この時期なので、生徒であれば読書感想文などの作文を書くことがあるかと思います。
今の時代は非常に便利です。
pc、スマホなどで事例を瞬時に知ることができます。
羨ましいです。
感想文をAIに書かせようとする人もいるはずです。
ですが、自力で書いていない場合、読んだ人、生徒であれば気の利いた教師なら2,3質問することでバレると思います。
表現が違うから。
しかも感想文の読んだはずの本の内容を答えられない、というケースもあるでしょう。記憶にない、読んでいないから。
反論する人もいます。
読んだ、と。
ただ、まったく記憶に残っていない。
読むことと、記憶に残ることは別物です。
文字を見ただけで、脳から消去されているのであれば、読んでいないことと同じです。
記憶に残らないので、役立てようがありません。
AIの場合、メモリーや記憶媒体に記録されるので消さない限り、消えません。
人間の場合、脳が不要と判断すると、自分の意志とは関係なく記憶に残しません。だから面倒になります。
機械は残るので、この点は優れていると思います。
さて、感想文についてです。
得意な人、苦手な人、はっきりと分かれます。
得意な人の場合、文字数の制限が無い場合、好きなだけ書くこともできます。
ただ、多くの場合、字数制限がされます。そのため、序論→本論→結論のような三段構成で字数を調整することがあります。
私は起承転結の構成で書くことが多いです。
字数制限で800字くらいの場合、200字ずつくらいで調整します。1文を60字以内を目安にすると、3~4行で1段になります。余計な文字を減らすことを考えます。そうしないと、すぐに文字数を超えてしまうからです。
脳内に文字を書きます。それを紙に書くだけです。
イメージが先です。
建物の建築設計と似ています。
まずエスキス、下書きです。
作文の場合、用紙に下書きは難しいので、脳内で下書きします。
書きながら修正します。
このブログのように、字数制限が無い場合、とても気楽です。
好きなだけ書けます。
ですが、学生時代、とくに小学校高学年になるまでは、作文は苦手でした。
書けません。
しかも、縦書き、横書き、横書きは書けても、縦書きができない、などもありました。
何から書けばいいのか、まるで分からなかったからです。
さらに、何を書くのかも分かりませんでした。
これが苦手意識になりました。
作文とは何か、これが分かるまで書けませんでした。
今ならサラッと助言できます。
作文は、登場人物は自分だけ、自分の感想を伝えること、だと。
書けない人の場合、おそらく書き出しが共通していると思います。
僕は・・・私は・・・から始まるパターンです。
この時点で訂正させます。
理由は簡単です。
不要だからです。
自分の意見しかない、登場人物は書き手一人だから、いちいち僕は、私は、と言う必要が無いからです。
多数の登場人物がいる場合で、他人の考えと自分の考えを分けて伝えるのであれば、僕は、私は、が必要になります。
さらに大人でも書けない人の場合は似た点がでてきます。
文字を埋めるために、であります、を使う人です。
個人的には、であります星人や、であります教団の信者かと思っています。
である、です・ます、どちらかに統一すべきです。
読み手が困るし、読みづらいからです
下手な政治家の常とう句、であります、は使うべきではないと思います。
読書の場合の感想文についてです。
なぜ書けないのか。
本の内容が脳内に残っていないから、です。
なぜ残らないのか。
読む回数が少なすぎるから、です。
これに最近、気づきました。
読み方を変えない限り、脳に残りません。
残っていないから、感想の言いようがない、となります。
書かないではなく、記憶にないから書きようがない、となります。
では、どうするか。
記憶に残るまで、読む(見る)ことです。
読むではなく、見る、で良いと思います。
1ページを1分以上かけてじっくり読む。
250ページくらいの本であれば、4~5時間かけて一気に読む。
読んだ直後は、満足感があるでしょう。
数分後、困ってきます。
5時間近くもかけてじっくり読んだはずなのに、内容を思い出せない。
これが起きやすいです。
私も以前はそうでした。
なぜ記憶に残らないのか。
今頃、理由に気づきました。
できることなら、学生時代に気づきたかったです。
学生時代から30年経過して気づきました。
理由は運勢が大きく冬に入っていたからです。
今、大きく夏に変化しました。
それで理由を知ることができました。
本の読み方を変えること、に気づきました。
正しくは読むではなく、見るです。
時間をかけて読む人の場合、おそらく脳内で音声化していると思います。
また、線引きもダメでした。
ハイライトのように見やすくすると、なんだか読んだ気分が増してきます。
これも無駄でした。
アメリカの優秀な大学での学生が参加した実験結果から、思い知らされました。
線引きやマーク等は、ただの自己満足でしかなく、しかも脳内に残らないと。
どうやると良いのか。
回数を増やすことです。
読むではなく、見る回数です。
少なくとも10回、です。
以前、このブログでも書きました。
今、実践しています。
10回読むようにしています。
ただ、10回ではなく、20回読め(見ろ)という意見も出てきたので、調整中です。
しっかりと濃い記憶にする場合は、20回のようです。
感想文のように、とりあえず確実に1回は解答できるようにするには10回で良いように思います。
そこで、感想文で困っている人へ。
まず、10回見ること(読む)ことを勧めます。
一気見です。
1ページに2秒あれば十分と思います。
250ページなら250×2秒=500秒=9分弱です。
10分あれば1回読む(見る)ことができます。
これを10回クリアすることです。
2回目は、1回目では見なかった部分が見えます。
同じように、3回目・・・7回目・・・10回目で見える部分が変わってきます。
すると脳は消去するのではなく、記憶として必要なのだ、と判断するようになってきます。
ここで感想文を書き始めます。
記憶に残っているので、スラスラ書けるようになります。
むしろ字数制限をクリアするように、文字を減らすことに頭を使うようになります。
余計な文字を減らし、書くべき内容の密度を高めることができます。
結果として、得意になってきます。
今まで作文コンクールなど無縁だった人も、積極的に応募できるようになることもあります。
私の場合、小学5年のときでした。
作文の内容は、文字通り文を作っただけでした。
それが入選しました。
これでいいのか?と思いました。
その後は、新聞の投稿欄に応募するようになりました。
これは400字以内と短い内容です。
週に1回、テーマが出されました。
幅広い年齢の人が投稿し、色々と採用されていました。
これに応募し始めて、掲載されるようになりました。
20回以上掲載されたと思います。
それで得意が増したように思います。
結果として、これは作文でしたが、論文に役立ちました。
論文の場合は、客観的な事実に基づいた内容を記載します。
感想は不要です。
事実を述べること、です。
学生時代の最後に、特殊な環境だったせいで卒業論文を2度、書きました。
とても疲れました。
普通の大学であれば最終学年に1回ですが、私の場合は、大学であれば2年時と4年時の2回、書きました。
卒業研究は大学であれば2年時から3年間、行いました。
普通なら大学院の修士で行う内容でした。
作文、論文は得意になったので、卒業論文も苦ではありませんでした。
ただ、今のようにPCの性能が信じがたいほど優れている時代ではなかったので、労力は多かったです。
参考文献も図書館で現物を探すしかありませんでした。
ネット環境そのものが無い時代だったので、調べるのも苦労しました。
完全なアナログ時代です。
今のデジタルなら、物凄く時間と労力を短縮できたと思います。
さすがに専門書を、しかも参考文献を10回読もうとは思いません。必要な部分だけ、10回読むことはあると思います。
試験勉強にも応用中です。
10回をクリアする。
記憶に強く残す必要がある場合、20回クリアする。
と決めました。
感想文で悩んでいる人、まず10回見ること(読むこと)です。
脳内に記憶が残れば、普通の感想文なら、序→本→結のような順序で書けるようになると思います。