんよ」
みたいに大騒ぎ状態であったが、そこでとっても大事な事を思い出した。
「一旦やってみる」だ。
その日はぶりの照り焼きを作っていて、ちょうど二切れあったので、二人分の食事を用意する事にした。
思い立った段階では、まぁやってみるかー程度の感覚だったが、いざ作り始めたら…ずっと号泣だった…
それは嬉し涙だった。
え、出来てる、絶対出来ないと思った事が出来てる。今父さんと食べるためのごはんを作ってる。
涙でぐちゃぐちゃになりながら作り終えて、テーブルに二人分の食事を並べて、いただきますと食べ始めた。
一緒にお酒を飲みたいというものもあったので、お酒も用意した。
乾杯もして、ご飯美味しいでしょーとか、色々と聞いて欲しかった事、褒めて欲しい事、そしてとにかく今この時間を与えられた事が嬉しくてとても幸せである事を話した。
その間中本当にずっと泣いていて、水分大丈夫かくらいな感じだったが、自分の心の中の痛くて苦しくて泣いていた少年が、ものすごく浄化されたのを体感として感じた。
そしてこれが本当に大きな事だったが、
「出来るじゃん」
というとてつもない成功体験になった。
以上が直近で大きく世界を変革した例である。
この事で自分の中に確固たるもの、確信となったことは、
「世界は自分で作れる」ということ。
常識とか他人がどう思うとか、そういうものは全く関係なく、
自分が知覚する・感じる世界は、自分が望む形に出来るのだ。
そうだったんだから認めざるを得ないよね。
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