富太郎が気の向くままに、再び「ちょこっとプレゼン」させていただきます。
誰かのお役に立てば、幸いです。
今回のお題「謝罪広告事件」
最近、有名人が『失言(?)をして謝罪をした』という報道をよく目に
しますが、かつてこの謝罪をせずに裁判になった事件がありました。
まずは、司法書士試験の過去問から。
憲法 平成27-1-イ
問 裁判所が、他人の名誉を棄損した加害者に対して、被害者の名誉を回復
するのに適当な処分として謝罪広告を新聞紙に掲載すべきことを命ずること
は、その加害者の人格を無視し、意思決定の自由を不当に制限することとな
るので、その内容が単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる
程度のものであったとしても、当該加害者の思想及び良心の自由を侵害し、
許されない。
答 × 「合憲」と判事した判例(最大判昭31.7.4)が、あります。
該当する憲法は、第19条【思想及び良心の自由】です。
『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』
思想・良心の自由は人の内心の話であり、絶対的に保障されます。公共の
福祉の観点からの制約は許されません。 また、思想・良心の自由の中には、
沈黙の自由も含まれます。沈黙の自由とは、個人が内心で抱いている思想を
告白するよう強制されない自由です。公権力が個人の内心の思想を表明する
よう強制したり、踏絵のように何らかの行為を強制することによって内心を
察知することも許されません。
もっとも、個人の思想・良心の自由が内心にとどまらず、表現活動などの
外部的な行動となってあらわれる場合は、その外部的な行動は、表現の自由
その他の人権の行使として、公共の福祉による調整を受けることになります。
思想・良心の自由の範囲(保護領域)が何処までか? については、学説が
別れています。
(1) 限定説 思想・良心の事由によって保障されるのは、人の内心の活
動すべてではなく、人格形成活動に関連のある内心の活動に限定される。
人生観、世界観、思想体系、政治意見など、個人の人格形成に関係の
ない内心の活動を良心の範囲に含めてしまうと、思想・良心の自由の高い
価値を希薄にし、その自由の保障を軽くしてしまうため。
→ 謝罪広告を強要することは、合憲。
(2) 内心説(広義説) 思想・良心の自由とは、「人の内心における
ものの見方・考え方の自由」であり、事物に対する是非弁別を含む
内心一般(広く内心の自由一般)を保障するものである。
→ 謝罪広告を強制することは違憲。
最高裁は(限定説・内心説のいずれに立つかは明示していませんが)、
『単に事態の真相を告白陳謝の意を表明するに止まる程度のものは代替執行に
よる強制執行が可能であるとしたうえで、「右放送及び記事は真相に相違して
おり、貴下の名誉を傷つけご迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を
表します」との内容の謝罪広告を発表を裁判所が強制しても、倫理的な意思、
良心の自由を侵害することを要求するものとはいえない。』として、本件謝罪
広告の発表の強制は、上告人の思想良心の自由を侵害しないため合憲としまし
た。(「限定説」と整合すると解されています。)
「口は禍の元」。 言い放つ前に、ひと呼吸おきましょう。
今回は、以上です。
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★リーガルリテラシーとは、
「自身の身や権利を守るための、最低限の法知識」
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