誰かを見るときに、そのままのその方を見ることはできますか。
『男・女』『父・母』『妻・夫』『子・親』
職業で言えば、それこそ数え切れないぐらい役割(義務のようなもの)がありますよね。
例えば、『男』は外で仕事をして家庭を支えるべきだ。
『母親』は、子供に対して義務を果たし、愛を持って接しないといけないとか、
相手が『上司』なら、人間的に尊敬できる人物であってほしいと思う。
『医者』であれば、真摯に患者に向き合うべきだ。
自分も自分以外の人にも、様々な役割というフィルターを通して見ていることはないですか。
たまたま入ったカフェで接客してもらった店員さんは、どこまで行っても店員さんでしかない。
その人がどういう人か知らないし興味もない、そのとき注文を聞いてくれさえしてくれたらいいのだから、その「役割」を求めるのはあると思います。
でも、あなたの隣にいる夫や妻、両親、子どもという身近な存在にさえ
「役割」を与えて、あなたが考える「役割」を相手がしないとき、
あなたの中で何が起きているか自覚できていますか?
自分も含め、相手を役割で認識する時、考えてみて欲しいことがあります。
その人は、父・母である前に一人格があるということ。
親・子、という前に一人格であるということ。
上司・部下である前に、一人格があるということ。
人間関係において必要以上にイライラしたり、相手に対して要求がましくなる時、
嫌な気分になってしまうとき・・・
かなりの確率で、その相手=役割として見ている。
だから、その役割を十分果たしていない、という判断をした時、
その人への評価は下がる。
反対に、母親役として模範的な人物はほめられる。
礼儀正しい、言うことをよく聞く子どもはほめられる。
役割をきちんと果たしている、という時にその人の評価は上がる。
役割を間違いなく果たしているから、その人には価値があるのですか?
失敗したり、うまくできていない時には、その人には価値がないのですか?
●役割は、本当のその人ではないですよね。
役割で人を見ていることがあれば、そのことを自覚してみましょう。
自分に対してもしているケースもあるかもしれません。
「私は、親として失格だ……」
「私は、この仕事を続ける資格がないのでは……」
あなたは、あなたです。
過去に何があったとしても、未来に何があっても、あなたは、あなたです。
一切の役割の縛りから、いったん解かれてみてください。
そして、あなたを知ってください。
世界は、役割がないと回っていかないので、無視はできません。
でも、何があっても私が役割を演じるんです。
役割が私ではありません。
あなたは、どんな時であってもあなたです。
苦しい時には、自分から役割を外して考えてあげてください。
他者をどうしても受け入れられない時。
他人にも、役割を外して見てあげてください。