【自分が理解できないことは認めない?!】

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コラム
私は一時期とある食品関係の会社に中途採用で勤務していた。



前任者が横領して失踪したため、おかしくなった経理を整理するのが新入社員の私の役目だったが、何のレクチャーもなしに勝手な要望ばかりしてくる周囲の態度にすっかり疲れ果ててしまった。



特に、本来は私の下で私と協力し合わねばならない立場にある女性社員が、「自分が理解できないことは認めない」という信条の持ち主で、私の指示に従わず、それどころか私の仕事を一切認めようとせず、社長の前で「もっと頑張ってほしい」と泣いてまでみせ、業務が上手くいかない責任を全て私一人に押し付け、いつか私の精神力も限界を超えていた。



心療内科を受診したが、それを聞いても彼女は鼻で笑うだけだった。



結局、こうした環境が原因で、私は、双極性感情障害と診断され、退職に追い込まれた。



私の知る限り、彼女にはいくつかの問題があった。



●自分が経理を知らないのに、経理経験者で、しかも上の立場の私の指示を無視して、自分の勝手な解釈で動いていた。



●「自分が理解できないことは認めない」という信条を朝礼で堂々と発言し、社長に注意をされても改めないという思い上がったところがあった。



●自分の苦しさだけを訴え、他者と協調し、他者の気持ちを理解する、という姿勢が欠けていた。



これらのような、自分本位・傲慢・協調性のなさ・他者への思いやりの欠如、などの性質があることが容易に想像できる。



このような性質は、円滑な人間関係の構築や健全な社会生活を妨げるものでR。



彼女の場合、「自分が理解できないことは認めない」という信条が物語るとおり、全ての判断基準は自分のモノサシであり、それに合致しないものは一切排除していた。



一見、何者にも縛られずに好き勝手に振舞っているかのようだが、この過剰とも言える自己愛は、他者からの自分に対する評価を著しく低下させるもので、自分では自身を大切にしているつもりでも、その実、正常な自己愛からはかけ離れている、という状態を引き起こしている。



他者を愛することは、自分が他者から愛され、大切にされる、つまり、自分を愛することにもつながる、と考えると、彼女のように、「自分が理解できないことは認めない」ほど傲慢な人も、私のように、好みの物を買いたい自分や、何かをやりたい自分、愛されている自分について、いちいち、「自分にそれだけの価値があるのか」、「他人からどう思われるか」、を気にするような自己肯定感の低い人も、正常な自己愛とはかけ離れているという点において大差ないと言えるのかも知れない。



また、正常な自己愛とはかけ離れている人の中には、極端な性格の偏りから、社会適応が困難な人もいる。



その性格ゆえに、彼女のように「自分が理解できないことは認めない」と自分の価値感を押し付ける、喧嘩が絶えない、など、他人と協調できないことは、自分自身の生きづらさにもつながる。



他人の気持ちを理解し、尊重できるようになることは、正常な自己愛を形成する上においても大切で、そうすることで、自分自身も他者から愛され、そのことが自分を愛することにもつながる。



過剰な自己愛が人間関係や社会生活に影響を及ぼすことを考えると、私には自己肯定感を高めることが大切とされ、彼女のような人には他者を理解し、互いに尊重し合い、他者を愛し、自分も他者から愛される、というバランスの取れた自己愛につなげていく姿勢が必要となる。



「自分が理解できないことは認めない」などという傲慢な考え方を、私はそれこそ認めないし、断じて許さない!!



駄文の御閲覧、心より感謝申し上げます。
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