2-3 なぜ「英語をマスター」しようとしてはいけないか? ー医学英語総論その2ー

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英語をマスターする方法は?と題して前回は「英語をマスターする必要はない」という目くらましの様なブログを紹介しました。今回はそこから踏み込んで、専門や好きな分野を通して内容のある英語学習をして、気づけば流暢レベルになっていく学習を筆者の実例を通して提案します。


「英語をマスター」は何故いけないのか?

 まるで雑誌広告の様なタイトルをつけましたが、至って真面目な話です。「英語をマスター」という格好良くて響きの良い言葉はとても魅力的です。今の日本人のカッコ良い対象はそれほど欧米には向いていないとは思いますが、ハリウッド一のモテ男や自由で活発な都会の米国人女性などのブランドイメージは今でも健在でしょう。そんな画面の中の人たちが喋っている様に自由で洒落た英語がスラスラと出てきたら周りから尊敬の目で見られ、友達や世界が広がり、旅行先でもちょっとも困ることがなくなり、BGMで流れている音楽やニュースにも反応できる様になるだろうな。。。。

 英語をマスターする動機にこういう漠然とした英語への関心を抱いている人は多いのだと思います。仕事上で必要で英語を勉強する人でも、イメージとして上記の様な自分を持っている人も多いかと。しかしこれは、結構デメリットが多く到達しにくく、それでもって少し奇を衒った英語教材はいつまでたっても「マスター」しない鬱憤を抱えた消費者に買われ続けることになります。
「英語をマスター」という漠然とした目標を多くの人が持っていればいるほど誰かにお金が儲かる仕組みになっています。そろそろそういうのはやめにしましょう!この漠然として超えられない山を常に意識することが学習意欲を削ぎ、目標を見えにくくし、普通の勉強(筆者は高校までの英語の基本教育は流暢になるのに十分だと考えています。)着実にすることから遠ざけているのだと思います。

特別な「英語マスター法」が必要ないエビデンス

 英語を生活の中で必要最低限かそれ以上に使うことは決して高度なトレーニングやちょっとやそっとでは思いつかない様な工夫が必要では断じてありません。そのエビデンス(根拠になる証拠)はニューヨークの様な国際都市で暮らせばすぐに得られます。この街には第二言語として英語を習得した人が数多く生活しています。彼らの経歴は様々ですが、注目すべきは大学など高度な教育を受けていなくて訛りなど特徴のある英語を使いながらも十分に生活が送れる人達の存在です。
 やはり特別に高いお金を払わないといけないような「英語をマスターする」方法などなくても英語は使える様になることの証左なのでしょう。もちろん日本人もそこに含めていいのですが、逆贔屓目に見ると少し日本人コミュニティに依存しすぎて英語を全く話さない人口が多い様に思えます。チャイナタウンで殆ど英語を話せずに一生暮らす中華系とかなり近いイメージです。同胞の結びつきが強いことや、最終的には国に帰ればいいという個人の状況も英語を使いこなす人が少ない原因かもしれません。アメリカの移民文化や歴史はとても興味深いですがここでは本題に戻りましょう。


 「英語をマスター」という言い方、もしくはそれを反映した思想はあちこちに見られます。ここ数年非常に気になっている表現に「英語を喋れる人」というものがあります。確かにプロの同時通訳で幅広い分野をカバーしていてどこの誰が使う英語であろうと瞬時に同じ水準の英語で返したり日本語に翻訳してくれる人がいるかもしれません。そういう人は正しく英語マスターなのかもしれませんが、本当にそう言う言語学の権威みたいな人を求めているのでしょうか?

 私は通常の英語上級者とは自分の身の回りのことを表現するのに大きな不自由なく自分にふさわしい英語を使う人達のことだと思っています。そうすると、「あなたは英語を喋れますか?」と聞かれると大抵の上級者は「自分のことはできます。友達とも苦労せず喋れます。ですが、あなたの喋れるというのはどういう事態を想定して聞いているのか私には分かりません。」と答えるのが最も現実に即しているのではないでしょうか?中学高校の先生が英語を喋れない、けしからんという議論を日本でいくつか耳にしましたが、私はその「万能英語」の発想でそれを語っている人こそが実はあまり英語が上手でない人なのではないかと訝っています。日本全体に蔓延している英語コンプレックスに巻き込まれている学校の先生は少し気の毒です。

現実的な英語の習得法

この回の最後の段落になりますが、核心をお話ししたいと思います。

 まず、英語は中学高校(最近は小学校でも)で普通に基本的な使い方を勉強して特に新しくもない言語学習の基本に則って補強していけば必ず使いこなせる様になります。

 受験英語が悪いとか、中高の英語が酷いとか言う話がとても流行っていますが、せいぜいちょっとの改革があればベターと言った程度ではないでしょうか?例えば、日本語とは発音の仕組みが全然違うのでそのことを意識して「それらしく話す」意識動機付けをやる。などでしょう。アメリカには「それらしく全然話せない」極端なイタリア訛りやフランス訛り、アジア訛りの人は普通に流暢に喋って暮らしています。話し相手の我々はよくわからなければ聞き直しすればいいだけのことです。これはクラリフィケーションと言って、第二言語の獲得で有効な会話の上達手段でもあります。つまり、今のままでも日本の英語教育は十二分なのではないでしょうか?

 次に、基本ができていればそこに肉付けをすることになります。肉付けは語彙力、表現方法、方言やスラング(NY訛りや、大学人の英語、若い学生の英語など)、会話のスピードなどです。これを補強するのが一般的な英会話コースなのですが、この肉付けのところで物凄くストイックな目標(アナウンサーの様に喋る、何の興味もない用語集教材を完読するなど)を掲げると、時間の無駄、努力の無駄、そして挫折になってしまいがちです。

 ここを自分にとって強い動機や関心の的にできる内容にして、医学知識など新しいことを身につけながら同時に英語でそれを展開できる様にすることが効率的な英語学習に繋がります。これは言語学習においては内容のある第二言語教育(Content-based Second Lauguage Instruction)と言われており、近年は言語学習の主流となっています。ここでコンテンツが医学になれば、医学を勉強する時に英語を身につけ、そこからの発展で他の日常所作も英語に置き換えられていく体験に繋がります。特に意識していませんでしたが、私はこうやって英語を学んできたのだと省みて思います。医学部で講義を英語に直してノートにすることを6年間やっていました。今の英語はそのベースにどんどん肉付けをしたものです。

 この意味で、医学部で医学を学ぶ時や医師が医学知識を補充する時にそれを英語で展開することを超える良質な医学英語学習はないと言えます。一年弱で手っ取り早く医学英語を解説する教材ではこの内容を超えることは不可能です。
 現状では医師が日本語世界に閉じこもって、英語で発表したり診療したりする時になって初めて日本語で構築している医学を英語に一旦翻訳してそれを辿々しくアウトプットすると言うことがとても多く、医学通訳の方々だけが医学英語の担い手で、場合によっては医師がそちらに頼る。一般の人にとっては医学英語の相談を医師にするという選択肢は取れない。これはなんとも歯痒い現場です。こんなに簡単に医学を通して英語を学べるのにもったいない。現状を変えたいと言うのが目標です。

 私見ですが、医学生であれば確実に流暢レベルまで英語を扱える様になります。また、医師が忙しい時間に英語を勉強する時にも、ビジネス英語やホームステイ英語など関係のない内容に苦行の様に時間をさく代わりに日頃の医学的探究を英語で展開すれば、いずれ英語は苦にならなくなると思っています。

 この方法論が共有されていけば、日本の医師はもはや言語で持って国際化されずにいることはなくなり、地球上のリアルタイムの医学が一般の日本人にも正確に伝わる様になります。一般の人が何らかの事情で英語で医学を利用するなら、通訳や翻訳は言語のプロに頼むのか医師に頼むのか、またそれらのプロ同士が相互に補い合うことが増えれば、それは日本人の生活を向上させることに繋がる、うーん。メリットしかありませんね!そう思いませんか?

次回はこれらを実践する方法を具体例を混ぜながらお話ししようと思っています。

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